じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



01月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§
パソコンを葬る、蘇らせる(4)TOSHIBA DynaBook T7/520CME

このマシンは2003年夏の日本行動分析学会・岡山大会で使用するために公費で購入した備品である。CPUは2.00GHzで当時のノートPCとしては最速レベルではなかったかと思う。また、DVD-ROMの再生もできた。学会終了後も、もっぱら授業用や、研究会プレゼン用に使用してきた。

 しかし、いちばんのネックはメモリが256MB固定で増設できないことにある。このため、最近のウイルス対策ソフトを常駐させると重すぎで、起動時やアプリケーション切り替えで長時間待たされてしまう。さらに、USB端子が1.1なので、読み書きが遅いことに加えて、USBデータリンクケーブルで繋いで、他のPCと連携して使用することができない。

 ウイルス対策ソフトを入れると極端に重くなることとUSB2.0非対応ということから、複数人が入れ替わり立ち替わりUSBメモリを抜き差しするような研究発表会場用としてはもはや利用不可能となってしまった。

 しかし、今回、ウイルス対策ソフトを含めて、重そうなソフトをすべてアンインストールしてみたところ、驚くほど高速で動くことが分かった。また、1月22日にも述べたように、東芝のノートPC用のACアダプターは、私の知る限りでは、みな15Vで一貫しており、差し込み口の形状も同一。しかも、新品の純正品が2500円で購入できるのでまことにありがたい。

 今後の利用予定として、高齢者施設に一定期間常置し、利用者(↓の連載で言えば当事者)の方々の脳トレ用、リクレーション用のソフトの開発に役立てられればと考えている。

1月26日(木)

【思ったこと】
_c0126(木)上野千鶴子特別招聘教授着任記念学術講演・シンポジウム(16)シンポジウム(3)小泉義之氏のコメント

 昨日の続き。

 シンポジウム3番目は、小泉義之氏によるコメントであった。リンク先にも紹介されているように、小泉氏はルネ・デカルト、ジル・ドゥルーズ、エマニュエル・レヴィナスなどの御研究で知られているほか、文芸評論、漫画やライトノベルなどサブカルチャー評論も積極的に行っておられる。少し前までブログやツイッターにも参加しておられたが、ウィキペディアリンク先に限って言えば、期限付きブログのほうは2008年4月2日で終了、ツイッターのほうも2010年12月27日で終了されている。特にブログのほうは、たいへん格調高い内容となっており、最終回は、最後に三題というタイトルで、【乞食の自由】、【時間と空間】、【フランツ・ローゼンツヴァイクのALS】を取り上げておられた。

 さて、今回のコメントでは、まず、福祉国家論については、すでにフーコーが唱えていること、日本では1990年代からの20年のうちに大きな変化が起こったが、何が変化したか分からない。しかし、1990年代から2000年代において何か変化があったことは間違いなく、しかもその変化は完了したというような、謎めいた発言をされた。とにかくバブルの崩壊を経て、現在我々はすでにユートピアにおり、「介護の社会化」、「福祉の多元化」が現実化しているというようなことを指摘された(←あくまで、長谷川のメモと記憶に基づくため不確か)。

 その上で上野氏の『ケアの社会学』に言及しつつ、介護保険の真の利用者は中産階級のファミリーではないか?、脱家族化・個人化となぜ言えないのか? というような質問を提出された。

 さらに、ケア労働の賃金はなぜ安いのか?についての疑問と、御自身の見解を述べられた。ケア労働の賃金が相対的に安いことについては、確かに重要な論点になると思った。しばしば言われるのことは、ケアというのは本来無償で行う尊い仕事であり、金目当ての労働ではないというような発想。そこにはプライドの値段とか感情の値段という見方もあるらしい。ジェンダー論との関係で言えば、ケアは本来家庭の主婦が行っていた(行うべき?)ものであるからして、主婦のパートタイム労働と同じく低賃金となるという考え方がある。さらには、ケア労働の賃金を高くしてしまうと、特定の階層の参入を招いてしまうという弊害を指摘する考え方もあるようだ。もともと、介護保険が導入された経緯には、医療の高負担との分離があったとも言われている。たしかに、これらの考え方の根底には、家族やジェンダーをめぐる固定観念や、政治的意図が含まれていることは間違いないとは思う。

 次回に続く。