じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真]  岡大構内七不思議(植物編)の1つ(←長谷川が勝手に選んだ)、落ちない銀杏のその後。12月7日の日記で、やっと黄葉が始まったことをお伝えしたが、冬至の日になってもまだかなりの葉をつけている。

 これが私の土地に生えていたとしたら、木の前に祠でも建てて、合格祈願のごりやくありと宣伝するところだ。

 ちなみに、私が勝手に作った岡大構内七不思議(植物編2004年版)とは
  1. 落ちない銀杏(この写真)
  2. 落ちないアメリカフウ
  3. 落ちない枝
  4. 半田山のイエローバンド
  5. 六高菊桜この木は移植後、今年の秋に枯れてしまったが、最近になって、同じ木から採穂した苗木が近くに植えられた。
  6. 奇妙なキノコ
  7. 楷の木の部分紅葉


12月21日(火)

【思ったこと】
_41221(火)[日記]なぜWeb日記を書くか(2004年版)

 最近、このことで某新聞社から取材の申込みがあった。1998年7月8日の日記や、1999年5月20日の日記翌日の日記に続編あり)にも記したように、私は、

●質問に答える暇があったら日記執筆のほうの時間を優先させて、2倍、3倍の長さの日記を書く

という主義を貫いている。とりあえず私のWeb日記の関連記事をお読みください、とお願いしたところであるが、1999年当時にこの話題を取り上げた時から5年以上経って多少考えも変わってきているので、これを機会に、2004年版「なぜWeb日記を書くか」について自分の考えを述べてみたい。

 さて、ひとくちに「Web日記を書く」というが、それらは、「日記を執筆する」、「日記を発信する」、「他者と交流する」という3本の柱から成り立っているというのが私の基本的な考え方だ。そして、それぞれにおいてメリット(=行動の強化因)があり、かつデメリット(=行動の弱化因)が少ないことが、Web日記を長続きさせる条件になっていると思う。このうちの「日記を執筆する」だけが強化因になっている人の場合は、昔からの日記帳やハードディスクなどに個人的に記録するだけの日記を書いても同じことである。




 まず、なぜ「日記を執筆する」のかについて。私の場合、主として
  1. その日に体験したこと、新しく知ったことなどを忘れないうちに記しておく。
  2. 執筆する時間帯を厳格に守ることで、規則的な日常生活を実現する。
という2点にその意義を見出している。

 例えば、講演会やシンポジウムに参加したとする。私の場合は特に物忘れが激しいので、せっかくためになる話を聞いても、一週間もたてばすっかり忘れてしまう。忘れる前に日記にまとめて、自分の感想を加えておけば、あとでいろいろな形で利用できる。その実践例が、学会参加、行事等の累積記録や、FD関係の研修会参加報告である。

 2.に関して言えば、私は、日記の執筆時間を朝の7時から8時と決めている。裁量労働制導入で出勤時刻の規程は消滅してしまったが、とにかく8時までには日記を書き上げ日記才人に更新報告を出すように心がけている。完璧さを求めてダラダラと長時間執筆していると、時には「自信作」も完成するだろうが、けっきょく執筆時間が日常生活を蝕むこととなり長続きしないように思う。




 次に、なぜ「発信するのか」であるが、私が考える意義としては
  1. いくら個人日記とはいえ、人に見せる以上はそれなりの責任が伴う。いい加減なことは書けない。そのように意識することで、断片的な知識やアイデアが多少なりともまとまった文章の形になってくる。
  2. 上記1.とは多少矛盾するが、「これは私の公式見解ではなく個人日記である」という前提で書くため、まだ固まらないアイデアや主張を気楽に表明することができる。
  3. 読者の方から貴重な参考情報をいただいたり、私自身の思い違いを指摘してもらうことができる。
という3点が挙げられる。




 最後のなぜ「他者と交流するのか」であるが、ここでいう交流とは、たまに交わされるメッセージ交換、あるいは、自分の日記で他者の記述を引用する程度の限定的なレベルにとどまる。「私生活に干渉しない」、「手紙と違って返事を書く義務が無い」、「世代や職業の違いなどに気遣う必要が無い」、「実際に会うわけではないのでそのための時間を拘束されない」などといった気楽さを前提とした交流であるとも言えよう。

 ある問題に関する主張をただ単に知りたいだけなら、新聞や雑誌に掲載される論説やエッセイなどを読めばよい。しかし、見ず知らずの評論家に理屈を並べ立てられても、「あなたの言っていることは正しい。でも私はそれに従って行動するつもりはない。」と受け止められるだけかもしれない。けっきょく、意見や主張というのは、多かれ少なかれそれを発する人の生活の文脈に根ざしているものだ。

 一方、毎日執筆されているWeb日記の中である種の意見が表明された場合、その日記の読者は、なぜその人がそういう主張を展開するようになったのかということを、日記の文脈の中から納得することができる。

 生活雑記系の日記を読むことに関しては、上記とは別に、ある種の「共生感」みたいなものがあるように思う。辛いことがあった日に他者の日記にふれることで、ああこの人も頑張っているんだなあ、といったある種の連帯感が生まれることもある。私生活に干渉されるのはイヤだが、完全な孤独にもなりたくないという人にはうってつけの世界であるとも言える。




 最後に、毎年11月頃になると(←ちょっと遅いのでは)、卒論や修論のテーマとしてWeb日記を取り上げたいという学生からのアンケート依頼が来ることが多い。しかし、「Web日記をなぜ書くのか」などというのを質問紙で調査したところで調べられることは外形的、表層的なレベルにとどまるだろう。100個のWeb日記について調べようと思ったら、まずはそれらを読むことだろう。平均値や比率は無意味。Web日記を書く共通の理由を探ることよりも、どれだけ多様な理由があるのかを質的に分析したほうが、得られる成果は大きいと思う。