じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2011年版・岡山大学構内でお花見(35)丸ごと植え替え型花壇の宿命

 本部棟前の花壇は手間暇かけて四季折々の花が植えられているが、「丸ごと植え替え」方式をとっているため、まだ見頃であった花々が一日にして丸ごと引き抜かれることもある。写真上は5月16日の様子。写真左上にはパンジー、右上にはクリサンセマム・パルドサム(ノースポール)が植えられていたが、その後5月19日までの間に写真下のように景色が一変した。左下の花壇は昨年同様、ペチュニアが植えられるのではないかと思われる。右下のほうはすでにヒマワリらしき幼苗が植え付けられていた。

 公共花壇の宿命として丸ごと植え替えもやむを得ないところがあるが、毎朝散歩している者としては、「花はきれいだが、ポット苗がそこに埋め込まれているだけ」という印象しか持てない。植えっぱなしのイギリス式多年草花壇のほうが、四季折々の花が少しずつ咲いたり散ったりして、遙かに季節感がある。

5月20日(金)

【思ったこと】
_b0520(金)2011年版・高齢者の心と行動(2) 他者の心を理解する仕組み

 5月13日の続き。
 前回の日記で、特に強調したいのは以下の5点であると述べた。
  1. 他者の心を理解する仕組み(予測と制御、因果関係の理解、弁別行動の仕組み、弁別行動の再帰的定義としての他者理解)
  2. 行動を活発にする仕組み
  3. 喜びに低級や高級の区別は無い。喜び自体には上下はない。但し、同じ喜びであっても、喜びを与える仕組み(随伴性)によって、持続的で「希望」を与える喜びにもなるし、刹那的で虚しさだけが残る喜びにもなる。
  4. ドーパミン型とセロトニン型の区別は必要。
  5. 高齢者が喜びを得るためには何が用意されなければならないか。

 このうちの1.の「他者の心を理解する仕組み」であるが、行動分析学的には、これは、弁別行動(刺激性制御)のスキルを磨くということに尽きる。

 弁別の適応的意義については4月9日その翌日の日記などで述べたところであるが、他者を理解するという場合は、まず、他者がどのような刺激を弁別し、それを手がかりとしてオペラント行動を自発しているのかを把握する必要がある。その際に重要なことは、観察者は、他者にとって何が弁別刺激になっているのかをそう簡単には同定できないという点である。刺激自体がいかに客観的で測定可能なものであっても、複数の刺激がどのようにカテゴライズされて手がかりとして利用されているのかは、行為者ごとによってマチマチである。また、その行動が何によって強化・弱化されているのかもマチマチであって、系統的な観察がどうしても必要になる。要するに、単に経験を積んだり、共感・感動をしているというだけでは、他者は理解できない。これは、医師が患者を診る場合でも、リーダーが部下の諸行動をとりまとめる場合でも、夫婦間の相互理解でもすべて同様である。

 大災害や戦争の時に国民の心が1つになると言われるのは、国民の間の相互理解力が突然増したためではない。そういう緊急時になると、弁別刺激や強化子(好子や嫌子)の多様性が失われ、皆が同じ弁別刺激を手がかりとして行動し、かつ、きわめて類似した結果によって強化・弱化されやすくなるためにすぎない。平時に国民の心がバラバラになると言われるのも、その裏を反映しているに過ぎない。

 「高齢者の心」の理解が困難であるとすれば、その原因は、高齢者が利用可能な弁別刺激(手がかり)と、健常な若者が当たり前のように利用している手がかりの間にギャップがあるためである。なかなか喜んでもらえなかったり、こちらからの心づくしが怒りをかったりすることがあったとしたら、それらは、強化子の違いとして分析されなければならない。

 次回に続く。