じぶん更新日記

1997年5月


文中のリンクについてはメンテを行っておりません。ご了承ください。

97年5月のインデックス




970531(土)
[情網]興味深いURL(お勧めできないものを含む)
  きょうは土曜日でネットが空いていたので、ネットからいくつか興味深い情報を得た。必ずしもお勧めというわけではない。むしろ、私がゼッタイに容認できない内容も含まれている。とはいえ、何かを論じる場合には、反対者の意見をよく聞くことも必要だろう。備忘録がわりに、リンクしておきたい(リンク禁止が明記されていないものについては、とくに事前の許可を求めておりません)。
 なお、いくつかの情報は、日記猿人参加者の方の日記を通じて入手したものです。特に明記しませんが、この場を借りてお礼申し上げます。
※(いちおうチェックしたつもりですが)もし、上記のなかに、リンク禁止、もしくは事前の承諾を求めているものがありましたら、ぜひ長谷川までメイルください。直ちに削除します。

970530(金)
[心理]怖い顔の起源
 昨日のTVチャンピオンでは、「特殊メーク王選手権」をやっていた。決勝は、鬼、河童、のっぺらぼうのメイクであったが、私にはむしろ、2回戦の「コント落ち爆発メイク」の顔のほうが怖い顔に見えた。そこで、本当に恐い顔というのはどういう顔のことを言うのだろうか、ちょっと考えてみた。
 昔、アメリカの心理学ワトソンが、赤ちゃんにシロネズミを怖がらせるような条件づけをやった。この実験自体は、倫理的にも問題が多く、「ワトソンの神話」と呼ばれるまでに誤解や曲解を生んだが、少なくともいくつかの恐怖は条件づけを通じて形成されるものであることが示唆された(あれ? これは何の日記だったか)。もちろん、中には生物的に組み込まれた恐怖というのもあるに違いない。ヘビのような長い物が自力で動き出すと、たいがいの人は怖がるだろう。お化け屋敷に行くと感じるが、死んだ人や大けがをした人に似せて、ちょっとだけ表情を変えたような顔がいちばん怖い。これはきっと、死に対する恐怖を呼び起こすからに違いない。
 どんなに“怖そうな”怪獣を作っても、人間と似ても似つかないものは恐怖の対象にはなりにくい。生きているネコを怖がる人は少ないが、ネコの死体を怖がる人は多い。いずれも、自分の死を想起させるかどうか(=死に関連した恐怖反応を誘発するかどうか)が、重要なポイントになるだろう。
 死を連想させなくても、リアルであるというだけで怖い場合がある。私は幼少の頃、実家の床の間にかざってあった石膏の胸像(ビーナス像)をひどく怖がった。トッパンのイソップの絵本(今はそんな絵本はない)に出てくる馬の顔もリアルすぎて怖かった。たぶん、人間や動物を模したもので、限りなく本物に近いが本物でないというものは、その意外さのためか、恐怖心を呼び起こす可能性がある。造花に対しては、こういうことはないので、これも何かしら動物の生死に関係した恐怖に起因するものかもしれない。

970529(木)
[社会]ミヤサキツトムと酒鬼薔薇聖斗
 1989年の夏、私は、当時世間を騒がせていた連続幼女誘拐殺人事件のことで、謎解きを試みたことがあった。M被告が被害者の遺族に遺骨を送りつけた時に付されたメモ(“○○[被害者の名前]、遺骨、焼、証明、鑑定”)をローマ字で表記して並び替えると、M被告のフルネーム(但し、宮崎はミヤサキと読む)が浮かび上がってくるというものであった。この事件は、その後、精神鑑定などをめぐって審理が長引き、4月14日になってようやく一審で死刑判決が出されるに至った。あの指摘が正しかったのか、単なる偶然に対するこじつけなのかは、未だにわからない。
 あれから8年が経って、今度は、小6男児が殺され、切断された頭部が中学校の正門前に放置されるという事件が起こった。遺体の口には、警察への挑戦的な文とともに「酒 鬼 薔薇 聖斗」という文字が記された紙片があったという(一部の文は、捜査上の秘密ということで公表されていない)。
 8年前のことがテレビ局のデータベースにあるらしく、さっそく取材の電話がかかってきた。しかし、私は、あまり気が進まなかった。真っ先に思うことは、もし自分の子どもがある日とつぜん事件に巻き込まれて、こんな形で遺体が帰ってきたらどういう気持ちになるだろうか、ということだ。8年前の時もそうだったが、犯罪の真相究明と言いつつ「おもしろ半分」にやっているのではないか、という疑問が常にわきあがってきて、スッキリした気分にはなれなかった。
 M被告の事件の場合、あの「メモ」がもっと早く「解読」されていたら犯人逮捕につながり、その後の事件を防ぐことができたのではないかと言う人もいた。しかし、私自身はそうは思っていない。あれは、あくまで、事実がわかってからの推定にすぎない。文字の組み合わせは無限にできるので、具体的な名前を事前に割り出すことは、暗号化されたEメイルを解読するぐらいに難しいと思う。
 今度のことは、スクラップブックに、いくつか記事を載せているが、「酒 鬼 薔薇 聖斗」に、犯人の名前が織り込まれている可能性は少ないように思える。切断された遺体の場所をほのめかす暗号かと思ったが、どうやら、サカキバラキヨト(セイト、マサト?)というように読み、劇画の登場人物か暴走族に絡む名前を名乗っている考えるのが有力なようだ。いずれにせよ、犯人逮捕に貢献できるような答えが見つからない限り、これ以上の謎解きは犯人を喜ばせるだけかもしれないと思う。何はともあれ、一刻も早く犯人を逮捕し、これ以上の犠牲者を出さぬことが望まれる。

