【連載】チコちゃんに叱られる! 化粧まわしの由来
昨日に続いて、10月17日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
- 明るいところから暗くなると一瞬なにも見えなくなるのはなぜ?
- 相撲の化粧まわしはそもそもなに?
- 紙がぬれて乾くとゴワゴワするのはなぜ?
という3つの話題のうち、2.について考察する。
放送では「相撲の化粧まわしは大名の見栄」が正解であると説明された。相撲の歴史に詳しい土屋吉敬さん(相撲博物館学芸員)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
- 化粧まわしの歴史は江戸時代初期まで遡る。
- 相撲は、豊作を祈願する宮中行事として行われ、天皇や貴族の前で披露された。当時は『とうさぎ(たぶさぎ)』という下着をつけて相撲をとっていた。
- 戦国時代になると相撲は戦国大名にも好まれるようになり、相撲に強い者を家来としてかかえるようになったが、まわしは下着のままであった。
- 江戸時代に入ると、それまで下着だったまわしが相撲を取るためのものに進化した。掴むところが太くなったり、前にエプロンのようなものを垂らしたりして、お客さんを意識した見栄えのよいものになっていった。
- そんななか、力士を抱えていた大名たちが活躍へのご褒美として豪華なまわしを与えるようになった。特に紀州藩の『紀州まわし』が有名だが実物は残っていない。
- 『紀州まわし』は他の藩にも広まり豪華さを競うようになった。要するに、大名が見栄を張り合って生まれたのが化粧まわし。
- 化粧まわしが豪華になった理由としては、豪華なものが作られていた元禄文化の影響もある。
- まわしの前についていた布は取組の邪魔になるため、布をまくって取るようになったが、指がかかって実際に危険なこともあった。そこで今のような取組専用のまわしとなり、化粧まわしは土俵入り専用となった。
放送ではさらに化粧まわしのなかから豪華なものやユニークなものが紹介された。
- 1982年 大関・若島津:獲物をねらう鷲の図柄。鷲は10カラットのダイヤモンドを掴んでおり当時の価格で1億5000万円。地方巡業ではダイヤモンドはイミテーションに付け替えられていた。
- 2006年 小結の頃の稀勢の里:キティちゃん。同じ茨城県出身のサンリオの社長から贈られた。
- 2024年 貴景勝 :モコモコのクマ
- 2016年 佐田の海:くまモン。熊本県出身として、当時の熊本地震の復興を願って着用。
- 2017年5月場所 稀勢の里:横綱土俵入りの時につけていた漫画『北斗の拳』の化粧まわし。但し主人公のケンシロウではなくて、ラオウの図柄になっていた。本人は「自分は性格的にケンシロウではなくラオウ。ラオウは孤独で強い。ラオウの生き方に憧れている」と語っており、引退会見の時にもラオウの「わが生涯に一片に悔いなし!!」をアレンジし、「土俵人生において一片の悔いもございません」と語った。
ここからは私の感想・考察を述べる。化粧まわしの話題はこのWeb日記でも、2024年9月12日で取り上げたことがあった。特に目立つのは埼玉栄高校の化粧まわしで、部屋が異なっていても全く同じ図柄になっている。埼玉栄高校出身の現役関取は2025年9月時点で、
- 幕内
琴櫻(東大関)
王鵬(西前頭二枚目)
豪ノ山(西前頭三枚目)
琴勝峰(東前頭五枚目)
藤ノ川(西前頭九枚目)
大栄翔(東前頭十枚目)
翔猿(東前頭十五枚目)
日翔志(西前頭十七枚目)
- 十両
琴栄峰(東二枚目)
栃大海(東五枚目)
英乃海(西七枚目)
剣翔(西九枚目)
紫雷(東十四枚目)
西ノ龍(西十四枚目)
となっている。
ちなみに大相撲力士の出身高校としては明徳義塾高校も有名だが、校章の入った化粧まわしはあまり見かけない。検索したところこちらのような図柄になっているようだ。
次回に続く。
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