じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 岡大事務局前にある「六高菊桜」。岡大構内七名樹を選ぶとしたら真っ先に候補に挙がりそうな由緒ある桜だ。右は一年前に撮影したもので、昨年4/30の日記にアップしてある。一年前とほぼ同じ枝振りだが、花のつきかたが微妙に違う。 [今日の写真]



4月21日(土)

【思ったこと】
_10421(土)[心理]和田秀樹氏の『痛快!心理学』と行動分析(3)心はソフトウェアか?

 本年1/29の日記以来の連載。じつは、非常勤講師として出講している某看護学院の「心理学」のテキストとして、今年からこの『痛快!心理学』(和田秀樹、2000年、集英社インターナショナル、ISBN4-7976-7022-3)を使うことにした。この本は非常に分かりやすく、受講生の興味を持たせるには十分な内容を取り込んでいると思うが、私の立場から見ると不満も多い。あえて教科書に採用したのは、「教科書に書いてある通りに学ぼう」というよりも、教科書の立場と私の立場を比較対照しながら解説したほうが、多面的でクリティカルな目が養えると判断したためである。

 さて、『痛快!心理学』の第一章では、「心」について
脳と心の関係を考える場合、もっともわかりやすい例はコンピュータだと私は思っています。

 つまり、心というのは脳に組みこまれたソフトウェアなのだと考えるのが、もっとも現実に近いのです。パソコンが「ハードウェア」と「ソフトウェア」によって成り立っているように、脳にもハードとソフトがあるのです。
というように語られている。そしてさらに
  • 心理学とは、その「脳のソフト」がどのように働いているのかを解明する学問です。
    .....どの心理学も、その目的を突き詰めていけば、「脳のソフトがどのように「動いているのか」を解き明かそうとする学問だと言えるのです。
  • 心理学では、直接ソフトを解析することは,諦めるしかありません。その代わり、アウトプット、つまり「心というソフトウェアが働いた結果、何が起きたか」を研究することで、ソフトの働きを想像しようとするのです。
     そこで心理学者たちは、人間や動物の行動を観察します。行動こそ、「脳のソフト」からのアウトプットであり、外から見える唯一の手がかりだからです。
というように、コンピュータのソフトウェアに例える形で「心=ブラックボックス」論を唱えておられた。

 この「心=ブラックボックス」論は、和田氏のオリジナルの心理学論ではない。しばしば言及されるところの、「S→O→R」理論と殆ど同じことを言っているにすぎない。ここで、Sは"stimulus"(刺激)、Rは"response"(反応)、Oは"organism"(生体)をあらわし、一般には新行動主義(neo-behaviorism)の立場として概論書に紹介されている。

 また、「S→O→R」の枠組みは、「人間を一種の情報処理システムとみなして、そのしくみやはたらきをモデル化してとらえようとする」認知心理学の発想にも通じるところがある。



 さて、和田氏が言うように「どの心理学も、その目的を突き詰めていけば、「脳のソフトがどのように「動いているのか」を解き明かそうとする学問」だと言えるのだろうか。「心」を「ブラックボックス」あるいは「ソフトウェア」に例えてしまって本当によいのだろうか。

 結論から先に言えば、「S→O→R」的な発想は、

●生物はその本質として、外界に能動的に働きかける性質をもっている。
●外界への働きかけの度合いは、その結果によって統制される。 
という側面(本年2月22日の日記参照)を見落としているという点で致命的な欠陥があると私は考えている。

 では、「R→S」あるいは「R(反応)→C(consequence、結果)」とでもすれば、能動的な行動は表現できるのだろうか。この図式は一面では「直前→行動→直後」という随伴性ダイアグラムと同じようにも見える。但し、随伴性ダイアグラムで表される強化や弱化の図式は、一方通行的な矢印で示される1回限り・固定的な図式とは明らかに異なる。行動の直後にある変化は次の行動の直前条件に転化し、さらにそこでまた、次の行動、次の結果が随伴していくのである。この螺旋状のインタラクションを捉えない限りは、
  • なぜその行動を続けているのか
  • なぜその行動をたくさんするようになったのか
  • なぜその行動はなかなか起こらないのか
  • なぜ、その行動をやめてしまったのか
といった謎に答えることはできない。



 もとの話題に戻るが、心に相当するソフトウェアは確かに存在するだろう。しかし、それを動かす主体を曖昧にしたままでは、行動の本質は分からない。 和田氏のオリジナルは
どんなに立派なハードがあっても、ソフトがなければパソコンは動きません。それと同じように、人間も心というソフトがなければ行動できないのです。[p.10]
と言っておられるが、ソフトを利用する能動的な存在が無ければパソコンは動かない。ソフトは必要条件ではあるが十分条件にはなっていない。

 結局のところ「S→O→R」という発想は、人間を、入れられたお金を計算し、押されたボタンに対応して、キップとお釣りを出すだけ自動券売機と同等に見なしてしまうだけのものと言えよう。

 こうした反省は、認知心理学の中にもあるようだ。市川伸一氏は、『心理学研究法入門:調査・実験から実践まで』(南風原朝和・市川伸一・下山晴彦、2001、ISBN4-13-012035-2)の中の「第1章 心理学の研究とは何か」で
.....これに対して,1980年代半ばから状況論(situation theory)という立場が登場する.状況論は,行動主義にしても,情報処理的な認知心理学にしても,人間の知的行為を個体単位でとらえすぎているといって批判する......認知心理学のように知識,目標,計画といった観点から内的過程の用語を使って行動を説明するのではなく,環境内で道具や他者と関わりながら知的行動が発現するようすを描くことになる.[p.96]
と述べているが、じつは「環境内で道具や他者と関わりながら知的行動が発現するようす」こそが、オペラント強化のプロセスなのである。