970528(水)
[数学]算数の宿題3
今日の宿題も厄介だった。というより、難しく考えすぎた。“太郎と次郎は、それぞれA町からB町まで自動車で行き、すぐに引き返す。太郎は、先に出発していた次郎を午前9時に追い抜き、B町に着いてすぐに引き返した。午前10時40分にB町に向かっている次郎に出会った。それから20分走って、45分休憩。休憩中にA町に戻る次郎に追い抜かれた。休憩後、走り出してから1時間後に次郎を追い抜いた。太郎がB町に着いたのは何時何分か”。私が考えた答えを見たい方は、最後をごらんください。 それにしても、なんで毎晩、こんな問題ばかりやらされなければならないのだろうか。

970527(火)
[天文]HB彗星の最後の写真を求めて
 
 ヘールボップ彗星が、とうとう見えなくなった。これほど長い期間、私たちを楽しませてくれた彗星は、滅多にない。
 彗星はいま、地球から見ると太陽の裏側にまわっている。再び見えるのは9月になってからだそうだが、5等星以下なので、望遠鏡なしでは、ちょっときつい。条件もあまりよくないようだ。少なくとも私のような素人にとっては、すでに見納めが確定した。
 私が最後にHB彗星を眺めたのは5月17日であった。写真撮影も試みたが、写真屋さんが焼き付け時間を長めに設定していたこともあって、プリントには写っていなかった。そのうち、暇ができたら、ネガからの直接読み取りも試みてみたいが、まあ、大した画像にはならないだろう。
 上級の天文ファンのあいだでは、21日頃までの写真がWeb上で公開されている。ネットが空いている土日に、国内アマチュアのHB彗星関係のHPをいくつか廻ってみた。
 土日に拝見したのは上記のHPイトだけであった。私が日記コーナーのところにリンクさせていただいている千村さんのページは、まだ更新がなかった。他の方の3-4人の方も、今のところ更新はなかった。たぶん、5月中には、見納め宣言が出そろうことと思う。

970526(月)
[数学]算数の宿題2
 またまた、息子がやっかいな算数の問題を持ってきた。“駅と博覧会場の間に、行き、帰り両方向に、同じ速さの「動く歩道」が取り付けられている。A君は駅から、この歩道の上を歩きながら会場へ向かい、B君は、この歩道に乗ったまま、歩かずに駅に向かう。2人は同時に動き出した。A君が84歩歩いたところでB君とすれちがい、さらに48歩歩いて会場に着いた。B君が駅に着いたのは、A君より1分間遅かった。A君の歩幅は70cmである。A君は会場まで何分何秒かかったか。また、この「動く歩道」の長さは何mか。
 例によって、方程式を使ってはならない。解けて見れば簡単だが、余計な計算ばかりしていて、手間取った。私が考えた答えを見たい方は、最後をごらんください。

970525(日)
[情網]官庁等のご意見提案コーナー
 諫早湾干拓をめぐって、農林水産省のメッセージボードのことが話題になっている。日曜日で、回線がすいていたので、こういうボードを設置している官庁がどのくらいあるか、調べてみた。調べた限りで驚いたのは、こういう書き込み型のボードを設置しているのは、農水省だけであった。もちろん、どの省庁も、“ご意見があれば、こちらにメールを”という程度の連絡先は明示してあるが、積極的に意見を募集している所は少ない。具体的なテーマで意見を求めているのは厚生省ぐらいなものだろうか。今度の諫早湾干拓の件に懲りず、ぜひすべての官公庁に、書き込み形式のメッセージボードを設置してもらいたいものだ。
官庁等のご意見提案コーナー
省庁名名称備考
首相官邸御意見お待ちしております回答をもらえることがある?
厚生省ご意見募集「少子化問題」データをちゃんと示した上で
意見を求めており、
熱意がうかがわれる。
農林水産省「食料・農業・農村」について一言申したいご存じ、書き込みができるムツゴロウボード
建設省建設行政に関する意見提案コーナー Q&A形式で部分的に回答?
防衛庁FAQへの回答あり。
“自衛隊に就職したいが、どのようにすればよいか。”、
“体験入隊が実施されていると聞いたが、どこに申し込めばよいのか。”というのがFAQらしい。
岡山県マルチメディア目安箱石井さんは、この目安箱の設置に積極的だが、
あまり活用されていないとの声もある。
岡山市市長あてにメッセージを送れるらしいHB彗星接近の時に、
後楽園周辺をライトダウンし、後楽園を夜間開園してもらいたい
との要望を送ったことがあるが、特に返事はもらえなかった。
なお、官公庁のURL一覧は、ここから。

