じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
大学構内に巨大な湖出現? 実際はグランドにできた水たまりの水面スレスレから撮影したもの。写真はわざと上下を逆さにしてある。元の写真はこちら。半田山にはすでにイエローバンドが出現。



11月21日(火)

【ちょっと思ったこと】

写真療法とフォトセラピーとNPO登録商標問題

 11月22日の朝日新聞生活欄に「広がれ フォトセラピー」という記事があった(下地毅記者)。

 写真療法(フォトセラピー)とよばれる写真の活用法の実践と普及をめざす「日本写真療法家協会」が、来春のNPO法人取得をめざして設立。酒井貴子代表によれば
「写真療法」は治療や診断行為ではありません。医療や福祉の現場でひろがる芸術療法とおなじく、写真を楽しんだり撮影に夢中になったりすることで得られる充実感によって、結果的に心身によい影響をもたらすことをねらうものです。
 セラピーについてのこの種の考え方は、こちらで論じた、“「手段としてのセラピー」と、「それに関わること自体が楽しみとなるようなセラピー」"の区分のうち、後者に属するものと考えられる。

 私のように毎日、この日記や楽天版じぶん更新日記にデジカメ写真を掲載している者にとっては、特段、NPOのような団体が無くても困ることはないが、入院患者やデジカメに不慣れな方々にとっては、専門的技法を身につけたセラピストのサポートが必要となる場合も出てくるだろう。

 ところで、この種のセラピーは、学会組織ではなくNPOとして普及・実践される場合が多い。理屈ばかりこねる学者よりも、実践経験の積み重ねのほうが役立つということなのだろう。それはそれでよいのだが、NPOというとどうしても、早い者勝ちでの名称の取り合いが問題となる。今回の記事に関連してネットで検索したところ、すでに、日本フォトセラピー協会というNPOが設立されていることがわかった。そこには、“日本フォトセラピー協会」は登録商標です。"と記されており、おそらく、記事で紹介された団体はこれとは別であり、登録商標の関係で「写真療法家協会」を名乗ることになったのではないかと推測される。

 「○○セラピー」あるいは「○○療法」の呼称がどれほど一般名詞化しているか、それに関連するNPO団体の登録商標をどう扱うかは、しばしばいざこざのもとになり、また、関心を持った人たちに混乱を引き起こす。「園芸療法」関連団体なども同様。私が理事を仰せつかっている「日本ダイバージョナルセラピー協会」でも、少し前に、「ダイバージョナルセラピー」の登録商標化問題があったと聞いている。

 NPOの登録商標は、サムライ商法や架空請求詐欺を防止する上では必要不可欠であるように思う。反面、「○○セラピー」あるいは「○○療法」という呼称を登録商標として独占してしまうと、その有効性をめぐる議論や、改善・改良につながる学術的な検討を困難にする恐れがある。

 例えば

●「○○セラピー」とは「○○セラピー協会が認定しているセラピーのこと」

というように名称独占されてしまうと、「○○セラピーはこのように改善すればいい」というような学術的な議論は、団体の内部のみでしかできなくなってしまう恐れがある。科学的な効果検証から外れて、華道や茶道の流儀のようなものになってしまうわけだ。かといって、学会組織で理屈ばかりこねていても普及ははかれない。「園芸療法」や「アニマルセラピー」の場合もそうだが、どうバランスをとるか難しいところだ。

【思ったこと】
_61121(火)[教育]大学教育改革プログラム合同フォーラム(9)特色GP分科会(4)

 昨日の続き。GPの事例報告というと、文科省役人や審査委員の手前、失敗や反省点は目立たせず、成果のみを自画自賛する傾向がなきにしもあらずだが、今回の

●解がない問題への自己組織的アプローチ〜実社会で役立つ力の養成〜

のKH大学の事例報告は、反省や改善の様子が具体的に紹介されていて大いに参考になった。

 共同作業の一員として「最小限のルール」を守り責任を果たしていくことは、「社会人としてのモラル」を身につけることにも繋がる。グループの中に非協力的な学生が居ると「あいつは自分勝手で無責任なヤツだ」と悪口を言い、責任をなすりつけ合う傾向が出てしまいがちであるが、そういうことの改善を達成目標の1つに含めてしまうことができるなら画期的なことだと思う。つまり、研究の成果に期待するよりも、プロジェクトとして共同作業を遂行するプロセス自体が教育目的となるのである。

 KH大学と言えば、2001年の研修会の時に、「教室も教員室もすべて丸見えの大学」、「教科別学習に代えてプロジェクト制学習が採用され、学生は入学から卒業までポートフォリオを作成する」といった斬新な発想でカルチャーショックを受けたことがあった。あれから5年が経過、着実に発展をとげておられる様子であった。




 分科会ではもう1件、短期大学部の事例紹介があった。地域密着の体験型教育の中で、“知的障がい者へのイメージが良くなった"、“共に生きる感性(「ともいき」と呼ぶらしい)が育まれた"、などの成果が報告されていた。短期大学2年間という短いサイクルでの交流では、地域住民や知的障がい者や高齢者側にとって、慌ただしすぎないかという点が若干気になったが、学生が入れ替わっても持続的な交流が続けられているように見受けられた。




 18年度の特色GPは課程ごと(学士課程、短期大学士課程、修士課程)に分けて審査を行ったということで、それはそれでよいのだが、できれば、分科会のほうもそれに合わせて課程ごとに開催していただくとありがたかった。短期大学部の発表も大いに参考にはなったが、できれば、学士課程の事例報告数をもう少し増やして欲しかった。

 次回に続く。