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昭和30年代の写真日記

Copyright(C)長谷川芳典





[写真] [写真] 1956年12月31日。4歳2カ月。神宮外苑の競技場(写真左)と相撲場(写真右)。競技場は、おそらく国立競技場ではないかと思われる。
神宮外苑の歴史には、「1956 31年 12月 25日 外苑競技場を国(文部省)に譲渡、国立競技場となる (東京オリンピック開催のため)」と記されてあったのでその直後のことであろう。また施設そのものもこの直後に取り壊され、1957年1月から新競技場着工、1958年3月に完成したという。
いっぽう、ウィキペディアの大相撲の項目によれば
昭和21年に両国国技館が連合国軍最高司令官総司令部によって接収されメモリアルホールとして改装された。その、こけら落としとして同年の秋場所(11月:13日間)が行われた。連合国軍最高司令官総司令部によって本場所開催を年3回認められたが、メモリアルホールを使用することは許可されず、昭和22年(1947年)には明治神宮外苑相撲場にて行うこととなる。青天井のこの相撲場では正月場所は行われず、6月、11月、又は昭和23年(1948年)の5月をそれぞれ執り行うに留まった。
と記されていた。この相撲場は1961年4月に神宮第二球場となった。[2006.1.14.]。

[写真] [写真] 1956年12月31日。4歳2カ月。絵画館(聖徳記念絵画館)にて。この時は建物の中には入っていない。中学生の頃、1人で一度だけ、中を見学した記憶がある。

建物そのものは今でも殆ど変わっていないと思うが、建物前の広場の風景は大幅に様変わりしている。こちらに、最近の写真あり。↓の赤坂迎賓館の写真も含まれている。[2006.1.9.]。

[写真] [写真] [写真] 1956年12月31日。4歳2カ月。アルバム原版には、大晦日の日、父親と一緒に、国立自然教育園、国立国会図書館、絵画館を回ったと記されている。写真は国会図書館(こちらに沿革あり。現在は赤坂迎賓館)。
当時の様子はよく分からないのだが、門が開いていて、建物前まで勝手に入れたようだ。今となっては貴重な写真。[2006.1.8.]。

[写真] 1956年8月。3歳10カ月。箱根芦ノ湖の遊覧船「桃源丸」。海賊船や外輪船のような豪華な観光船は無かった。観光船の歴史について記されたサイトには、「箱根観光船が設立されたのは昭和25年(1950)。...当初お目見えした船は「乙姫丸」「大観丸」「竜宮丸」「桃源丸」など、20トン未満(定員約150名)の小型船でしたが、観光ブ−ムの兆しも出始めた時期であり、人気は上々。小さな船体にたくさんのお客様を乗せて、毎日元気いっぱい箱根町〜元箱根〜桃源台間を行き来したものです。」とあった。 [2004.12.19.]。

[写真] 1956年4月。3歳6カ月。狛犬というものに生まれて初めて触れているところ。青山の近くと思われるが、正確な場所は分からない。どなたかお教えいただければ幸いです。後ろの三階建てのビルがあった場所は、今はどう変わっているのだろうか。 [2004.12.12.]。

[写真] 1956年4月および10月。当時の庭の様子。写真上部やや左には防火水槽とコンクリートの生ゴミ入れがあった。生ゴミはたい肥化して、柿の木の根元などに埋めた。写真上部やや右にはニワトリ小屋があった。写真左下は1956年10月(満4歳)の頃、サングラスで「変装」しながら遊んでいるところ。 [2004.12.10.]。

[写真] 1956年2月。3歳4カ月。隣の家の人が撮影してくれた写真。ここで注目したいのは、垣根が竹でできているということ。斜めにたてかけたベンチも木製。古くなった時はすべて薪となって風呂の燃料にしていたので一切ゴミは出さず。[2003.6.28.]。



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