970524(土)
[心理]サッカーくじと行動随伴性
 私の別の日記(実際は、コメントつき記事データベース)である“スクラップブック”でも、とりあげたが、通称“サッカーくじ”法案が、いよいよ国会で成立する見通しになったという。私自身は、野球や相撲と比べると、サッカーには殆ど関心がなく、かりにこのようなクジが発売されても、それに熱中することはなかろうと思う。ただ、こういうクジが導入されることによって、サッカー・ファンの行動がどう変容していくのか、については専門的にも関心がある。つまり、これは新たな行動随伴性の導入であり、一大フィールド実験と呼べるものであるからだ。
 スクラップブックで2度にわたって指摘したように、ほんらい、スポーツを観戦するという行動は、選手の活躍や試合の流れの面白さによって強化されるものだ。クジによって当選金を与えるということは、スポーツに内在している強化子とはまったく別の人為的な強化子を導入するということである。それによって、強化される行動は何だろうか。
 クジの内容について詳しい資料がないので即断できないが、一般的に、個人の努力に応じて当選確率が高まるようなギャンブルであれば、推理や情報収集行動が強化されることになるだろう。これは一種の思考ゲームであるから、いちがいに否定できない。ただ、“努力に応じて当選確率が高まる”ようにするためには、当選確率を1/2とか1/3というように大きめに設定する必要があり、相対的に当選金の額は小さめなものとなる。したがって、そこから何かの振興資金を拠出するというのは難しくなる。いっぽう、当選金を莫大な額に引き上げると、“努力に応じて当選確率が高まる”ような設定は、数学的に不可能である。その場合は、宝くじと同じようなギャンブルになる。思考ゲームにはならないので、得点や試合の結果だけに関心が集まることになる。
 今回のクジは、どうやら後者をめざしているらしい。となると、自分の推理などというものは、殆ど役に立たない。しかし、予測が1割しか当たらなかった人が、情報収集に努力した結果6割まで当たるようになったとすると、“正しく予測できれば必ず当たる”と錯覚して、ますます熱中するかもしれない。本当は、1割的中しても8割的中しても外れは外れで、偶然的要因による変動を乗り越えて的中させることなどできないはずなのに。
 宝くじもそうだが、多くの人々は、当選確率が殆どゼロで、期待値が出資額より相当に少ないようなくじであっても、“莫大な当選金を得るチャンス”を確保する、という理由づけだけで、くじを買い続ける。これは、基本的には、“〜しないと、正の強化子出現が失われる”という“好子除去阻止の随伴性”に基づく行動(正確には、“好子除去阻止の随伴性”を記述したルールに支配される行動)ということになると思われる。真の生きがいは、行動随伴性のリパートリーを拡大しながら、環境への働きかけを主体とした地道な努力のなかで獲得されるものであると思う。クジのような、架空の“好子除去”阻止の随伴性で支配される行動は、結局、むなしさをもたらすだけだ。

970523(金)
[数学]算数の宿題
 息子は今年6年生。さすがにこの学年になると、親でも手に負えないような難しい宿題をもってくる。特に、「○○算」と呼ばれるものは、難題だ。というのも、いったん方程式を習ってしまうと、何でもχを使って解く癖がつく。χを使うなと言われると、さてどうしたものか、まったく解法が浮かばない。
 数日前に、こんな質問をされた。“ある場所に自転車で行くのに、ふつうは5時間かかる。時速4kmだけ速く走ると4時間で到達する。ある場所までは何kmあるか?”大人は、すぐに5χ=4(χ+4)という方程式をたてて簡単に解いてしまうが、χを使わずに解くにはどうするだろう? 方程式というのは便利だが、ひょっとすると考える力を奪う元凶になっているかもしれない、とふと思った。【どうしても解法が浮かばない方は、このページの最後をごらんください。翌朝になって、ようやく思いついた解法です】。
 昨晩の宿題はさらに厄介だった。“線路沿いの道の同じ地点に、太郎君と次郎君がいる。2人は、一定間隔で運転されている上りの電車が2人の前を通過したと同時に、左右に分かれて出発した。そして、次の上り電車に、太郎君は10分後に出会い、次郎君は13分後に追い抜かれた。太郎君と次郎君の歩く速さの比は1:2で、電車の長さは考えない。(1)上り電車の運転は何分間隔で運転されているか、(2)下り電車も上りと同じ間隔で運転されているとすると、太郎は何分ごとに下りに追い抜かれるか”。こちらも、最初は単純に11分間隔であると思ったが、太郎が上り電車に出会ってから、次郎が追い抜かれるまでの3分間、次郎はさらに歩いていることを考慮する必要がある。となると、どうやら10分50秒が正解のようだが、さて、方程式を使わないでどうやって説明するのだろう。

