じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 このところ強い冬型のために雪雲が押し寄せる日が多かったが、27日の夕刻は穏やかな空となり、半田山上空にはオーロラを思い出させるような絹雲が広がっていた。



01月28日(水)

【思ったこと】
_90128(水)[一般]円独歩高からお金とは何かを考える(6)老後にどう備えるか

 円が独歩高となったのを機会に、「お金とは何かを考える」連載を続けてきたが、今回は最終回として、老後の備えについて考えてみることにしたい。

 ここでもう一度、私自身が考えるお金の機能について再掲しておく(1月24日の日記参照)。
  1. 限られた資源(食物、土地、建物、道具など)のうちの一部を占有できるという権利。
  2. 他人からサービスを受けるための契約書としての機能。これも、ある意味では、相手の生活時間の一部を自分のために占有する、という機能と考えることができる。
 歳をとって体が弱ってくると、上記の1.の権利を拡大することは容易ではなくなる。部族間の争いの絶えない時代であれば、力の弱い者がその権利を守り続けることは困難であったが、今のような平和で秩序が守られた時代であれば、とりあえずは国や法律の力でその権利を保持することができる。

 もっとも、上記の内の食物は、何年間も貯えるというわけにはいかず、日々調達していく必要がある。土地や建物の権利を守るためには、固定資産税を払い続けなければならないし、建物のメンテナンスにも相当の費用が居る。この部分は何としても、「お金」という収入でまかなわなければなるまい。

 次に2.の「他人からサービスを受けるための契約書としての機能」であるが、歳をとればとるほど自立が難しくなり、他者のサポートを受ける度合いが高まってくる。これもやはり「お金」でまかなうか、もしくは、無報酬の互助的なシステムに身を任せるほかはない。

 ということで、お金を貯えることがどうしても必要であることは否定できないが、今回の連載で何度も述べたように、お金を殖やすというのは、お金というのは所詮、いま現在の、ローカルなやりとりの中で意味をなす程度のものであって(1月25日の日記参照)、20年〜30年先の何かの権利を約束してくれるものでは必ずしもない。

 今回の金融危機で露わになったように、株も債券も外貨もそんなにあてになるものではない。不動産なども、自分が住むかぎりにおいては「占有できる」という価値は守られるが、賃貸や売買をあてにして老後を守ろうと考えていたら、きっと痛い目に遭うにちがいない。

 とにかく、今の時代、老後は遊んで暮らそうなどという呑気なことは言っていられない。「よりよく生きるとはどういうことか」、「健康を守るためにどうすればよいか」、「健康を損ねた時には何が必要か」、「よりよく死ぬためには何が必要か」といった問題について真摯に考え、できるだけお金に頼らなくて済むような環境を整え固めていくことが必要ではないかと思っている。といいつつ、いま現在の私にはこれといった具体的プランがあるわけではない。将来受け取れそうな年金の額や退職金の額を漠然と把握している程度であって、100%のお金依存からは全く独立ができない現状である。