じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡山大学構内の紅葉情報の第11回目(2007年11月17日)は半田山のイエローバンド(エベレストにあるような黄色い帯。正体は周回道路沿いの樹林帯の黄葉)。Googleで「半田山 イエローバンド」という語を入れて検索すると13件ほどヒットするが、大部分は私の過去日記のようだ。

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11月17日(土)

【ちょっと思ったこと】

ホームズ彗星、25、26回目

 11月17日(土)の夕食後と18日(日)の早朝5時半頃にホームズ彗星を眺めることができた。双眼鏡でははっきりと見えたが、肉眼では殆ど分からない(そこにあると思って目を向けるので、見えていると思う程度)。

 17日(土)の夜には、近くにアンドロメダ銀河も見えていたが、ホームズ彗星のほうが数段明るく、また、モヤモヤと輝いている部分の見かけの大きさも4倍以上はあった。

【思ったこと】
_71117(土)[心理]日本心理学会第71回大会(54) 日本人は集団主義的か?(19)経済学における学術レベルの論争と通説

 三輪氏の

●「日本株式会社」論の検証

という話題提供では、まず、経済学や経済学者の世界が、世界中で驚くほど標準化されているという紹介があった。かつての「近代経済学か、マルクス経済学か」などという図式は大昔のものであり、「Harvard学派か、Chicago学派か」もlocalなウワサ程度のものであるらしい。

 「日本株式会社」をめぐる論争の舞台がどこにあるのか、といった興味深いお話があった。

 これは心理学でも他の領域でも似たり寄ったりだと思うが、学術的な議論や論争の舞台というのはほんらいacademic journalsである。しかしその一方で、非専門家や一般読者を想定したマスメディアや「論壇」では、すでに決着したような話題が一人歩きし、一般社会に影響を及ぼし続ける。心理学で言えば「心理占い」、「血液型占い」、「深層」心理俗説などがこれにあたる。流行語大賞にノミネートされるような語の中にも学術的には根拠の乏しい概念、もしくは、その概念の一部の特徴だけが過大視され一人歩きしているといったケースはしばしば見られる。「日本株式会社」論や「系列」、「企業集団」、「企業政策」にもそうした面があったことは否定できない。三輪氏によれば、こうした「通説」、「常識」、「通念」は、標準的な理論的考察に基づいていないし、観察事実とも整合的でないが、「世の中」では相変わらず支配的地位を占め、またそれを「ただす」ことは容易ではなく、かつ、「ただす」ための努力は専門家には報われないことが多いという。とにかく「日本株式会社」論に関する「通説」、「常識」、「通念」が実態とはなはだしく乖離した神話であるということは、すでに30年も前から、研究結果に基づいて否定されていたというのである。

 じっさい、英語圏における学術論争では数年前に決着済みとなっている模様であり、「Keiretsu」のような伝統的な主張を前提にした論文はmajor journalsには載りにくくなっているという。もっとも、最近では日本経済は構造的にかなり変化しているはずで、放っておくと、「日本株式会社」が単なる作り話であったのか、それとも過去のある時代の特徴と見なされてしまうのか、確認が難しくなっていくようにも思える。


 経済学は、実際の政治・経済にも多大な影響力を及ぼしており、その分、学術的には根拠の乏しい通説がまかり通り、多数派の非専門家集団の言説に押し切られてしまうということも多々あるように思われる。昨日の日記でも述べたが、規制緩和論議で某・非専門家から「三悪人」呼ばわりされたことなどもその一例であろう。

 余談だが、かくいう私自身も、毎朝、朝食を食べながら「モーサテ」を視ているが、ゲストの宇野大介氏の分析などはよく当たるように思える。私自身は株式投資は一切やっていないが、もし大金が手に入って投資家になることがあれば、たぶん、経済学者より宇野氏のコメントを信用することになるだろう。一口に専門家と言っても、研究者としての専門家と、現場での専門家では、依拠するデータ・要因には違いがあり、現実の経済は、少なくとも目先の変化については後者の判断のほうが正確であるように思える。

 ま、とにもかくにもホンモノの経済学者の先生のナマの講演を拝聴することができた点はまことに貴重であった。私の職場は、正式には社会文化科学研究科という大学院組織であって、そこには経済学を専門とする先生方もたくさん在籍しているのだが、そう言えば、ふだん、学術面でのお話を伺う機会は全く無かった。

 次回に続く。