970522(木)
[一般]アンダースローの元祖
 毎週視ている番組の1つに“コロンブスのゆで卵”[テレビ朝日系]というのがある。多少、やらせや誇張があるような気がするが、新製品開発の裏話など、興味深い話題が多い。この日は、アンダースローの投手として1949年に大活躍した武末悉昌氏をとりあげていた。武末氏が、アンダースローを発明したのは、戦争で重い武器などを運んで肩を痛めたためであったという。最初はコントロールが悪く、めった打ちにされたが、ある時に親指を曲げて投げる方法を偶然に発見し、スピードが出せるようになった。おそらく140-145kmの球速があったと言われている。その年に21勝をマークし、新人王に輝いたが、女性ファンからの花束の受け取りを断ったためにその女性から右腕を刺され、回復しないままに球界を去った。いまでも御健在だが、野球にまつわるものは何も残していないという。以上がテレビ番組の内容であるが、あとで、息子が持っていた『野球クイズ百科じてん』(小学館)で調べてみた。この武末投手のことは見あたらなかったが、1845年、アメリカ人のカートライトがはじめて野球ルールを作った時には、投手は、ボールを下から投げなくてはいけない、と決められていたそうだ。この場合の投げ方は、たぶん今のソフトボールに近い投げ方のことを言うのだろうが、アンダースロー自体が100%武末氏の発明であるのかどうかは、多少疑問を感じた。

970521(水)
[生活]農林業体験施設
 岡大の学生会館で『ふれあい体験岡山』という冊子を無料配布していた。この冊子には小さく『'97おかやま農林業体験ガイドブック』というタイトルがつけられている。発行は、岡山県ふる里いきいき推進協議会(事務局:岡山県農林部中山間地域対策室内)となっていた。この冊子には、果樹園など、農林業体験ができる県内48箇所が写真と地図入りで紹介され、ほかにオーナー制度、農山村滞在型宿泊施設も紹介されており、至れり尽くせりの内容だ。
 私は東京育ちなので単純な比較はできないが、私が子供の頃には、こんなにたくさんの施設があったとは思えない。別にこんな施設に行かなくても、たいがいの家では実家が農業をやっていて、イヤでも農作業を手伝わされたはずである。こういう施設が48箇所もできたということは、都会人の生活と農林業がそれだけ隔てられてしまったことを示しているのかもしれない。
 昨年の秋に、私の家族も、芋掘り、稲刈り、栗拾いなど、いろいろな農林業体験をしてみた。それぞれ面白かったが、何か物足りない。それは、農林作業のうち、“収穫”という一番最後の部分だけをかじってみたに過ぎないからであろう。苦労したことないくせに贅沢を言うなと言われそうだが、農作業を体験するのなら、種まきから草取り、支柱立てというように、あらゆる苦労をしてこそ楽しみがわいてくる。小学校の国語の教科書に、確か大関松三郎とかいう人の詩が載っていたように記憶しているが、農林業に従事する喜びは、あの人の詩のような喜びでなければならないと思った。
 では、どうするか?もちろん、すでにある体験施設を活用するのもよい。しかし、都会人に、もっと身近に農業体験ができるような政策画を考えてもよいように思う。たとえば、どんな住宅密集地にも一定の割合で、貸し農園や貸し花壇をつくる。アパートには、必ず一定面積の花壇の設置を義務づける、農林業ボランティア制度を拡充する、といった施策である。たまごっちの人気の秘密は、日常生活の中でそれに働きかけ結果を得られることにある。ゲームセンターに行かなければたまごっちに接することができないとすれば、こんなには人気が出なかったはずだ。農林業も同様で、あくまで日常生活の中で体験してこそ、真の喜びを見いだせるのではないかと思う。

970520(火)
[芸術]パブリックアート
 昨日見たニュース番組[テレビ朝日系]で、東京の八王子市だったと思うが、路上のパブリックアート作品が一般市民には必ずしも受け入れられていない実状を紹介していた。作品の展示に至るまでに税金がいくら使われたのかは公開されていないという。また、足立区のある公園には、半分ピラミッド型、半分円墳型のの盛り土がある。足立区が2000万円を投じて、外国の芸術家に依頼した作品ということらしいが、地元の住民の評判は、インタビューを聞く限りでは、あまりよくない。そう言えば、妻の実家がある北九州市の美術館にも、錆び付いた金属の山が作品として展示されていたことを思い出した。作者にはまことに申し訳ないが、私には、大型ゴミの集積場にしか見えない。
 芸術は、多種多様な価値観に基づいて創作されるものだ。これを否定するような発言をすることは、あまり気が進まない。しかし多額の税金を使い、公共の場の一定面積を占めて恒久的な展示をする、ということになるならば、何らかの導入基準が必要ではないかと思う。公園の主役は、あくまで公園の利用者である。利用者の行動が、一個の芸術作品の展示によって制約を受けるようであれば、これも多種多様な価値観の否定につながることを、当局者は忘れてはならない。
 <余談>岡山市内で、“ちょっとこれは!?”と思うもの(制作者の方、ごめんなさい):◆岡山大学正門にあるモニュメント(アカデミックな雰囲気にはちょっと合わない気がする)◆岡山城横にある大噴水(先日、旭川増水の時に水没したもの。出初め式の消防船が水を噴き出しているのかと思った)◆岡山西警察署(これは、巨大な象の檻にしか見えない)

