じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 5月30日早朝の大学周辺の風景。この日は、台風2号から変わった温帯低気圧の雲が残っていて弱い霧雨が降ることもあった。雲の切れ目から朝日が射し込んだ時に、ほんの数分間だけ西の空に虹が出現した(写真上。05時49分頃撮影)。なお、岡山では、5月29日に22.6m、30日にも16.0mの最大瞬間風速を記録したが、風による大きな被害は無かった。写真下は東西通りに散らばっていた枝の切れ端。


5月30日(月)

【思ったこと】
_b0530(月)2011年版・高齢者の心と行動(11) 喜びに低級や高級の区別は無い(4)夢や目標を持つことの意義

 昨日に続いて、
  1. その喜びが持続し、さらに大きな喜びとして膨らんでいく場合
  2. 短期的な喜びは得られるが、何か虚しさを感じたり、葛藤に陥ったり、物足りなさを感じる場合
の違いをもたらす原因について考えてみることにしたい。

 まず、昨日述べた、「シャベルを使って地面に、直径50cm、深さ50cmの穴を掘るという行動」であるが、その行動が、木を植えるとか小屋を作るといった長期的な行動の一環として行われている場合は1.となり、反面、ただ単純にこの行動を繰り返すだけであったり、それが強いられている場合(囚人や捕虜として嫌子出現阻止の随伴性で働かされている場合、労働をしないとクビになるという好子消失阻止の随伴性で働かされている場合)は2.になるであろうと述べた。このほか、その人が健康増進のための努力をしていて適度な運動の一環として穴掘りをしている場合は1.になる可能性がある。いっぽう、他にやりたいことがあって、穴掘り行動をすることでそれが妨げられている場合は葛藤を生じて2.になる可能性がある。

 さて、上記の穴掘りの例にも見られるように、見た目には単純な穴掘り行動であっても、それが、何かを成し遂げるための準備行動の一環として行われている場合は、喜びを持続させ、さらに大きな喜びとして膨らんでいく可能性がある。これは、しばしば唱えられている、夢をいだく、目標を持つ、といったことの意義と一体化している。夢や目標の内容については別のところで議論するとして、とにかく、夢や目標があるということは、それを達成するための準備的な行動に対する確立操作にもなるし、「ここまで達成できた」という好子を付加することもできる。ちなみに、「ここまで達成できた」というのは、自分が自分に対して与える好子であって、必ずしも科学的根拠は必要ではない。例えば、お祈りの回数を増やしても御利益(ごりやく)が出現するという保証は全く無い。しかし、ある強固な信念のもとでは、回数を増やすこと自体が好子になりうるのである。また、時たま、目標達成から遠ざかるような失敗をした場合でも、失敗が直ちに嫌子になるとは限らない。失敗の中にも将来につながる何らかの改善点を見いだすことができれば、その事実は好子になりうる。

 目標をどのくらいの長さで設定するのかは、現在の状態、社会的要請との合致度、その人の年齢や健康状態、目標自体の実現性などによって変わってくる。

 一般論として、目標はできるだけ先に置いたほうが、より長期的なスパンで、いますべき行動を持続的に強化することができる。しかし、目標を先に置けば置くほど、達成までのプロセスは曖昧になり、付加される好子は小さめになってしまう。例えば、ある行動を1万回遂行すれば20年後に目標が達成されるという場合と、10回遂行すれば一週間後に達成されるという場合を比較してみると、前者では、個々の行動は、1回あたり1万分の1しか目標に近づけることができないきわめて微小な好子にしかならない。後者の場合は、10分の1だけ目標に近づけるので、その分、達成感が出てくる。(これは1000枚の原稿を書く場合でも同様であり、書き始めの1枚は原稿完成にとって1000分の1の達成にしかすぎないが、残り10枚の時点で1枚書けば達成への貢献は10分の1にまで増大する。完成間際にやる気が出てくるのはそのためだ。

 将来の目標を「死後、天国で暮らすこと」に置けば、死ぬまでのすべての行動は天国に行くための準備行動として強化されるので、死への不安は和らぐことであろう。しかし無神論者にとっては「天国」という存在は何の実現可能性もないし、仮に天国があってもそこでの自分が全く別の存在になってしまうのであれば、自分が天国に行くことと他人に天国に行ってもらうことにはこれっぽっちの差も無くなり、じぶんの目標かどうかすら分からなくなってしまう。同様に、将来金メダルをとりたいとか、ノーベル賞をとりたいというような夢も、実際に獲得できる確率はきわめて低く、その分、途中で挫折を余儀なくされることもありうつ。

 逆に、あまりにも近いところに目標を置いた場合、それが達成できるまでの道のりでは、あらゆる準備行動はきわめて有効に強化されるが、達成したあとにどうしてよいか分からないという虚しさが残る可能性がある。受験勉強一筋で志望校に入学できた学生が、入学したあとで次の目標を見つけることができずにさまようケースなどがこれにあたる。

 次回に続く。