じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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月と金星。

 11月15日早朝の月と金星。月齢は27.7。先月の写真が、10月14日の日記にあり。金星が太陽の向こう側に回り込むように移動しているため、しだいに地平線に近くなっており、月と金星のツーショットの撮影が難しくなってきた。


11月14日(土)

【思ったこと】
_91114(土)[心理]立体映画(3D映画)初体験

 楽天版にも記したように、14日の午前中、倉敷まで立体映画を観に行ってきた。

 立体映画(3D映画)というのは、だいぶ前、どこかの水族館のシアターで10分間程度の体験映像を見たと記憶しているが、本格的な映画として観るのは今回が初めてであった。

 楽天版にも書いたが、最初のうちは、メガネの調子が悪くて画像が二重に見えたままであったが、取り替えてもらってやっと立体画像を楽しむことができた。メガネの中央部に切り替えボタンがあるというような話もあったが操作法はよく分からなかった。立体視は、両眼の輻輳や運動視差などで強調されることは知っていたが、ウィキペディアによると、映画でこれを実現する方法としては、「アナグラフ式」、「偏光眼鏡式」、「液晶シャッター式」、「円偏光式」というように少なくとも4種類が考案されているようである。デジタル3Dの場合は、さらに、劇場によって「real D」、「Dolby 3D」、「XpanD」の3種類があるというが、専門的なことはわからんなあ。

 ちなみに、こちらのリストによれば、2009年11月現在でデジタル3Dに対応している劇場は、岡山県内ではMOVIX倉敷のみであって、岡山市内には今のところ存在していない模様である。もっとも、岡山市内からMOVIX倉敷までは車で30〜40分程度でそれほど遠くなく、しかも駐車料無料。いっぽう、岡山市内中心部の映画館は駐車料金がかかるし(割引サービスはあるが)、時間的にも倉敷に行く場合と大差ない。自家用車利用を前提とする限りは、倉敷のほうが便利と言えないこともない。

 この立体映画は確かに迫力があるが、これはあくまで、登場順物が近づいた時、猛スピードで移動した時、雪が降るような風景(←観客の頭の上から雪が降るように見たりする)など、一部のシーンで臨場感を演出しているにすぎないという印象も無いわけではない。他方、「視点を強制されている」という圧迫感のようなものも感じた。

 地デジの高画質映像で、有名人が世界遺産を紹介する番組を例に挙げてみよう。有名人が壮大な風景をバックにして何かをしゃべっている時、視聴者は必ずしもその有名人の顔を見ているわけではなく、むしろ、背景の建物や大自然の風景に見とれているのかもしれない。観る側の自由意志によって視点を変えられるからこそ、何となくその場所を旅行しているような気持ちになれるのである。

 しかし、立体映画の場合は、私の知る限りでは、主人公が立体的に見えている時は、背景はどうしてもぼやけてしまう。普通の写真で言えば、特定の被写体にピントを合わせて、被写体深度を浅くして撮影しているようなものである。

 ひとくちに立体感と言っても、運動視差だけを利用した場合(移動する時、近くの景色は速く、遠くの景色はゆっくりと動かす)の立体感であれば、観る側は比較的視点の自由を保つことができる(←観光バスから外の景色を眺める時に、近くを見たり遠くの山を見たり、自由に視点を動かせることかできる)。

 いっぽう、今回のような立体映画では、最初から特定の対象にピントが合わせられていてその部分についての立体感が強調されてしまうので、どうしても「そこを見ろ」というように押しつけられてしまう印象を受ける。

 写真であれ、映画であれ、あるいはドキュメンタリー番組でもそうだと思うが、制作者が特定の被写体に注目させたい時には、その部分をアップするだけでなく、そこにピントを合わせて被写体深度を浅くする技法が使われるようである。しかし、それが強調されすぎると、観客は押しつけられているとして反発する可能性がある。いっぽう、単に自然風景を紹介するような番組では、近くの景色も遠くの景色もはっきり見えていたほうが、視点移動の自由度が増す。今回のような立体映画は、比較的近くにあるものの立体感を出すための技術であるからして、主人公が活躍するようなアクション映画や、植物や動物の解説番組には適していると思われるが、風景全体を楽しむような紀行番組には不向きであり、なんでもかんでも3D化してしまえばよいというものではないと言うこともできる。

 立体映像で言うところの「臨場感」とは、あくまで、制作者と観客の視点が完全に一致した時に醸し出されるものである。それが一致しない時の映像は、いくら立体的に見えても、押しつけや違和感になってしまうだろう。