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じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 今年の春分の日は3月20日であった。今年の特徴は以下の通り。
  1. 春分の瞬間は日本時間の23時46分。
  2. 岡山で昼と夜が同じ長さになる日は3月17日。06時13分に日の出、18時13分に日の入り。
  3. 真東にいちばん近い方位から日が昇るのは3月19日の90.2°と3月20日の89.8°。
  4. 真西にいちばん近い方位に日が沈むのは3月19日の270.0°
なお、私が住んでいるところでは真東の方向に低い山があるため、じっさいに真東から日が昇るのは3月21日【写真参照】~3月23日頃になると推定される【真東よりやや北寄りの方位で地平線から昇った太陽がやや南寄りに斜めに移動し山の端から顔を出すため】

2026年3月21日(土)



【連載】チコちゃんに叱られる! イルミネーションの由来/『岡大イルミネーション』の思い出

 3月13日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
  1. なぜ車酔いする?
  2. イルミネーションをするようになったのはなぜ?
  3. なぜ唐辛子を食べると汗が出るのにわさびだと汗がでない?
  4. 【ひだまりの縁側で・・・】自分が勘違いして覚えていたこと
という4つの話題が取り上げられた。本日はそのうちの2.について考察する。

 放送では、イルミネーションをするようになったのは、「エジソンが電球を売ろうとしたから」が正解であると説明された。科学技術史を専門とする橋本毅彦さん(東京大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. 電飾というイルミネーションをするようになったのはエジソンが仕掛けた電球を売り込む作戦の1つだった。
  2. イルミネーションというとクリスマスツリーを思い浮かべる人が多いが、その飾り付けの起源は15~16世紀。
    • 言い伝えによると、ドイツの宗教改革者マルティン・ルターが夜中に森を散策している時、夜空の星が木々を飾っているように感じ、それを子どもに伝えようと常緑樹を持ち込みろうそくで飾ったのがきっかけ。
    • 当時はろうそくは高価で一部の人だけしか使えなかった。
    • その後19世紀に街のあかりとしてガス灯が普及するが火事の危険などがあり室内には不向きだった。
    • 炭素の棒に電気を流すアーク灯は、明るすぎたり電気消費量が大きいことなどから一般家庭には普及しなかった。
  3. 1802年にイギリスの発明家であるハンフリー・デービーが白熱電球の原理を発見したが点灯時間が短く実用化には至らず。
  4. そんな中開発に乗り出したのがエジソン。1878年にはメロンパークに電気照明会社を設立し79年に開発に成功。しかし当時の新聞にはエジソンを嘲笑い報道や取り組みは不可能と示す論文などで溢れかえっていたと報じていた。これは火を使わず光ることに対して不安がられていた表れ。
  5. そこでエジソンは「とにかく電球は便利で安全ですばらしい」という電球売り込み大作戦を実施。
    • エジソンは「電球を作るだけじゃダメだ! 電球を光らせるための電気の供給も必要だ」と考え、発電機を製造し発電所を建設。エジソン自ら送電線などインフラ設備を整えた。
    • エジソンの発明のモットーは、
      ●売れないものは発明したくない。売れることが実用性の証明であり、実用性が成功を意味する。
    • 1879年12月、エジソンは大作戦を実施。メロンパークにある自分の研究所に多くの記者と投資家を招き、研究所の屋内外、駅からの道の約60個の電球で照らした。これこそが電球を使ったイルミネーションの原点。
  6. エジソンはその後アメリカの各都市で電気照明の事業を展開。
  7. エジソンの右腕であるエドワード・H・ジョンソンも電球売り込み大作戦をサポート。自宅に新聞記者を招いて、電球でデコレーションしたツリーを披露。
  8. エジソンはその後世界に向けても魅了させる戦略を進めた。
    • パリ万博では高さ12m、電球約2万個の電気の塔を展示。塔の側面には電球を並べて作られた「EDISON」の文字が輝いていた。
    • 1880年代には電球量産体制になりコスト削減し一般家庭に普及した。
    • 1930年頃になるとアメリカで多くの家庭でクリスマスツリー電飾が普及。
  9. 1960年代には日本でも飾り付けがされるようになった。放送では昭和、平成、令和の日本のイルミネーションの映像が紹介された。
    • 1982年札幌:当時珍しい大規模イルミネーション。
    • 1991年東京・表参道:約300mのイルミネーション試験点灯。
    • 1995年神戸ルミナリエ:阪神・淡路大震災の追悼と復興のために開催。
    • 2003年東京・六本木:LEDの普及で青いイルミネーションが登場。
    • 2015年大阪・御堂筋:「最も多くの街路樹にイルミネーション」としてギネス世界記録。
    • 令和:プロジェクションマッピングとのコラボで豪華に。
      • 三重・桑名市『なばなの里』
      • 長崎・佐世保市『ハウステンボス』
    • 令和:技術の発達で電飾もカラフルに
      • 東京・稲城市『よみうりランド』
      • 東京・丸の内
      • 東京・渋谷


 ここからは私の感想・考察を述べる。

 まず上記にもあるように、日本でイルミネーションが登場したのは、クリスマスツリーでは1960年代、街並みでは1980年代以降であったようだ。
 このうちクリスマスツリーは私の生家にもあったが電球は取り付けられていなかった。近所の家の電球付きのツリーを羨ましく思ったことがある。
 私が学生の頃は(1970年代)、渋谷などの街並みでは、店ごとのきらびやかなネオンサインはあったものの、街路樹まで電飾で照らすことはなかった。
 ということで、私が若い頃はまだイルミネーションは登場していなかった。本格的なイルミネーションを見物したのは、『ひろしまドリミネーション』ぐらいかと思う。

 近場のイルミネーションとしては、かつて岡大構内のイルミネーションがあった。2006年~2009年頃の写真は以下の通り。  私が知っている範囲では、このイルミネーションはもともとは2006年、岡大生協の利用還元(営業利益を組合員に還元)の一環として開始、その後、一時期は大学当局の公式企画となり、さらに学生の公認団体に運営が任されるようになったが、ここ何年かは実施されなくなった。理由は不明。

 なお、チコちゃんの番組では、

2020年1月3日初回放送なんでカップルはイルミネーションを見に行くの?

という話題が取り上げられたことがあったが、「風が吹けば桶屋が儲かる」程度のコジツケであるように思われた。

 次回に続く。