【小さな話題】3か月でマスターする古代文明(6)モヘンジョダロを手がかりに、現代の都市や社会のあり方を見直すと...
昨日の続き。
昨日の日記で、羽仁五郎の『都市の論理』の中で、都市は、
- 権力の集中装置(支配、警察、官僚、資本)
- 同時にそれを転覆しうる「民衆の空間」
として描かれていたことを引用した。そうしてみると、「権力者も王もいない、富の蓄積もない」都市としてのモヘンジョダロ、あるいは同時期に存在したインダスの都市は異彩を放っていることは間違い無い。但し、モヘンジョダロなどでは宮殿や王墓などが見つかっていないというだけであって、もしかするとその都市に隣接して大宮殿があったが洪水で埋まってしまったという可能性もありうるし、また、権力者が居なかったことが確実であったとしても、そこで都市の設計や改造にかかわるような大規模な意思決定がどのような形でなされていたのか(多数決? 長老にモヘンジョダロのような**「権力者不在の都市」**を手がかりに、現代の都市や社会のあり方を見直よる調整?)が解明されないと、モヘンジョダロ型の「都市の論理」を現代に活かすことは難しいかもしれない。
そういった不備があることを承知の上でChatGPTに、
●モヘンジョダロのようなインダス文明の都市は権力者も王もいない都市だと言われています。こうしたインダスの視点から現代の都市を見直す主張はありますか?
と尋ねてみた。いただいた回答は以下の通り。
面白い問いですね。実は、Mohenjo‑Daroなどを含むIndus Valley Civilization(インダス文明)を「非-中央集権的/エガリタリアン(平等主義的)」都市モデルとして捉え直し、それを現在や将来の都市設計・都市社会論へ応用・再検討しようという研究・議論は、少なくとも考古学・都市文明論の領域で存在します。以下、主な論点とその議論の例を整理します。
## 🔍 インダス文明の都市モデルの特徴(議論されている点)
- **明確な階層構造・王権の痕跡の不在の可能性**
- インダス文明の主要都市では、「王宮」「大規模な墓」「王を示すような特化建築(aggrandizing monuments)」など、他の文明で典型的に見られるようなエリート支配の物的証拠が、明らかには確認されていません。([SpringerLink][1])
- 居住用住居の均一性や公共建築・インフラ(例えば下水道、公衆浴場的施設など)が比較的広く普及していたという分析があり、これも「強い階層分化があったとは言いにくい」との見方を支持するデータとされています。([LAPROGRESSIVE][2])
- このような分析を元に、「インダス文明は、典型的な“国家=支配階級”モデルに該当しない複合社会構造を持っていた可能性がある」という仮説が近年提唱されています(ただし議論は継続中)。([SpringerLink][1])
- **「ヘテラルキー(heterarchy)」という社会構造モデルの応用**
- 一部の研究では、インダス都市は「ヘテラルキー(複数の社会グループが非階層的または部分階層的に協働するシステム)」として理解可能だという提案があります。([Cambridge University Press & Assessment][3])
- このモデルは、指示型・集中型の権力構造ではなく、「多数のグループの相互作用・合意形成」による都市づくり・公共インフラ構築を仮定し、都市設計や社会運営の別の可能性を示すものです。([Cambridge University Press & Assessment][3])
- たとえば、小規模公共構造の再分析では、当初「市の指導階層施設」と解釈されたものが、実は公共アクセス可能なもの・合意形成のための施設であった可能性が示唆され、その都市が強いエリートによる支配構造ではなく、複雑な社会的合意によって管理されていたという見直しがなされています。([Cambridge University Press & Assessment][3])
- **ネットワーク的/分散的都市空間の概念**
- 日本の研究においても、インダス文明の“ゆるやかなネットワーク都市”という表現で、従来の「中央集権的文明観=王や権力の集中」という枠組みを見直す学説が紹介されています。([東京大学出版会][4])
- このアプローチでは、都市・集落間、中心―周辺の“均衡と多様性の関係性”を重視し、都市とは必ずしも“一点集中型”的に動くものではないという古代の実践モデルを参照する議論が進んでいます。([KAKEN][5])
- **再考を促す“都市の定義・起源論”への影響**
- インダス文明研究は、「都市=国家的統治下の中心地/王権主体」の定義が普遍的ではないことを示唆する事例として注目されています。([SpringerLink][1])
- 考古学的手法の進展によって、古代の社会構造理解と近代社会・未来都市論との橋渡しを試みる文献も出てきており、“都市”の在り方そのものを相対化する枠組みの一端として、インダス文明の事例が参照されます。([SpringerLink][6])
