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じぶん更新日記
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【本日の話題】始発前の新幹線線路上を走る保守用車/3か月でマスターする古代文明(4)モヘンジョダロの謎(3)バッファとしての役割/消滅した理由


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 新幹線始発より1時間以上早い04時45分~47分頃、線路上を西方向に走る作業車(保守用車)。この日は、少なくとも2種類が1~2分の間隔を置いて走行していた。この時間帯に作業車が通ることは半年程前から知っていたが、今回初めて撮影に成功した。

2025年11月12日(水)


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【小さな話題】3か月でマスターする古代文明(4)モヘンジョダロの謎(3)バッファとしての役割/消滅した理由

 昨日の続き。

 放送の終わりのあたりでは、モヘンジョダロなどのインダスの都市がなぜ消滅したのかが語られた。
 一般論として、都市の消滅の原因としては、他国の侵略、大規模自然災害、気候変動、パンデミック、競合都市の出現による衰退などが挙げられるかと思うが、今回の放送では、まずインダスの都市の役割を明示した上で、その役割が無くなった(その場に都市として存在する必要が失われた)という興味深い仮説が紹介された。

 放送ではまず、インダスの諸都市の性格として「バッファ(緩衝地帯)」という言葉が説明された。小茄子川さんによれば、インダスの諸都市は、南メソポタミアからインダスの地域社会を守るためのバッファとして機能していた。都市がバッファとして機能することによって、南メソポタミア的な危険な暴力性が和らいだり、もしくはバッファを通過すると暴力的なものだったものが自分たちの価値観に合うように変化したり、そういうような空間として都市が作られた可能性があるという。

 関雄二さんからは、メソポタミアの回のところで、集落の人々が闘争があって命からがら逃げて仕方なく北メソポタミアの都市を作ったという事例に言及された。いっぽうインダスの都市はメソポタミアからかなり離れており、メソポタミアの暗黙の圧力・政治・都市の魅力が来た時にインダスの人々は似たような都市は作りつつ、そこを緩衝地帯としてうまく使っていたと指摘された。但し、南メソポタミアとの緩衝地帯を経由した交易は殆ど行われず、緩衝地帯の中だけで回る独自の交易のシステムが作られた。つまり、緩衝地帯として作られたものの、その後の使われ方もまた南メソポタミアの都市とは違ったものになった。

 小茄子川さんは、古代都市というと権力にフォーカスを合わせがちであるが、インダスの場合はその逆で、権力を拒絶するという目的でインダスの地域社会の人々が作り上げた空間であった可能性もあると論じた。

 インダスの都市は強大な権力を生まず、国家も作らず700年続いたが、紀元前2000年から紀元前1900年頃、人々は突然都市を使わなくなった。その理由は諸説ある。
  1. 気候変動 
    乾燥化が進み人々は降雨量の多い地域に移動しそれまでの都市を使わなくなった。
  2. 国際関係の変化
    この時期、インダスと南メソポタミアとの間にオクサス文明やペルシャ湾岸地域の文明が生まれ、新たにバッファの役目を果たすようになった。


 小茄子川さんは上記2.に関してさらに以下のように論じられた【要約・改変あり】。
  • バッファが外にできたことで、インダス平原に自前でバッファの役割を果たす都市を作る必要は無くなった。都市は用を終えた。これにより、文字、印章、おもり、ビーズも一切消えた。
  • よくよく考えてみると、もともとインダス平原の人々は都市なんていらなかった。都市が無くなると、都市が無かった頃の地域社会で暮らしていた状態に戻ったと説明することもできる。


 インダスの文明についての研究が現代の私たちに何を教えてくれるのかについて、関雄二さんは以下のようにまとめておられた【要約・改変あり】。
  • インダスの都市の成り立ちや役割はメソポタミアとはずいぶんと違う。
  • メソポタミアの都市はヨーロッパの農村と都市のあり方の原型になった。
  • やがてヨーロッパの中で都市を考える考古学者や歴史学者が生まれてくるが、その中ではメソポタミアのパターンが根強く残ってしまい、インダス文明的な都市のあり方は除外されてきたところがある。
  • そのような点で、インダス文明は都市の多様性そ認識することができた。


 最後に小茄子川さんは、
都市を作ることは、イコール、国家をめざすこととイメージしがちだが、インダスの場合は都市を作ったからこそ国家に行き着いていない。古代社会、古代文明というと都市とか国家とか、トップダウン式の構造がなければいけないだろうと私たちは見がちだが、古代社会、古代文明を見ると、もっともっと人類は想像力豊かで、さまざまな社会のあり方を作ってきた、ということをバッファ、モヘンジョダロを作ったインダス文明の人々は私たちに語りかけ教えてくれているのではないか。
とまとめられた【要約・改変あり】。

 放送の最後のところではドローンによるモヘンジョダロの空撮映像とともに、
南アジアで本格的な国家ができるのはそれから1500年後の紀元前500年頃、西アジアのアケメネス朝ペルシャがインダス川流域まで版図を広げてきた時期。王が権力を持ち軍隊を備えた国が登場した。王も武器もない文明、それは4000年以上の時を経た今なお異彩を放っている。


 ここからは私の感想・考察を述べる。
 まず、前にも述べたがモヘンジョダロというと空撮映像でレンガを積み上げた広大な都市の後が紹介されることが多いが、実際は新しく土を固めて作ったレンガで復元されたものであり、4000年前の状態がそのまま残されていたというわけではない【2024年1月7日から1月10日の写真参照】。見た目には、モヘンジョダロで生活していた人々がある日突然姿を消したかのような印象を受けるが、それはあくまで復元された状態を見ているからに過ぎない。なので、なぜあのような都市が消滅したのかを考える際には、出土品に使用可能なものがどれだけあるか【←それらが多ければ慌てて移住した証拠になる】なども調べる必要があるだろう。

 消滅した原因はまた、長期的な衰退と、短期的な移住の2つ以上があると思われる。バッファーとしての役割を終えたというのは長期的な原因、いっぽう洪水とか日照りは短期的な移住の原因になる。

 放送でイマイチ分からなかったのは、インダスの諸都市の間には交易のネットワークがあったということ。バッファの役割があったとしても無かったとしても、都市間の交易はそれなりに存続していたはずで、なぜ都市の無い地域社会に戻ったのかはよく分からないところがある。

 都市というと、私が高校生の頃、当時の学生運動に思想的な影響を与えた本があった。確か『都市の論理』(羽仁五郎)という本であったが、理系人間の私自身は興味が持てず、神田の古本屋で立ち読みしても全く理解できなかった。そこに書かれていることと、インダスの都市と関係があるのかどうかも不明。



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