970519(月)
[一般]国会議事堂の衛生状態
19時のNHKニュースで、臓器移植法案の審議が参議院で開始されたという話題を取り上げていた。このこと自体は、いずれ“スクラップブック”で取り上げたいと思っているが、それとはまったく別の、意外な事実を知った。参院の演壇で趣旨説明をしている中山氏の頭上を、黒っぽい昆虫が周回し、とうとうツルツルの(ごめんなさい)の頭部に居心地よさそうにとまってしまったのである。中山氏は、何事もなかったかのように演説を続けていた。この昆虫は、飛行習性から見て、私の目に狂いがなければ、間違いなくハエである。こともあろうに、最も神聖な国会議事堂の本会議場の演壇で、発言者の頭にハエがとまるとは。いったい、国会内部の衛生状態はどうなっているのだろうか。ひょっとするとゴキブリも?と疑わざるを得ない。

970518(日)
[一般]飛行機豆知識
 山登りに行った帰り、運転中にNHKラジオを聴いた。ちょうど、飛行機についてのクイズをやっていた。山間部でよく聞こえない時があったが、いくつか面白い話題をとりあげていた。私が意外に感じたのは、ジェット機の燃料が、不凍処理された灯油に近い成分であるということ。子供の頃、重油であると習ったような気がするのだが...。このほか、子供の1人旅のことを、“アナカン”と呼ぶこと。これは、“unaccompanied”の略らしい。翼の所についている棒のようなものは、静電気を放電するためにあると言っていた。これも避雷針か通信アンテナかと思っていた。少なくとも、避雷針は、ついていないらしい。ジャンボ機の離陸の速度は時速200km余りで、新幹線より遅いらしい。ならば新幹線も飛べる、と一瞬思ったが、レールと車輪の摩擦を利用して走る乗り物は飛べるはずがない、と気づいて苦笑した。ラジオというと、英会話関連番組と夏休みのラジオ体操以外には殆ど聴く機会がないが、“じぶん更新”に役立つ情報を提供してくれる“サイト”としては、インターネット以上の価値があるかもしれないと思った。

970517(土)
[一般]日本国官庁は元号より西暦がお好き?
 元号法制化が決まったのは昭和の終わり頃だったろうか。あの頃の議論のことは忘れたが、最近では、事務の公文書を除けば、西暦の日付を使うことのほうが圧倒的に多いように思う。金曜の昼に、図書館で全国新聞をちらっと眺めたところ、元号を優先的に使っていたのは産経新聞だけ。朝日、讀賣、毎日、日経は、いずれも国内記事もすべて西暦に統一していた。おそらく、昭和と平成で記述したのでは、年数の計算や5年ごとの区切りをつけたりするのが面倒になるためなのだろう。ところで、官庁のHPはどうなっているのだろう? 昔から西暦表示を使っていたという外務省は別として、まず、首相官邸の最近の話題を見る。“(97.05.13) 行政改革会議第12回議事概要(平成9年5月7日)”というように、タイトルは平成を使っていたが、カッコで括られた更新日は西暦表示になっていた。通産省の発表資料概要のページを見ると、“1997我が国の商業”というように、タイトル自体に西暦が使われている。経済企画庁は、殆ど西暦表示。郵政省の報道発表資料の日付も西暦表示。ちょっと怖い防衛庁も除いてみたら、What's Newや各種情報の日付がすべて西暦表示になっていた。まあ、建前では、元号を使うことになっていても、便利さの本音が出て、ついつい西暦表示になってしまうのだろう。
 <補足>NHKは、一貫して元号優先の方針をとっているようだ。

97516(金)
[地理]都道府県の間の領有地争い
 尖閣諸島や竹島の問題が話題になっているが、都道府県の間でも境界未定地域というのが結構たくさんあることがわかった(国土地理院による資料はこちら)。同じ国の中のことだから、“争い”と言っても知れたものだろうが、未だに確定しないということは、それぞれ何らかの事情があるのだろう。岡山県にはそんなところはなかろうと思っていたら、南のほうにあった。玉野市と香川県直島町の境界だ。山形県、東京都、岐阜県などは3ヶ所に顔を出している。トラブルがあったと記憶しているのは、富士山頂、木曽岬の干拓地、などなど。

