じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[写真] ミニカトレア。「ソフロニティス・アリゾナ」という園芸種。某Web日記で、「研究室にありそうでないもの」の1つとして観葉植物が挙げられていたが、私の場合は、逆に観葉植物だらけになっている。このミニカトレアは2年ほど前に行きつけの花屋の処分品として買ったもの。夏は北向きの軒下に放置、霜の降りる前に室内に取り込んで水槽の上で育てていたところ、今年は二輪ずつ花をつけた。


2月7日(金)

【ちょっと思ったこと】

「ホイスラーの母」の値段

 各種報道によれば、洋画家・中川一政さんの残したコレクションの1つである油彩画が、ゴッホの修業時代の「左向きの農婦の頭部」であると鑑定され、2/8のオークションにかけられることになったという。

 この絵の写真を見てみて真っ先に浮かんだのが、映画「ビーン 」(1997/英)に出てくる「ホイスラーの母」という「名画」である。顔部分だけを比較するとまるでそっくり。この絵の登場が映画の中ですでに予言されていたといってもよいくらいだ。

 「ホイスラーの母」も「左向きの農婦の頭部」もそうだが、描かれている顔そのものは美しいとは言い難い。あくまで有名作家が描いたというそれだけのこと。それでもって何百万円にも何千万円にも価格がつり上げられるのだから皮肉なもんだ。

 芸術作品の価値は作者や値段とは無関係に決まるものであると私は思う。その絵自体の美しさに加えて、その絵との私的な関わりが多様な価値を形成する。解説を聞かないと有難味が分からないような作品は芸術とは言えないと私は考える。もっとも交換価値となれば別。画商は、その絵がどれだけ美しいかではなく、その絵がどれだけ高く売れるかで値段を決める。株も同様であり、投資家は、その会社がどれだけ発展性があるかどうかではなく、その会社に今後どれだけ人気が集まるかどうかを基準に売買をする。それはそれで構わないが、少なくとも個人が部屋に飾る絵に限っては、交換価値に引きずられることなく、オリジナルな視点を守りたいものだ。

【思ったこと】
_30207(金)[心理]自然とかかわるセラピー(2)対象の違いでははなく「関わり方」の違いからのアプローチ

 Googleで「セラピー 自然」をキーワードに検索をかけると、2/7時点で1万9400件、「療法 自然」では14万7000件ものWebコンテンツがヒットした。これらの合計は、「生きがい」をキーワードでヒットする16万件(「生き甲斐」43300件)に近い数であり、「自然」という概念がいかに注目されているかを象徴しているとも言える。

 もっとも、上記のコンテンツの中には、自然治癒力を重視したセラピーも含まれている。「自然 関わる セラピー」で検索をかけた場合には1510件、「自然 関わる 療法」では8150件に減少する。それらはおおむね、園芸福祉・療法、アニマルセラピー、アロマテラピー、登山・ハイキングなどに関するものであるが、広く生きがいとの関連で捉えるならば、天体観察、海洋、日本の伝統文化(茶道、華道、俳句など)もこれに含めることができると思う。

 従来、この種の「セラピー」は、関わる対象によって分類されることが多かった。それに対して、私が取り組んできたのは、「どのように関わるか」という行動随伴性に基づく分類である。

 例えば、「花壇を眺める」という関わりは、「そこに行く」という能動的行動と、「その場所で花を眺める」という静的な状態から構成される。「花を眺める」代わりに、写生をしたり写真を撮ったりする人もいる。いっぽう、花を育てるということになると、もっと多面的な関わりが生じてくる。こうした細かい分析をせずに、神秘性ばかりを抽象的に強調しても前には進まない。次回にもう少し詳しく見ていこうと思う。

 余談だが、ちょうどタイミングよく、九大の松尾先生から、『植物の不思議パワーを探る〜心身の癒しと健康を求めて〜』(松尾英輔・正山征洋編著、九州大学出版会、2002年)という御本を送ってもらった。「不思議パワー」という言葉は若干ひっかかるが、それを「探る」という形で実質的には科学的な分析を行っている。月曜日の講演でも少々引用させていただこうかと思っている。