【連載】3か月でマスターする古代文明(20)エジプト(3)ピラミッドが造られなくなった理由
すっかり間が空いてしまったが、2月27日に続いて、表記の番組についてのメモと感想。
引き続き、
●2025年10月22日初回放送 (4)エジプト ピラミッドと黄金が王国を変えた
について考察する。
前回までのところではピラミッド建造が国造りや繁栄に寄与したという面が指摘されていたが、であるなら、なぜその後はそれが途絶えてしまったのかも同時に説明する必要がある。放送ではピラミッドが造られなくなった理由として以下のような点を挙げていた【要約・改変あり】。
- ピラミッドの数が増えるにつれて、神官への支払いや王の供養のための農作物が膨れ上がった。その重みがやがて国を圧迫し古王国の衰退をもたらした。
- ピラミッドの発展で官僚機構が整備されていくと役人への再分配も増大し、重い負担となった。古王国時代ではその後気候の悪化もあり、ピラミッドの建設によってできあがった国のシステムが逆に人々の首を絞める結果となった。
- ピラミッド時代からおよそ1000年後の新王国では。アブ・シンベル神殿を築いたラムセス2世やツタンカーメンなど名だたる王が登場し、ピラミッドに代わる新たな象徴が繁栄をもたらした。
新王国の繁栄をもたらしたのは黄金であった。
- 当時エジプトの支配下にあったヌビアで金の採掘を活発に行った。
- 黄金は外交の切り札にもなった。エジプトはその黄金の力を活用し、周辺のミケーネ、ヒッタイト、ミタンニ、バビロニアなどとの交易を勧めながら領土を拡大、オリエントの大国として圧倒的な存在感を放った。
しかしその金も無尽蔵にあったわけではない。近年の研究によれば、金が大量に使われていた王の墓に対して国ぐるみの盗掘があったことが明らかになっている。第21王朝 大司祭のピネジェム1世の棺を見ると、手の部分のみに金箔が残っており、それ以外の棺全面を覆っていた金は当時の神官たちの手で剥ぎ取られたことが分かる。新王国の末期、エジプトは気候変動、異民族の侵入、ヌビアを奪われ金の採掘ができなくなったことで国家レベルで金の再利用がはかられた。
ファラオの威信も低下し、王様は信頼できないという記述や王家の谷で働く職人がストライキを行った(=人類初のストライキ)という記録が残っているという。なお関雄二さんは、金を剥がす行為は単に経済的価値によるものではなく、過去の隆盛だった頃の王の権威を身につけたいというというような系譜的な関係を重視して自らの権威を保とうとした可能性もあると指摘しておられた。
新王国の末期、神としての王の存在感は薄れその権威も衰えていった。エジプト最後のファラオとなったクレオパトラ7世は国を挙げてローマとの戦いに挑むが敗北し、紀元前30年に終焉を迎えた。
放送の終わりでは、
- 古代エジプトはピラミッド建造を中心として繁栄のためのシステムを作ったがそのシステム自体から抜けられずに自己崩壊した
- これまでのエジプトの考古学というと、王様とかモニュメントといった目立つものが対象だったが、古代社会を考えるには王とかエリートばかりでなく社会全体をみるボトムアップの視点からの研究の余地がまだまだ残っている。
というように締めくくられた。
ここからは私の感想・考察を述べる。すでに記したように、私自身は2006年3月に皆既日食見物のおまけの日程としてピラミッド、アレキサンドリア、アブシンベル神殿、ルクソールなどを観光することができた。もともと人工的な遺跡にはあまり興味がわかず、もっぱら大自然の景観を好んでいた私にとってはこの「おまけの日程」は良い機会となった。少なくともピラミッドだけは一生に一度は間近に眺め、石に手を触れてその大きさを体感すべきであろうと思う。
古王国の時代の巨大ピラミッドはその後の経済的事情により造られなくなったが、新王国になるとピラミッドではなく神殿や豪華な墓が造られるようになった。新王国ではなぜ再び巨大ピラミッドが造られなかったのだろうか。宗教観の違い?経済的基盤の違い(古王国は農産物、新王国は黄金)? それともギザとルクソールの立地の違いによるものだろうか?