970515(木)
[宗教]第一原因
 昨晩、帰宅してみると“世界平和家庭連合(FFWP)”のPR版が郵便受けに投げ込まれていた。“世界平和”などというとまことに結構な団体のように思えるが、その正体は、霊感商法や合同結婚で悪名高い、統一教会の関連団体であり、じっさい文鮮明教祖夫妻が総裁をつとめている(“**女性平和連合”とか“世界平和教授**”などはみんな同類)。まるめてゴミ箱に投げ込んでもよいような宣伝物であったが、せっかくだから内容を読んでみる。しかし、「宇宙の根本を探して」という文鮮明氏の講演内容は、私から見れば支離滅裂で、説得力に欠けるものであった。それにしても、こういう団体に、学生が容易に洗脳されてしまうのは何故だろう? その一因として、“原因”に対する固定観念があるのではないか、と思った。この宣伝紙にも書かれてあったが、まず学生に“すべて物事には原因がある”と納得させる。すると、第一原因が必要で、その第一原因が神であるという考えを素直に受け入れてしまうことになる。しかし、ここには様々な飛躍がある。まず“すべてAにはBがある”という主張から“究極のBがある”という主張が必ず成り立つとは限らない。たとえば、地球上のどの位置に立っても左右の方向は存在するが、究極的な左や右は存在しない。物理現象も、一直線上に並ぶ因果関係の連鎖を構成するよりも、時計の針のように、循環的に変化することが多い(“雨”が降る原因を辿ればわかる)。第2に、仮に第一原因のようなものが存在したからといって、その仕組みを、“結果として存在している世界”の言葉で記述・説明できるという保証はない。神の“意志”とか“目的”とか“愛”などという言葉を使うが、そもそも“意志”や“目的”や“愛”は、人間の行動の世界を、記述したり説明したりするために発明された概念なのだ。そういう言葉を、人間以外の世界の説明に使おうとしても、しょせんアナロジーの域を出ない。こんな簡単なことに気づかずに洗脳されてしまうということは、やはり、大学の一般教育に問題があると言わざるを得ないのだろうか。
 <補足>統一教会の信者の方がこれを読まれて反論をされる場合は、私への直接のメイルではなくて、そちらのHPにでも掲載してください。但し、上記の部分の無断引用はお断りします。

970514(水)
[電脳]cookieの秘密
 日記猿人から“不正”投票の防止のためにcookieシステムを使うという知らせをもらった。いちいちパスワードを入力せず、ブラウザにEメイルアドレスを登録していなくても、どうやって投票者を識別できるのかが謎であったが、いろいろ調べてみると、NetscapeNaviの場合には、cookies.txtというファイルが自動的に生成され、MSIEの場合にはWindowsの中のCookiesというディレクトリの中にしかるべきファイルが生成されることがわかった。日記猿人は信頼のおけるサイトなので心配いらないが、このように、ユーザーの知らない名前のファイルが、インターネットのやりとりの中で、こちら側のハードディスク上に自動的に生成・更新されるのは、virusのことなど考えると少々、気味の悪いできごとだ。さっそく、昼休みに、私が何かと助けてもらっている、オレンジソフトのユーザー用MLに、“cookiesって何?”という質問を出してみた。夕刻になって、何人かの専門家の方から回答をいただく。H社のMさんによれば、現仕様では、プログラムの類を書き込む訳ではないので大丈夫だろうということだった。また、Mさんから、この仕組みを解説した所を紹介してもらった。さらに、N研究所のTさんからは、MSIEの場合は、cookieの受け取りをチェックできる機能があるとの情報をいただいた。とりあえず一安心だが、うっかり変なサイトにアクセスすると、いつの間にか、とんでもないファイルが書き込まれている恐れもある(いちおう、事前に警告は出るらしい)。以後、気をつけることにしよう。

970513(火)
[生物]片眉上げ
 “たけしの万物創世記”で「顔の秘密」をとりあげていた。面白かったのは、片眉を引きつらせるような表情である。西洋人では約半数がこの動作をできるが、日本人では2割ぐらい、とか言っていた。確かに、私自身もできない。国立博物館の人は、「日本は島国なので感情をあまり外にださない、表情に出さなくても相手の気持ちが読みとれる」というような解説をしていたが、これはちょっと飛躍であるような気がする。私はかつて、ネパール、中国、タイ、インド、パキスタン、旧ソ連中央アジアなどを旅行したことがあるが、島国であろうと大陸であろうと、アジア人は、そんなに派手な表情は示さなかったと記憶している。

