じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 7月7日(木)の夜、自然科学研究科棟の屋上で七夕観望会が行われた。夕食後の散歩のいつものコースを変更して行ってみたところ、19時半前から学生や子ども連れの家族で賑わっており、行列に並んで、35cm屈折望遠鏡【写真左上】にて、木星と衛星(見えていたのは3つ)を眺めることができた。このほか、2階では4次元デジタル地球儀を使った木星の解説【写真左下】が行われていた。

 この観望会は屋上に天文ドームが設置されて以来毎年企画されていたが、聞いたところでは、実際に晴れて観望会実施となったのは今年が初めてだという。

 ちなみに、この屋上を訪れたのは2011年10月のホームカミングデー以来(こちらにも写真あり)であるが、夜景を眺めたのはこれが初めて。もっとも、2011年9月から2012年4月まで、文学部耐震改修工事にともなう研究室の一時移転先としてこの自然科学研究科棟の5階を間借りしていたことがあり、5階からではあったが、同じ建物の窓から夜景を眺めることはできていた。

2016年07月07日(木)


【思ったこと】
160707(木)トールネケ『関係フレーム理論(RFT)をまなぶ』(63)派生的関係反応(35)言語行動の新しい定義

 昨日の続き。

 第4章の最後は、「言語行動の新しい定義」と「まとめ」の節で締めくくられている。

 これらの節では、スキナーの言語行動理論を踏襲しつつ、『言語行動』やその後の一連の著作が刊行された時にはまだ発見されていなかった諸法則・諸効果とそれを説明するRFTに基づいて以下のように再定義が行われている。
Verbal behavior, according to RFT, is to put stimuli (events) in relation and to act on or react to stimuli based on the resulting relations. 【原書88頁】
言語行動とは,刺激(出来事)を関係の中に置き、結果としで生じる関係に基づいて,刺激に対してアクションし,あるいはリアクションすることである。【翻訳書123頁】
もっとも、この文章だけでは何のことか分かりにくい。長谷川の紀要論文の中で、いくつかの関連記述の引用があるので、理解を深めていただくためにここに再掲しておく。

 まず、ヘイズほか(2014)は、
 RFTの観点からすると、関係フレームづけは言語と高次認知の中核だといえる。また、ある出来事が関係フレームに関与するがゆえに何らかの効果を持つ場合には、それは言語刺激(「シンボル」)と呼ばれる。...我々が言語的という用語を使うとき、それは必ずしも言葉を意味しているわけではないし、また、認知という用語を使うときも必ずしも言葉という形態をとって生じる思考を意味するわけではない。むしろ我々が「言語的」または「認知的」と言った場合、それは「派生的関係性を生み出すようなトレーニングを経た」ということを意味する。【74頁、ルビは下線に改変】
※ヘイズ,S.C.、ストローサル,K.D., &、ウィルソン, K.G. 著 武藤崇・三田村仰・大月友 監訳 (2014). アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT) 第2版 -マインドフルネスな変化のためのプロセスと実践‐星和書店. 【Hayes,S.C., Strosahl,K.D., &  Wilson,K.G. (2011). Acceptance and Commitment Therapy 2nd ed. Guilford Publications Inc.】
と述べている。

 さらに『言語行動」(Skinner, 1957)における「マンド」と「タクト」の再定義に関して、長谷川の紀要論文の一部を再掲しておく。
 まず、「マンド」であるが、単に「水」と発声して実物の飲料水を、「コーラ」と発声して実物のコーラを受け取ること自体は

・発声→好子(飲料水、コーラ)
というオペラント強化であり、特定の発音をするということと、音の組み合わせが任意、かつ言語共同体の中で固定しているという点を除いて、通常のオペラント強化:
・自販機のボタン押し→好子(飲料水、コーラ)
と何ら変わることはない。この範囲では言語行動という概念は必ずしも必要とは言えない。しかし、一度も好子として出現したことのない実物に対応する音声がマンドとして初めて発せられるということについては、RFTなしには説明することができない(Barnes-Holmes & Barnes-Holmes, 2000)。