## 💡 現代の都市論や思想との接点・応用可能性
こうしたインダス文明の議論から、現代の都市論にヒントを与える主張・視座はいくつか挙げられます。
| 視座・問い | インダス文明からの示唆/批判的視点 |
| ----------------- | ---------------------------------------------------------------------------- |
| **非階層的な都市運営・合意基盤** | 権力集中やエリート支配型モデルを前提とせず、社会の多主体合意による公共インフラ運営や居住空間設計の可能性を再評価できる。 |
| **平等性とインフラの普及** | 住居の均質性や公共設備のアクセスの均等配置という古代モデルを手がかりに、「格差を前提としない都市設計」の原理を問い直す。 |
| **ネットワーク型文明/都市構造** | 中央集権的都市像を疑い、都市と周辺集落の多様性を持続可能な関係の上に捉え直すことで、地方分散型・回遊型の都市像を提案できる。 |
| **代替的歴史観・文明観** | 通常の進化モデル(国家 → 都市 → 階級社会)を再検討し、多様な文明パターンを歴史比較の中で位置づけることで、現代の多様性対応型社会の構想を広げうる。 |
## 🧠 論争点と限界
- インダス文明の「非-王権モデル」は決定的結論ではなく、墓・印章・埋葬様式など未発見・未解釈のデータもあり、学者の間で「本当にエリート不在か?」という議論が活発です。([ハラッパ][7])
- また、「インダス文明≠現代社会」の直接適用には注意が必要で、時代・文化・技術条件の違いを踏まえた思考実験として扱うべきという慎重な立場が多くの研究で示されています。([KAKEN][8])
- 「合意形成=平等のモデル」が万能という保証もなく、古代社会の“合意”や“公共”の意味自体が現代とは構造的に異なる可能性が議論されています。([SpringerLink][1])
## 🎯 日本・アジア研究での議論
- 日本では、著作『文明の基層』などが「インダス文明のネットワーク都市論──中央集権的文明観を覆す」という章を設け、古代の多様な都市像を通じて都市思想の再検討を試みています。([東京大学出版会][4])
- また、研究プロジェクト「インダス文明の社会構造の解明を目的とした基礎的研究」によって、都市と農村・集落の物質文化・交換様式の違いを精査し、当時の「統一性/多様性」に関する新たな理解が提示されつつあります。([KAKEN][8])
[1]: https://link.springer.com/article/10.1007/s10814-020-09147-9?utm_source=chatgpt.com "Killing the Priest-King: Addressing Egalitarianism in the Indus Civilization | Journal of Archaeological Research"
[2]: https://www.laprogressive.com/democracy/no-ruling-class?utm_source=chatgpt.com "Archaeologists Find No Ruling Class in the Indus Civilization - LA Progressive"
[3]: https://www.cambridge.org/core/services/aop-cambridge-core/content/view/116AF42E0BD599B308A173C39BB12AC2/S0959774317000774a.pdf/mohenjo-daros-small-public-structures-heterarchy-collective-action-and-a-re-visitation-of-old-interpretations-with-gis-and-3d-modelling.pdf?utm_source=chatgpt.com "Mohenjo-Daro's Small Public Structures: Heterarchy, Collective Action and a Re-visitation of Old Interpretations with GIS and 3D Modelling | Cambridge Archaeological Journal | Cambridge Core"
[4]: https://www.utp.or.jp/book/b307088.html?utm_source=chatgpt.com "文明の基層 - 東京大学出版会"
[5]: https://kaken.nii.ac.jp/grant/KAKENHI-PROJECT-17H06775/?utm_source=chatgpt.com "KAKEN — Research Projects | A Basic Study on the Social Structure of Indus Civilization (KAKENHI-PROJECT-17H06775)"