970512(月)
[電脳]チェスとコンピュータ
  コンピュータがチェスのチャンピオンに勝利したというニュースを聞いた。コンピュータがすべて場合をつくすためには、どのくらいの時間やメモリが必要になるのだろうか。たとえば、囲碁は19*19の升目に石を置くので、最初の4手までの打ち方は、対称形を別々に数えるならば361*360*359*358= 167億271万9120通りとなる。仮にコンピュータが1秒間に10億とおりの手を読めるとしてもこれだけで16秒かかる。5手目は357通り、6手目は356通りだから、16*357*356= 2033472秒、つまり564時間もかかってしまうのである。これでは、とうてい実戦には耐えられない。日本の将棋の場合は、さらに複雑だ。囲碁やオセロと異なって、手が進むとかえって次に可能な手の場合の数が増えてくる。千日手を避けつつ、無限の棋譜系列を作ることができるかもしれない。おそらくコンピュータがいかに進歩しても、すべての場合をつくして最善の手を打つことは不可能であろう。但し、この方略をとらなくても、定石や基本戦法を組み込めば十分に実戦に役立つソフトはできるはずだ。私の家でもコナミの“永世名人”というソフトがあるが、子供の相手にはむしろ強すぎるぐらいである。
 <補足>立花隆氏の“このニュースに注目”によれば、“初手から終わりまでチェスの可能な手は、 10の120乗あるといわれるから、1秒間に2億(10の8乗)手しか読めなくては、 全部読み切るのに10の112乗秒、すなわち、10の105乗年かかることになり、チェスにならない。チェスの公式ルールでは、一手に3分間しか使ってならないことになっている。 ”という紹介があった。

970511(日)
[地域]吉備新線
 吉備新線というのは、山陽自動車道の岡山ICから、岡山空港、国道429号線を経て吉備高原都市に至る道路である。県内を南北に結ぶ道路というと、3月に開通した中国横断道がすぐ浮かぶが、じつは、この吉備新線のほうが遙かに利用価値がある。今回、加茂川町のキャンプ場に行った帰りに、この道を利用してみたが、わずか40分ほどで自宅アパートまで帰り着くことが、わかった。

970510(土)
[天文]HB彗星が真夏に接近していたら?
 このところ、日の出は早く、日の入りはますます遅くなってきた。たぶん来週中には、岡山の日の出は5時以前に、日の入りは19時以降になる見込みである。彗星見物に熱中していた頃は、5時半でも、まだ彗星はよく見えた。そこでふと思ったのだが、もしこの彗星が夏至の頃に地球に近づいていたら、日の出が早すぎて全然見えなかったのではないのか? となれば、春分の日のすぐ後の3月下旬に地球に近づいたことは、たいへんラッキーだったということになる。しかし、ちょっと待て。彗星と太陽との角度が同じであるならば、夏至であろうと冬至であろうと、彗星は日の出の一定時間前か、日の入り後の一定時間後に、必ず見えるはずである。日の出の時刻が早ければ彗星も早く出る。遅ければ彗星も遅い。それだけのことだ。例えばおなじ“すいせい”でも水星のほうを考えてみる。水星が、夏至の頃に見にくくて、冬至の頃によく見えるということはないのと同じだ。このことから考えると、少なくとも日本では、彗星が季節の違いによって見えやすかったり見えにくかったりすることは、なさそうだ。但し、冬のほうが夜が長いことはどう考えるか? とうぜん、空の暗い部分は多くなるので、北天の任意の位置にある星が見える確率は、それだけ高まることになるだろう。極端な場合、北極点では、冬至には北天のあらゆる星が1日中見える。夏至には1つも見えない。HB彗星の場合、北極点では、3月に彗星が終日見えていたという。しかしもし夏至の頃に北天に位置していたら、白夜のせいで彗星は一度も見ることができなかったであろう。

970509(金)
[一般]非を認めない事務官
 大学の常勤職に就いて11年以上になるが、私は、事務官の批判はできる限り避けることにしている。それは、ヘタに反感をかって意地悪をされるのは困るという事情もあるが、何よりも、国立大学の事務官というのは、上司からの指示のもとに、大学の規定や教授会や委員会決定を忠実に守り、粛々と実務を遂行することを何よりも大事にしているからである。もし、事務官の業務に問題があったとしても、それは、事務官自身の責任ではなく、規定や決定に問題があることが殆どであるからだ。とはいえ、私は、これまでに3回、事務官と激しく衝突したことがある。そのうち2回は、ごく最近の出来事で、建物の施錠時間帯の変更とか構内駐車許可証の許可条件の変更というような重要事項を、関連委員会や教授会に諮らずに決めてしまったことに対する抗議であった。教育研究活動に重大な支障が出るため強く抗議し、2件とも当該の委員会や教授会で私の主張が受け入れられ、変更は撤回された。いずれもローカルな問題であるので細かい言及は避けるが、私の行動は、当該の幹部事務官をひどく怒らせたようで、以来、廊下で出会っても挨拶さえしてくれなくなった。学問の世界では論争というのはしょっちゅう起きるものだ。しかし、研究成果をめぐってどんなに対立があっても、それゆえに不仲になることはない(【影の声】いや、たまにはあるかも)。だいいち、相手の研究内容を的確に批判できないような風潮が広まったのでは学問そのものが成り立たない。今回の衝突では、私の主張には筋が通っていたはずである。だからこそ、委員会や教授会で撤回が認められたのだ。しかし、事務官は、最後まで、それを自分の業務上の誤りとは認めなかった。あるいは、うっかり誤りを認めてしまうと、その後の昇進を危うくするといったような、ネガティブな結果が随伴しやすい体制におかれているためかもしれない。ただ、そういう体制の中では、かばいあいが起こり、結果的に、エイズ薬害事件の時の厚生省の対応や、昨今の動燃の虚偽報告などがうまれかねない土壌を形成する恐れがあることを指摘しておきたい。(本日の記事は、ちょっと愚痴っぽい話になってしまったかも。一事務官への批判から過剰な一般化が行われていることは間違いない。)

