じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 昨日の日記で、枯れたヒマワリが人生のはかなさを象徴しているようだと書いたが、同じ枯れた植物でも、穂を垂れた稲は、人生の豊かさを象徴しているように見えるところが興味深い。


9月30日(火)

【ちょっと思ったこと】

AMBIGUOUS JAPAN?

 10月1日朝のNHKニュースで新幹線品川駅開業のニュースをやっていた。のぞみ号の車体に「AMBIGUOUS JAPAN」というような文字があり、大江健三郎でもあるまいし、ずいぶん妙な宣伝をするものだと思ったが、よく見たら「AMBIGUOUS」ではなく「AMBITIOUS」だった。紛らわしい横文字を入れるなっちゅうに。

 なんでこんな文字が入ったのかと思ってさっそく検索をかけたところ がヒット。「AMBITIOUS JAPAN!(アンビシャス ジャパン)」キャンペーンなるものが実施中であることが分かった。

 こちらの情報によれば、「AMBITIOUS JAPAN!」というタイトルのキャンペーンソングをジャニーズの「TOKIO」が歌い、この曲は10月1日、TOKIOの新曲として同タイトルの「AMBITIOUS JAPAN!」で発売されるという。公共交通の車両広告を規制する自治体も多いが、JR東海の担当者は東京都から福岡県までを駆け巡り、「沿線住民を元気づける意味もある」と、全ての自治体を口説き落としたとか。

 ま、この種のことでとやかく言ってもしようがないが、純国産の新幹線なんだから、いい加減横文字崇拝をやめて、日本語で「元気な日本!」とか「日本よ大志を抱け!」というステッカーでも貼ればよいと思う。右翼の街宣車が「ニッポーン ダンジー...♪」と流す歌以外に日本を励ます日本語の歌が無いというのはまことに情けない。




夢路いとしさんの身長の謎

 テレビで25日に亡くなった夢路いとしさんの追悼シーンをやっていた。弟の喜味こいしさんの会見と、コンビの若い頃の写真が紹介されていたが、前から思っていた謎がますます深まった。6/28の日記にも書いたことだが、若い頃の写真、あるいは漫才をやっている映像を見ると、間違いなく夢路いとしさんのほうが背が高い。ところが、最近の写真では、逆に背が低く写っているのである。背骨や腰が曲がって、ロボットのような歩き方をされていたのは確かだが、あんなに背が低くなるものだろうか。

 余談だが、背の高さの違う漫才コンビと言えば、オール阪神・巨人がいる。だいぶ昔、新幹線新大阪のホームでこのお二人を見かけたことがあったが、巨人さんは私よりはるかに背が高かった。阪神さんの身長はどうかと思って、こっそりと阪神さんのすぐ後ろに立ってみたところ私と殆ど同じだった。もっとも阪神さんは厚底のスニーカーを履いていたので、実質的には私のほうがちょっと高いはずだ。いくら巨人さんの腰がまがっても、このコンビに限っては身長差が逆転することはあるまい。

【思ったこと】
_30930(月)[心理]植物の療法的利用の可能性セミナー(4)「森林療法」の効用は検証できるか?

 公開セミナー「人と植物の触れあいにみる植物の療法的利用の可能性」の参加報告の4回目。1回目に報告した郭炳華(Kwack BeyoungHwa)・高麗大学名誉教授も、今、ここで感想の連載を続けている山根寛・京都大学医療技術短期大学部教授も、園芸療法の効果の実証について言及しておられた。郭氏は、園芸「医療」というからには主観的な観察ではダメで、具体的な数値をあげて統計的に検証することが求められていると言われていたし、山根氏も、離床率の違いについてデータがあると言っておられた。

 確かに、いくら園芸愛好家が増えたとしても、楽しくやればいいじゃないかというだけでは「療法」としてはアピールできない。また、植物の神秘的な力を強調しすぎると宗教になってしまう。何らかの形で、客観的に効果を検証していく必要はあると思う。

 しかし問題は検証の方法にある。ありがちなやり方は、実験群と統制群で条件を変えて、群の平均値を比較するというものだ。実験的検証というのはこれしかないと思っている人も多い。というか、政治家や役人を説得して何らかの制度化や補助金獲得を目ざす場合には、そういうデータを示すのが最も手っ取り早いのである。

 ところがそこで保証されるのは、実験の信頼性や内的妥当性にかかわる部分だけだ。その結果にどれだけの一般化可能性があるのかは全く保証されていない。実験研究は、特定の条件のもとでは有効であるという一例を示したにすぎないのに、政治家や役人にはそんなことまで気づかない。希に質問されても「今後さらにいろいろな条件で検証を重ねていきたいと思います」と答えれば済んでしまう。じっさいは、何十年、何百年経ったところでそんなこと達成できるはずがないのに。

 もう1つの問題は、平均値で比較することの根本的な欠陥にある。平均値で比較できるのは、すべての人(厳密には、母集団として想定されている範囲の人)に当てはまる万能な効果のみである。個人もしくは特定の人々にしか有効でないような効果を見出すことは、このやり方では原理的に不可能だ(こちらの3.1.1.あたりをご参照ください)。

 そのほか、全人的な視点からの効果の検証が求められる。要因の組み合わせで実験的に比較するという方法ではそのような目的は決して達成されないであろう。




 ところで9月30日の朝日新聞に「森の癒やし効果医学的に解明へ 林野庁、療法研究に着手」という小記事があった。
 森の中にいると癒やされるのはなぜか。その仕組みを医学的に解明し、「森林療法」のメニューを確立する研究に、林野庁が着手することになった。.....研究会では、どんな樹種の森でどんな運動をすると健康にどんな効果があるか、といった療法の確立をめざす。
という概要であったが、さて、どんなもんだろうか。「樹木が発散する抗菌や芳香作用のあるフィトンチッドという物質」だけを取り上げて、実験室内で生理的効果を検証するなら、それは間違いなくできるだろう。しかしそれをもって、「森林」という巨大な生態系が、人間個々人にどのような癒し効果をもたらしたかということを論じるのは到底不可能である。このあたりの話題は
  • 2月6日の日記自然とかかわるセラピー(1)自然にもいろいろ
  • 2月7日の日記自然とかかわるセラピー(2)対象の違いでははなく「関わり方」の違いからのアプローチ
で取り上げ、その後報告書(冊子)にまとめたことがあった。冊子原稿のほうはWeb公開しても問題ないはずなので、これを機会にhtml化しておこうと思っている。次回に続く。