じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2009年版・岡山大学構内の紅葉(14)コスモスから紅葉へ。

 農場のコスモス畑の花がしだいにまばらになってきた。いっぽう、半田山の紅葉・黄葉はいよいよ本番。山麓の黄葉の帯(イエローバンド)もそろそろ出現。「イエローバンド」については2006年11月21日や、2006年11月24日の日記を参照。


11月15日(日)

【思ったこと】
_91115(日)[心理]能動的離脱論の老後を目ざす(4)クリスマス・キャロルのスクルージ

 日記や、楽天版に記したように、土曜日の午前中は、MOVIX倉敷クリスマス・キャロルを観た。

 今回は、立体映画(3D映画)なるものを一度体験してみようというのが主たる目的であり、ストーリー自体は、忠臣蔵や新撰組のドラマのいろいろなバージョンを繰り返し観るのと同じようなもので、特に意外性をもたらすものではなかった。




 さて、この「クリスマス・キャロル」というのは、一口で言えば、主人公のスクルージが3人の精霊に「脅迫」されて改悛するという「キリスト教的博愛と美徳を説く、ヴィクトリア朝イギリスの典型的な「道徳訓話」」であるが、私自身は、子どもの頃に絵本で読んだ時から、どうもこの展開には100%感動できないところがあった。

 まず、これはあくまで絵本で読んだ程度の知識に基づく疑問であったのだが、スクルージは少年時代は友達から仲間はずれにされ、いつも孤独で時を過ごしていたという。しかしこれは、スクルージ自身が悪いというわけではない。

 婚約者との別れのシーンでは、「私はね、あなたが純粋な憧れや高い志を次々に失って、とうとう暴利をむさぼる執念の虜になるのを見てきたのよ。」などと言われるようだが、これだってスクルージが一方的に悪いというわけではあるまい。婚約者の女性も、スクルージがもっと自分のほうに関心を向けるように努力するべきではなかったのだろうか。

 スクルージはその後、「金がすべてで、家族を持たず、人とのきずなに背を向け、ただ己の金銭欲を満たすためだけに生きる」ことになる。しかし、絵本や映画を観る限りでは、スクルージの生活はきわめて質素。決して贅沢三昧で無駄遣いをしているわけではない。別段、寄付をしないから悪いということにはならない。貧困や病気に苦しむ人たちが大勢いるのは社会全体が悪いのであって(←スクルージが悪いというならば、国王や貴族たちのほうがもっと悪い)、決してスクルージのせいではない。

 また、ボブ・クラチットの給料が低すぎるというならば、彼はさっさと転職すればよいのである。ま、今のように雇用問題が深刻化している時代であれば、再就職は難しいかもしれないけれど...。

 そして、子どもの頃からいちばん疑問に思っていたのは、スクルージの改悛はあくまで、精霊に脅かされたことによるものであって、博愛精神に共感したからではない。行動分析学的に言えば「嫌子出現阻止の随伴性」による回避行動として心を入れ替えたにすぎない。地獄に堕ちるのはイヤだから、心を入れ替えて世のため人のために尽くしますというわけだ。もちろん、心を入れ替えた後の生活が充実したものになれば、最終的には「好子出現の随伴性」でポジティブに強化されていくことにはなるのだろうが。

 というような次第で、私は、この原作のストーリーはあまり好きでない。どうせ「改悛」するならば、何かに心を動かされ、共感するというポジティブな行動変容をたどるべきである。但し、老後がちゃんと保障され、かつ世間一般に迷惑を及ぼすような職業でないのであれば、何もわざわざ改悛せず、元のままの質素で人付き合いの少ない生活を続けていても別段悪いとは言えないようにも思う。

 なお、ネットで検索したところ、「クリスマス・キャロル」の原作は、こちらから全文閲覧できるようだ。訳本については、まだまだ著作権上の保護対象になっているのだろうか、ざっと探した限りでは見つからなかった。

 不定期ながら次回に続く。