じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 11月15日の日記にも掲載した、岡大名物の「落ちない銀杏」。大部分の銀杏がすでに落葉している中で、やっと黄葉が始まった。この日記では「落ちない」と呼んでいるが、年内にはすべての葉っぱが落ちる見込み。


12月7日(火)

【ちょっと思ったこと】

TVクレームセンター

 夕食時に、『TVクレームセンター 悪徳業者にはダマされないゾ!』という番組の中の、「通販」と「ぼったくり葬儀屋(+ぼったくり僧侶)」の部分を視た。

 「通販」でなるほどと思ったのは、タラバガニ贈答品の話だ。カタログで3kgのタラバガニを注文しても、実際には2kg少々のスカスカのカニしか送られないことがある。にも関わらずクレームが少ないのは、注文主と違う所に送られるからだ。貰った側は、注文品が3kgであるかどうかを知らないし、わざわざ重さを量ったりしない。それにつけこんで、不正を承知で、カタログ表示と異なる安物を送る。万が一クレームがついた時に限って「発送を間違えました」と、ちゃんとした品を送れば、それ以上のクレームはつかない。

 なお、番組によれば、タラバガニより価格の安いアブラガニ(こちらに見分け方あり)でごまかす業者もいるという。といっても、一匹だけ送られてきた時にわざわざ鑑定をする人はそうはおるまい。

 余談だが、タラバガニは実はカニではなくヤドカリの仲間。こちらの写真にもあるように、普通のカニとは足の数が違う。このこともクレームの対象になるのではないかと思ったが、番組では言及されなかった。

 もう1つの話題は、ぼったくりの葬儀屋の話。葬儀を出す家の資産や喪主の身なりなどを見て、ぼったくりをもくろむ悪徳業者もいるらしい(そういえば、日記才人の前身である日記猿人時代に「葬儀屋の悪だくみ」という有益情報満載の日記があった。インターネット図書館にはちゃんと蔵書が残っている。)。

 実際には悪徳葬儀社はごく少数であり、誇大に取り上げて警鐘をならすほどのことはないと思うが、葬儀産業の情報網が相当のものであることは知っておくべきだろう。例えば、自宅外(斎場など)で葬儀をすれば関係者以外には喪主の住所が知られることは無いはず。ところが、数日も経てば、有名デパートの営業マンが入れ替わり立ち替わり香典返しのセールスにやってくる。

 「ぼったくり葬儀社」がはびこる根本的な原因は、日本人の多くが実質無宗教であり、日頃、お寺(神社、キリスト教会など)との交流がなく、死んでから慌ててお寺を探すということにあるのではないかと思う。どうせなら無宗教のお別れ会だけにとどめればよいと思うのだが、いろいろなしがらみや世間体から、ついつい「普通はこういうふうにしています」という業者の勧めを鵜呑みにしてしまい、檀家としてお寺に貢献しているわけでもないのにカネだけで戒名を買おうとしてしまう。

【思ったこと】
_41207(火)[心理]心の罠は「みんな、いい人ばかり」

[今日の写真]  10月頃から、大学構内の食堂前や自転車置き場や講義棟入口付近などで、小さい紙切れを持った2人組が一人者の学生に頻繁に声をかける行為が目立つようになった。ちょっと立ち止まって観察してみればすぐに分かることだが、彼らは、ケータイで連絡をとりながら4〜5組で動き回り、昼休みや放課後を中心にほぼ毎日、一人で歩いている学生をねらい打ちして声をかけている。サークルの自発的な勧誘活動としては明らかに度が過ぎており、カルト宗教系の組織的な勧誘活動であることは見え見えだ。

 そんなこともあって、しつこい勧誘について情報求むというサイトを新設したところ、さっそくいくつかの情報が寄せられてきた。また、私の所に直接話しにやってきた学生もいた。