 次に、タクトについても、Skinnerの定義にだけでは不十分であったことが指摘されている(トールネケ, 2013、122-123頁)。
...Skinnerの定義によるタクトは、RFTの観点からは必ずしも言語的であるとは限らない。もしも、子どもが「イヌ」をタクトするなら、この反応は、以前にイヌを見て「イヌ」と発語したあとにこの行動に随伴して強化を受けたことの結果によるものかもしれない。それでも、これらすべてのことは、「イヌ」というフレーズが関係フレームに関与することなしに、生じることが可能である。そのため、その場合には、このタクトは完全に直接随伴性を通じて確立されたものであるため、RFTの定義に従うと言語的ではない。とはいえ、子どもたちが「イヌ」というフレーズを使うときは、多くの場合それは本物のイヌと(またほかのものとも)派生的関係にある。そうであれば子どもたちの反応は、RFTの基準でも言語的ということになる。
 このほか、オートクリティックとしての文法やシンタックスについても、RFTを導入することで、Skinner(1957、344頁)を遙かに超えた説明が可能であると指摘されている(Barnes-Holmes & Barnes-Holmes, 2000、80頁)。
 上記の「イヌ」のタクトの部分を補足すると、犬の写真を見せて「ネコ」「ウサギ」「イヌ」の文字が記されたパネルキーのうち「イヌ」を押すという行動であれば、チンパンジー、あるいはハトでも学習可能であろう。これは「犬の写真」を弁別刺激とした選択(見本合わせ課題)でありこのレベルでは言語行動とは言えない。しかし、「イヌ写真の隣にネコの写真を置いてください」という教示を正しく実行する行動、さらには、実物の犬に吠えられて怖い思いをした子どもが、「イヌ」という音声を聞いただけで恐怖反応を生じることがあれば、これらは言語行動であると言うことができる。

 第4章の終わりのまとめのところでは、
This behavior is called relational framing, or, more technically, arbitrarily applicable relational responding (AARR.). The latter term illustrates several of the considerations discussed in this chapter. "Responding" makes clear that this is a behavior. Relational responding" lets us know that this behavior involves relating events to each other. That these relational responses are arbitrarily applicable tells us that this relational responding is not based on any nonarbitrary or formal (physical) relations between the stimuli being related; rather, it is based on aspects of the context that specify the relation such that the relational response can be brought to bear on any stimuli or events, regardless of their nonarbitrary properties (Stewart & McElwee, 2009). These aspects of the context, or contextual cues, are established by social whim (hence arbitrarily applicable). Thus anything can in principle be put into any frame. "Arbitrarily applicable relational responding" and "relational framing" are synonymous. An additional synonymous term is the one used in this chapter's title: "derived relational responding." 【原書88〜89頁】
この行動は,関係フレームづけ,あるいはより専門的には,「恣意的に適用可能な関係反応(AARR)」と呼ぱれる。後者の呼び方は,この章の中で検討された事柄の多くを説明している。「反応」は,これが行動の―種であることを明らかにする。「関係反応」は,この行動が,出来事を相互に関係づけることにかかわることを示している。これらが「恣意的に適用可能」だということは,この関係反応が,関係づけられる刺激同士のいかなる非恣意的な関係や形態的(物理的)関係にも基づかないことを意味する。むしろ,それは,関係を特定する文脈の側面に基づく。そして,この文脈は,刺激の非恣意的性質とは関係なく,どのような刺激や出来事に対しても関係反応を可能にするのである。文脈が持つこれらの側面,あるいは文脈手がかりは,社会の気まぐれによって確立される(したがって,恣意的に適用可能となる〕。このように,原理的には,あらゆるものがあらゆるフレームの中に当てはめられ得る。「恣意的に適用可能な関係反応」と「関係フレームづけ」は,同義語である。同じように同義の用語は,本章の章題にも使われている「派生的関係反応」である。【翻訳書123〜124頁】
と記されており、けっきょく「恣意的に適用可能な関係反応」と「関係フレームづけ」、さらに「派生的関係反応」が同義であるとされている。いずれにせよ、特定の現象を記述したり特徴づけたりする用語と、その現象を説明する用語については区別が必要である。但し、ここでいう「その現象を説明する」というのは、どういう条件が揃った時にその現象が生じるか、どういう条件を変えればその現象に影響を与えることができるのかを明確にするという意味であって、現象の内部機構(神経生理学的な発生機構や構成概念など)を解明せよということではない。

 次回に続く。