970508(木)
[天文]太陽の大きさ
 寝る前に子どもに買い与えた『宇宙』という本を見ていたら、太陽の表面積は地球の約1万2000倍、体積は130万倍であると書かれてあった。(そう言えば、昔数学で、表面積は直径の2乗、体積は直径の3乗に比例するということを習ったような...)。それはそれとして、表面積が12000倍ということは、どのくらいの大きさの違いになるのか考えてみた。日本の面積37万平方キロを太陽の表面積に例えると、地球の表面積は約30平方キロとなる。じつは、9日に、文・法・経三学部の交通安全委員会が開かれる。委員長をしている関係で、8日の午後には議案書や資料作りに追われていたが、ちょうど、岡山市の地図を広げて、3キロメートルの円を描いてみたところであった。この面積が約28平方キロで、太陽を日本の面積としたときの地球の面積に近いことがわかった(岡大では、3キロメートル以内に住む学生は原則として車で通学できないルールになっている)。


970507(水)
[雑学]シャープペンシルの由来
 いつぞやTV番組で、シャープペンはシャープの創業者が作ったという話を聞いたことがあるが、、家電や情報機器とシャープペンではあまりにも関連がなさそうで信じられなかった。きょうたまたま、メビウス関連の資料を探すためにシャープのホームページにアクセスする機会があり、そのついでに、社史をあたってみたらここにあったあった。シャープペンは、日本名では“早川式繰出鉛筆”という名前で特許をとったそうだ。創業者には、他にも数々の発明がある。MZではちょっとつまずいたが、ザウルスやメビウスの大ヒットを産み出しているところには、さすが発明家が作った会社だなあと思った。

970506(火)
[英語]英会話入門の謎解ける
 ラジオの英会話と英会話入門を毎日聴き続けて3年目に入った。英会話入門のほうで、講師の遠山顕さんが、時々“ドッキドッキ”と喋るが、何の意味かよくわからなかった。“ドキドキしていますね”という洒落かとも思っていた。きょう、たまたまジェリーさんが同じ言葉をしゃべって、ようやく意味がわかった。“Okey-doke.”と言っていたのであった。英語の発音というのは、最初からスペリングがわかっていることばは、多少変な発音をされても聞き取れるものだが、スペリングがわからない言葉は、いったん変な聞き取り方をしてしまうと、他の音には聞こえなくなってしまうものだ。一昨年、子どもが聞いていた「基礎英語2」でも、ラジオから“シーユーホールダム”という言葉が聞こえてきて何のことだろうと思っていた。ある日、たまたまテキストを見たら、こちらは“Feel the Rhythm!”と言っていたのだった。

5月23日の解答:

4時間で到達した距離は、もとの速さで4時間走った距離と、時速4kmで4時間走った距離の合計だ。もとの速さでは5時間かかったのだから、もとの速さで1時間走った距離は、時速4kmで4時間走った距離に等しい。よって時速16km。これを5倍して80kmというのが、求める距離になる(方程式を展開したものに意味づけをした程度のパッとしない解答で失礼しました)。

5月26日の解答:


 私が一晩かけて考えた答え:(1)A君の自分で歩く速さと、動く歩道の速さの比は、(84-48):48=3:4。(2)動く歩道が1分間に動く距離は、A君が、到達するまでに自分で歩いた距離に等しい。A君が到達するまでの時間は、(1)で求めた速さの比の逆数になるので、1分×(4/3)=1分20秒。これが最初の答え。A君が自分で歩いた距離の合計は、0.7m×(84+48)= 92.4m。これが動く歩道の分速に等しいので、92.4m×(1分20秒+1分)= 215.6m。これが、2番目の答え。

5月28日の解答:

太郎が最後に次郎を追い抜いたのは、10時40分+20分+45分+1時間=12時45分。9時から12時45分までのあいだに、太郎と次郎が走った距離は同じである。次郎はずっと走っていたので所要時間は3時間45分。太郎は45分間休憩しているので3時間。よって速度の比は、この逆数の比になるので5:4となる。さて、次郎は9時に太郎に追い抜かれてから、再度10時40分に太郎に出会うまでに100分かかっている。太郎が最初にこの地点に到達する時刻は100分×4/5=80分だから、10時20分。太郎は、この地点からB町に向かい、直ちに引き返しているので、10時20分から10時40分までのちょうど中間点でB町に達しているはずだ。よって、B町に到着したのは10時30分。これが答え。