 それによれば、メンバーは同じ(但し最近は新顔が増えている)だが、誘いかけの内容は6月頃は「国際交流に興味はないか」、また、アパートに直接やってきた時には「人生で欠けているところは無いか」というように時期によって異なっていることが分かった。以前に学生から聞いた話の中には、「インカレサークルの案内です」、「奉仕活動に興味はありませんか」、「教養講座にどうぞ」という誘いかけもあるようだ。

 ある女子学生の場合は6月頃、大学構内で「国際交流に興味無いか」と誘われ、ちょうどサークルに入ろうと思っていた時期なのでそれに応じたところ、大学近くの個人の住居のようなところに連れて行かれ、人生についてあれこれと話を聞かされた。2回目以降はビデオを見せられたりしたが、友達に相談したところやめたほうがいいと言われた。都合をつけて断ろうとすると執拗に次回の約束を求めに来たが、現在では何とか手を切っているというような内容であった。




 この種の勧誘については、入学時オリエンテーションの配布文書や、講義棟入口付近の掲示などで注意を呼びかけており、また私が担当する教養科目の授業では1回目にマインドコントロールを話題としたビデオを上映している。それでもなお、年に数十名規模で勧誘され、それが原因で長期欠席したり留年、除籍を余儀なくされるケースが出ている。ご両親にしてみれば、大切に育て、夢と希望いっぱいの明るい笑顔で大学に入学した自分の子がいつのまにか音信不通となり、あげくのはてに卒業単位不足で除籍になったとなれば、たまったものではない。いくら言論、結社、信仰の自由を保障せよといっても、学業に支障が出るような度を過ぎた活動を放置するわけにはいかない。もう少し有効な対策はとれないものだろうか。




 このことでふと気づいたのは、実際に勧誘を受けた女子学生が「みんな、いい人ばかりだったので...」と語っていたことである。カルト宗教から脱会した元信者の証言を記録したビデオなどを視ても同様であり、

●カルト宗教団体がそういう形の勧誘をしていることは前から知っていた。でも私に会いに来た人がとってもいい人だったので、この人たちの言うことなら本当だろうと思って...

と語られることが多いのは少々意外。しかし実は、「とってもいい人」という表現にこそ心の罠があるということに最近になって気づいた。

 もちろん、勧誘者たちもマインドコントロールされているだけであって、主体的に振る舞う「いい人」ではない。しかし、正しいと信じる「純粋な気持ち」で誘いをかけるので、いったん交流を始めればそう簡単には断れなくなる。そして、実は騙されていたと気づく段階にはすでに、価値観が破壊され、その組織の言うことが唯一真実であると思いこむようになっしまっているので、もはや「私を騙していたのね」という気持ちにはならない。




 となると、いくら大学当局が配布物や掲示で注意を呼びかけ、そのことが知識として身に付いていたとしても、勧誘者が「とてもいい人」に見えれば、それらの公的注意はほとんど意味をなさないということになる。

 残念なことに、現実の世界には「とてもいい人」などそんなに居るものではない。勧誘への注意呼びかけも、児童連れ去りやオレオレ詐欺への注意呼びかけもみなそうだが、要するに「簡単に人を信じてはいけない」、極言すれば「人を信じるな」というキャンペーンを展開しているようなものである。

 いっぽう、親元を離れて独り暮らしを始めた学生にとって、世間はあまりにも冷たい。やさしく声をかけてくれる人も、自分の価値を認めてくれる人も居ない。そんななかで、執拗とはいえ自分の存在を丸ごと認めてくれて(←本当は「対象者」にさせられているだけなのだが)、積極的な関わりを求めてくる勧誘者はどうしても「とてもいい人」に見えてくるのだろう。

 ということで、本日の結論(←ちょっとパクリ)。
「騙されてはいけない」と注意を呼びかけるだけでは、カルト宗教の勧誘は阻止できない。「とてもいい人」をいっぱい増やすか、もしくは、とてもいい人に出会えなくてもしっかり生きていかれるだけのサポート体制を確立しなければ、毎年、何十名かの学生はそれに染まってしまうだろう。