じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 2月10日の早朝、東の空の雲の間から月齢27.7の月が昇ってきた。2日後の2月12日には新月となり、旧暦のお正月が始まる。

2021年2月11日(木)




【連載】「刺激、操作、機能、条件、要因、文脈」をどう区別するか?(50)杉山尚子先生の講演(15)行動の定義、複数の行動の連携と競合

 昨日に続いて、

●杉山尚子先生(星槎大学)×武藤崇(同志社大学)による対談:「随伴性ダイアグラム」をめぐる冒険

についての感想。

 マロット先生や、杉山ほか(1998)の『行動分析学入門』で提唱されている「行動随伴性」については、昨年12月に、 のあたりで、私なりの考えを述べており、ここでは繰り返さない。

 そのことを含めて、私がまだ納得できていないのは、「行動随伴性」あるいは「二項随伴性」のダイアグラムに書き込まれる「行動」が、1回1回の反応のレベルに注目しているのか【微視的視点】、それとも一連の反応のまとまりとしての行動【巨視的視点】に注目しているのか、という点である【こちらに関連記事あり】。
 杉山先生のご説明では、
  • 三項随伴性:「弁別刺激:反応→強化」
  • 行動随伴性:「直前→行動→直後」
というように、行動随伴性では真ん中のところに「反応」ではなく「行動」が入っており、また、「Behaivior」は不可算名詞であるとも説明された。また、杉山ほか(1998)の『行動分析学入門』でも、1回1回の反応ではなく、「あぐらをかく」、「泣く」、「教室で暴れる」、というように、一定時間継続するひとまとまりの行動が事例に含まれているようである。そのいっぽう、1回ごとの反応において、その反応の直前と直後の環境変化を重視しておられるようにも思われた。
 行動の定義においては、もう1つ、形態的類似性による定義と機能的定義という問題がある。行動分析学は行動を機能的に定義する立場をとっていると言われるが、機能的定義というのは対象とする行動現象を十分に観察、時には実験的操作を含めて系統的に観察する中で初めて確定する定義である。刺激も機能的(制御変数的)に定義するとなると、アプリオリに「行動」を定義することはできない。そうなると、まず、行動という観察対象を固定して、その中で直前と直後の変化を調べてみるというのも、過渡的な作業にならざるを得ないようにも思う。もちろん、行動随伴性が発見ツールであるとするなら、そのこと自体に意義があるとも言えるが。

 このほか、日常場面で行動を観察するということになると、巨視的な視点どころではなく、全人的視点が必要になる。人間は(←本当は人間ばかりではないが)、個々バラバラにいろいろな行動をしているわけではない。例えば、私の場合、定年退職後はほぼ毎日、半田山植物園までウォーキングに出かけているが、ここでの「歩く」という行動は、植物園内で「花の写真を撮る」という行動と連動し、さらに帰宅後、写真ファイルを整理し、楽天ブログに投稿するといった行動に繋がっている。こういう一連の行動もあるいっぽう、競合する行動もある。例えば、ウォーキング歩数は日によって変動するが、特に、他の用事で車で外出した日は歩数が大幅に減ることがある。この変動は、ウォーキングという行動にかかわる強化随伴性では説明できない。人間は1つの時間帯には1つのことしかできない。車の運転をしながら同時にウォーキングをすることはできない。
 ま、もともと、刺激も行動も、それぞれ渾沌とした連続体であって、明確な境界で分割することはできない。とはいえ、全くの無秩序ではないので、観察者がニーズに応じて、それらを適当な形で切り取って、予測や影響に役立てることは可能である。三項随伴性も、行動随伴性も、ABC分析も、三角(Moxley, 1982)も、タコ足(島宗, 2020)も、盆栽(武藤, 2020)も、どれが正しいかというものではなく、けっきょくは、それぞれのツールがどういう現場で有用であるのかによって、進化していくものと思われる。

 不定期ながら次回に続く。