[6]: https://link.springer.com/article/10.1007/s44327-024-00026-2?utm_source=chatgpt.com "How do archaeologists study early urban life? Institutions, generative processes, and urban order | Discover Cities"
[7]: https://www.harappa.com/content/killing-priest-king-addressing-egalitarianism-indus-civilization?utm_source=chatgpt.com "Killing the Priest-King: Addressing Egalitarianism in the Indus Civilization | Harappa"
[8]: https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-17H06775/?utm_source=chatgpt.com "KAKEN — 研究課題をさがす | インダス文明の社会構造の解明を目的とした基礎的研究 (KAKENHI-PROJECT-17H06775)"
近年、モヘンジョダロのような**「権力者不在の都市」**を手がかりに、現代の都市や社会のあり方を見直そうとする議論が、考古学・人類学・社会哲学などの分野で少しずつ注目されているという。ChatGPTに代表的な主張をいくつか紹介してもらった。
近年、モヘンジョダロのような**「権力者不在の都市」**を手がかりに、現代の都市や社会のあり方を見直そうとする議論が、考古学・人類学・社会哲学などの分野で少しずつ注目されています。代表的な主張をいくつか紹介します。
- 「権力なき秩序」としての都市モデル
インダス文明の都市(モヘンジョダロやハラッパーなど)は、王宮や大神殿がなく、身分差を示す遺構もほとんど見つかっていません。
これをもとに、
- 都市とは必ずしも支配構造や強制的統治を前提としない
- 自律的で水平的なネットワークによって秩序を保つことができる
という**「非ヒエラルキー型都市論」**が一部の研究者により提唱されています。
考古学者のグレアム・ハンコック(Graham Hancock)やデヴィッド・グレーバー(David Graeber)らが、こうした視点を「初期都市の多様性」として強調しています。
- デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングロウ『万物の黎明(The Dawn of Everything)』(2021)
この本は、インダス文明を含む古代都市の再評価に大きな影響を与えました。
彼らは、
> 「都市=支配」「文明=国家」という進化史観は誤りであり、初期都市には自由で平等な共同体も多かった。
と主張しています。
モヘンジョダロはその代表例として挙げられ、**「権威を持たない高度な社会」**の実例とされています。
この議論は現代の都市計画・社会運動にもつながり、
- コミュニティ主導のまちづくり
- 協働型ガバナンス(共治)
- 分散型自治(Decentralized Urbanism)
などの理論に影響を与えています。
- 現代思想・建築界での応用
- **坂本龍一や内田樹ら**が提唱した「都市のやわらかい連帯」や「中央のない都市」などの発想は、インダス的都市像に通じます。
- 建築家・隈研吾は「弱い建築」「小さな公共空間」として、権威的な中心を持たない構造を提案しています。
- 社会哲学では、**伊藤亜紗『手の倫理』**や**東浩紀『一般意志2.0』**などが、中央集権的秩序からの脱却を都市的メタファーで論じています。
- 関連する現代的潮流
- **コモンズ都市論(Urban Commons Theory)**:市民による共有資源の管理を軸に都市を再構築する思想。
- **ポスト資本主義都市論**:経済的支配関係を前提としない都市共生の実験(例:バルセロナの「コモンズ経済」)。
- **アナーキック・プランニング(Anarchic Urbanism)**:小規模自治や自律的集合住宅を基礎にした都市設計。
- ### まとめ
> インダス文明の都市像=「中央権力のない都市」
> 現代の再解釈=「分散的・協働的・共生的な都市」
羽仁五郎の『都市の論理』が「都市=人間解放の舞台」として読まれたように、
『万物の黎明』以降の議論では、**「都市=権力から自由な共生空間」**として再び見直されつつあります。
不定期ながら次回に続く。
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