じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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岡大七不思議の1つ「岡大観音」の謎解ける。5月17日翌日の日記で、一般教育棟・陸上競技場の隅に安置されている仏像(観音像?)の話題を取り上げた。そのさい勝手に「岡大観音」と名付け、「岡大七不思議の1つ」に挙げさせていただいているところであった。

ところが、30日の早朝散歩時にここを通りかかったところ、仏像の左隣の石碑に文字が刻まれていることに気づいた(いちばん下の写真)。その文字を手がかりにウィキペディアで検索したところ、こちらの事件で殺された方の追悼碑であることが判明した。おそらく命日の頃に関係者の方々の手で文字のまわりの苔や泥などが洗い落とされ、判読可能になったものと推測される。岡大に赴任して20年と2カ月になるが、こうした経緯について学内で話題にされたことは一度もなかった。

 リンク先のウィキペディアの記事によれば、この事件が起こったのは1975年であるという。当時30歳を超えていた教員はすでに全員が定年退職しており、当時学生だった関係者もまもなく定年を迎えるであろう。この石碑の文字と同様、事件の記憶はますます風化し、いずれは、岡大構内の戦跡(旧日本軍の施設等)や埋蔵文化財と同じような昔の出来事として語られることになるのであろう。

5月31日(火)

【思ったこと】
_b0531(火)2011年版・高齢者の心と行動(12) 喜びに低級や高級の区別は無い(5)累積的な結果や回想がもたらす好子(コウシ)

 昨日の日記では、夢や目標を持つことの意義について述べた。いっけん退屈そうで単純作業に見えるような行動であっても、将来の夢や目標をかなえるための準備行動の一部として位置づけられるのであれば、「ここまで目標に近づいた」といった、プラスアルファの好子がもたらされる。

 もっとも、この連載の本来の話題である「高齢者の心と行動」という観点から言えば、高齢者が描くことのできる夢や目標は若者ほどには多くはない。但し、以下のように、若者よりは高齢者のほうが実現可能な夢や目標というものもある。
  1. 宗教を信じる人であれば、死後に天国に行かれること。但し、天国を目標とすることの限界や論理的矛盾については昨日の日記でも指摘した通りである。
  2. 1000回登山、1万回登山というようにキリのいい数値目標を定め、健康管理と日々鍛錬により、その達成をめざすこと。
  3. スポーツ競技などで、同じ年齢の人たちと優勝を争うこと。マスターズ陸上競技など。
  4. ひ孫の誕生まで長生きできるよう健康管理につとめること。
  5. 自著を完成すること。
 さて、上掲の中にも一部含まれているが、高齢者の場合は、過去の累積的な実績と関連づけたほうが夢や目標を立てやすい。しかも、1回限りの目標であれば達成できなくてもチャレンジの内容を切り替えることができるが、累積的な実績に基づく場合は、「あと3回で達成」、「せっかくここまで積み重ねてきたのだから、もう少し頑張る」、「ライバルに負けたくない、史上最多記録めざす」という形で確立操作がはたらきやすくなる。もちろん、そのために無理をしすぎるということもあるが、多くの場合、大事をとってあきらめるよりは、無理をしてそのために寿命を縮めてもそのほうが最期まで生き生きと活動できるようにも思われる。

 以上は、累積的な実績を目標にリンクさせるという内容であったが、そのような単に過去を回想し、現在の行動に重ね合わせるだけでもプラスアルファの好子がもたらされる場合がある。例えば、何十年も前に過ごしていた場所や旅行した場所をもう一度訪れてみると、初めて旅行した場合とは違った感動が得られる場合がある。これはおそらく、風景の一部が条件刺激となって過去の情動を伴う記憶を誘発する(=誘発された情動が好子)ためと考えられる。また、実際に旅行しなくても、過去のアルバムを見たり当時の流行曲を聴くだけでも同じように情動を伴う記憶がよみがえることがある。体が不自由になればなるほど、回想の機会を増やす意義が高まってくる。

 次回に続く。