じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2011年版・岡山大学構内の紅葉(14)自然科学研究科棟から眺める半田山の紅葉。

 今年は半田山の紅葉が例年になく鮮やかであったが、12月9日以降の強い寒波到来で一気に茶褐色に褪せてくる模様。写真は、12月6日に、自然科学研究科棟5階の北側の窓から撮影したものである。この建物に間借りしているのは来年4月までなので、この場所から絶景を眺められるのはこれが最初で最後ということになる。写真左端は文学部、その右側近くの赤いところは、時計台横のカイノキの紅葉、カイノキの上が時計台。その右隣は図書館新館。3枚の写真のつなぎなので、つなぎ目で建物の一部がゆがんで見えている。

 建物の上層階から撮影した主な過去写真は以下の通り。

12月8日(木)

【思ったこと】
_b1208(木)日本質的心理学会第8回大会(13)「個性」の質的研究(12)関係の中における個のふるまい(3)「個性」は個体の中は無いという議論

 昨日の日記では少々脱線して、行動分析学における直接効果的随伴性やルール支配との関係について考察した。エスノメソドロジーでは「ある社会の成員が用いている方法(論)」や、「人々が用いている会話の(規範的な)規則」というものが暗黙のうちに用いられていると想定されているようであるが、行動分析学的見方をすれば、それらの方法や規則は、それを使うことによって強化されるからこそ習慣化しているのであり、また、個々人の相互作用のなかで強化・維持されていくものと考えることができる。

 もっとも、これに近い見方は大橋氏の話題提供の後半のところでも、
  • 【検事による容疑者取り調べのような過程で】会話のトラブルが解消されるまま進展してしまう様子の中で「動的な個別性」が明らかにされる。
  • 容疑者と検察官とのやり取りは単なるパーソナルメソッドのみで成り立っているのではなく、エスノメソッドも当然共有されている。
というように言及されていた。

 大橋はそれに続いて以下のように指摘された。【スライド画面からの要約引用】。
  • 「個性」は個体の中にあるというよりも、社会の中におけるその人の振るまいにおいてこそ現れる。→「個性」は社会や他者と切り離されたものとして存在するのではなく、社会におけるやり取りの中においてこそ、「個」を捉えることが可能となる。
  • やり取りがトラブルなく進展しているときは、エスノメソッドもパーソナルメソッドも一種透明な存在である。
  • トラブルが生じた際に、それがどのように両者の間でマネジメントされるのかを見ていくことで、エスノメソッドとパーソナルメソッドのプロセスが明らかになっていく。→個の特徴(パーソナルメソッド)は、トラブル(ズレ)が生じながらも進展してしまうトラブルが解消しない動的なやり取りの中に見出すことができる。
  • 共有されるメソッドと、食い違うメソッドは表裏一体の関係にある。
 これらのご指摘を、行動分析学的に翻訳すれば、以下のようになるであろう。
  • 「個性」は個体の中にあるというよりも、社会の中におけるその人の行動においてこそ現れる。「個性」は社会や他者と切り離されたものとして存在するのではなく、その個人がどのような行動随伴性によって強化、弱化されているのかを見ることで明らかになる。
  • トラブルの無い状態では、当該行動を強化・維持している行動随伴性を同定することは難しい。トラブルやその変容過程では、随伴性が変化するので、何が効果をもたらしているのかを条件の組み合わせについての差分法分析によって明らかにすることができる。


次回に続く。