じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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2011年版・岡山大学構内でお花見(48)ユッカの花、見頃。

 6月10日の日記にも取り上げたユッカ(たぶん、「アツバキミガヨラン(厚葉君ヶ代蘭)」)がほぼ満開となった。この場所のユッカと背景にある旧・事務局棟については2004年6月13日の日記に記したようなエピソードがある。

6月20日(月)

【思ったこと】
_b0620(月)2011年版・高齢者の心と行動(21) 困難な状況をすべて先延ばしし、何もしないでゴロゴロするだけの退屈な生活を避ける方法(1)阻止の随伴性と「高い知能と器用な舌」を持つ牛

 今回からは、5月22日の日記で取り上げた、「好子出現による強化」の問題点
「好子出現による強化」だけの世界というのは、要するに、「やりたい時にやりたいことだけをすればよい」ということであるが、そのような状況では人はしばしば、困難な状況をすべて先延ばしし、何もしないでゴロゴロするだけの退屈な生活になってしまう。人は困難を克服することによってこそ強くなれるのであって、「好子出現による強化」という「甘やかし」だけでは、向上をはかることができない。
について考えを述べることにしたい。

 この問題のカギは、「阻止の随伴性」、「随伴性の入れ子構造」、「中長期的な複合的随伴性」の3点にあると私は考えている。

 まず「阻止の随伴性」であるが、これは、「行動すれば環境変化、行動しなければ無変化」という基本随伴性4通りに対して、「行動すれば無変化、行動しなければ環境変化」という論理的に可能な組み合わせ4通りを総称した随伴性のことである。行動することで、好子や嫌子がやがて出現することを阻止、もしくは、現に継続して存在している好子や嫌子がやがて消失することを阻止する結果をもたらすという意味で「阻止の随伴性」と呼ばれている。

 この「阻止の随伴性」については種々の議論があり、ごく一部の行動分析学関係者のあいだでしか使われていないが、スキナーの「The Non-Punitive Society(罰なき社会)」で論じられている「罰」とは大部分が、好子消失阻止や嫌子出現阻止の随伴性による強化のことを意味しており、この「阻止の随伴性」の概念なしに、やりたいこととしなければならないことを区別することは困難であろうと思われる。

 「阻止の随伴性」概念において注意しなければならないのは、それは、制御変数的定義ではなくて、手続的定義であるという点である。つまり、形式上は阻止の随伴性が設定されていても、そのもとでの人間や動物の行動は、より直接効果的な基本随伴性によって制御されている可能性が高い。また、「阻止の随伴性」を設定しても、行動がうまく変わらない場合もある。

 たまたま6月19日頃のネットニュースで、舌と口を使ってかんぬきを上下方向に開け、脱走を繰り返していた牛のことが紹介されていた。(こちらに動画あり。ネットでは「高い知能と器用な舌で門を開け、脱走を繰り返した牛」といったタイトルがつけられていたが、「高い知能」とか「器用な舌」というのが説明概念として有効であるかどうかは不明。) ここで問題となるのは、牛がなぜ脱走を繰り返したのかということである。形式的に言えば、牛たちは、「行動しなければいずれ殺されてステーキにされてしまう。行動(脱走)すれば殺されなくて済む。」という阻止の随伴性を設定されていたことになるだろうが、「高い知能と器用な舌」を持つ牛といえども、自身の絶望的な将来を予測することは出来まい。そうではなく、かんぬきを開けることでより広い空間で動き回れるようになり新鮮な牧草が食べらるようになったこと(好子出現による強化)、もしくは、牛舎内が不快でありそこから逃れられたこと(嫌子消失による強化)がこの行動を強化していたのである。

次回に続く。