さっそくChatGPTに尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。
結論から言うと、**新王国で巨大ピラミッドが再建されなかった理由は単一ではなく、①宗教観の変化、②墓制の安全保障問題、③王権の表現方法の変化、④政治・地理条件**が重なったためと考えられています。ご提示の仮説はいずれも部分的に当たっていますが、特に重要なのは**宗教観と墓の防犯問題**です。
- 宗教観の変化(太陽神中心 → 冥界神中心)
古王国(例:ギザのピラミッド群)では、王は死後**太陽神と同一化して天空へ昇る存在**と考えられていました。
このため、ピラミッドは
* 太陽光線を象徴する形
* 王が天へ上昇する「階段」
という宗教的意味を持っていました。
しかし中王国~新王国になると宗教思想が変化します。
中心になるのは
* オシリス(冥界神)
* アメン(国家神、後にアメン=ラー)
この時代の死後観では
* 王も**冥界を旅して再生する**
* 太陽神の夜の航海(冥界通過)
という思想が強くなります。
そのため墓の構造は
* **地下世界を模した長い墓道**
* 冥界書の壁画
へと変わります。
この思想を最もよく表すのが王家の谷の地下墓です。
つまり**「天へ上がる墓(ピラミッド)」から「地下世界へ入る墓」へ思想が変わった**という面があります。
- 墓荒らし問題(非常に重要)
ピラミッドは巨大で目立つため、**盗掘の標的**になりました。
実際
* 古王国の王の墓はほぼすべて盗掘
* ミイラや副葬品はほとんど消失しています。
新王国ではこれを避けるため
* 墓を**断崖の奥に隠す**
* 神殿と墓を**分離**
する方式が採用されました。
例
王の墓 → 王家の谷
葬祭神殿 → ハトシェプスト女王葬祭殿
つまり
**ピラミッドは「目立ちすぎて危険」だった**のです。
- 王権の表現方法の変化
古王国
→ 王の権威を示す象徴は **巨大建造物(ピラミッド)**
新王国
→ 権威は **巨大神殿と戦争の勝利**
に変化します。
新王国はエジプト史上最も軍事国家的な時代で、
代表例
* カルナック神殿
* ルクソール神殿
* ラムセス2世 の巨大建築
など、**神殿が国家威信の中心**になります。
つまり
**「王の墓」より「国家神殿」が政治的に重要になった**。
- 地理・政治条件
古王国の中心
→ メンフィス
→ 近くに石灰岩台地(ギザなど)
新王国の中心
→ テーベ
(現在のルクソール)
テーベの西岸には
* 石灰岩の断崖
* 谷地形
があり、**地下墓を作るのに非常に適していました**。
したがって
* ギザ → ピラミッド向き
* 王家の谷 → 隠された岩窟墓向き
という地形差も影響しています。
- まとめ
新王国で巨大ピラミッドが造られなかった理由は次の複合要因です。
- **死生観の変化**(天昇 → 冥界旅行)
- **盗掘対策**(目立つ墓を避ける)
- **王権表現の変化**(神殿建築中心)
- **テーベの地形**(岩窟墓に適する)
この中で歴史学者が最も重視するのは**「盗掘対策+宗教観の変化」**です。
もしご関心があればですが、**「実は新王国でも“ピラミッド思想”は完全には消えていない」**
という少し面白い研究があります。
王家の谷の墓や葬祭殿の設計には、**隠れたピラミッド象徴**が残っているという説です。
これを説明するとエジプト建築史の流れがかなり立体的に見えてきます。
なるほど、よく理解できた。なお、「実は新王国でも“ピラミッド思想”は完全には消えていない」についても説明してもらったが、少々胡散臭い印象があり、ここでは省略させていただく。
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