じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡山大学構内の紅葉情報の第21回目(2007年12月3日)。気象庁の記録によれば、この日は朝方5時台から7時台に合計2.0ミリ雨が降った。岡山県南部で1ミリ以上の雨が降ったのは、なんと、11月6日の5.5ミリ以来のことであった。

 写真は上から、
  • 農学部西門から東方向にイチョウ並木を見る。
  • 岡大西門横のモミジの落葉とアメリカフウ(モミジバフウ)の紅葉。
  • 北福利施設(岡大生協ショップ)前には、1年ぶりにクリスマス電飾が登場。昨年12月の夜景はこちらに。また、クリスマス後、撤去直前の様子はこちらにあり。



12月3日(月)

【ちょっと思ったこと】

ホームズ彗星37回目

 12月3日は、朝方雨が降ったが、その後冬型となり、岡山県南部では透明度の高い夜空となった。夕食後に双眼鏡で、ホームズ彗星とアンドロメダ銀河を見比べた。明るさや大きさは12月1日とほぼ同様であり、ホームズ彗星のほうがアンドロメダ銀河の4倍くらい、広がって見えた。

 なお12月4日の早朝5時半頃は、ペルセウス座付近に薄雲があって、眺めることができなかった。

【思ったこと】
_71203(月)[心理]徴兵制を導入すれば若者は規律正しくなるか?(4)罰的統制の限界


●徴兵制を実施し、一定期間、訓練や規則正しいルールにのっとった生活を強制すれば、若者は規律正しく行動するようになり、「モラルハザード、規範意識の欠落、希薄化」を改善することができるか?

という問題を考える連載の4回目。前回に引き続いて

●行動随伴性に基づく議論

について考えてみることにしたい。

 前回述べたように、
行動に関わる教育、訓練、しつけというのは、

●Aという状況のもとで、Bという行動をする。Aという状況以外では、Bという行動をしてはならない。

というように、Aという先行状況(Antecedent)とBという行動(Behavior)の関係を教えることが基本形となる。そして、このことを確実に実践に導くためには、

(1)Aという状況のもとでBという行動をすれば、Cという結果(ある事象の出現、あるいは消失といった変化)が伴う。【Bという行動をしなければ、Cという結果は伴わない。】

という基本随伴性、あるいは

(2)Aという状況のもとでBという行動をしなければ、Cという結果(ある事象の出現、あるいは消失といった変化)が伴う。【Bという行動をすれば、Cという結果は伴わない。】

という行動随伴性を直接的に体験すること、もしくはルール支配行動として身につけさせることがぜひとも必要である。

 行動分析学の知見によれば、行動随伴性には(1)に相当する4通りの基本随伴性、また、(必ずしもすべての行動分析学者が受け入れているわけではないが、(2)に相当する4通りの阻止の随伴性(高次の随伴性)があり、さらに、消去や確立操作、刺激制御などを含めると10数通りの異なる方法で、行動を増やしたり(継続させたり)、減らしたり(起こらなくしたり)することができると確認されている。

 この連載は行動分析学の入門編ではないのでこれ以上詳しく立ち入ることはしないが、一般論として、

●嫌悪的な結果によるコントロールは、状況や文脈に限定的であることが多く、抜け道やごまかしを助長しやすい。

という特徴があることは指摘しておいてよいだろう。

 要するに、ある場所、ある期間、強制的に何かの行動を身につけさせるということは、しばしば、

★Aという状況のもとでBという行動をしなければ、Cという罰を受ける(=すなわち嫌悪的な結果の出現)。Bという行動をすれば、罰を受けなくて済む。

という、回避型の訓練になりやすい。これは、訓練が行われている現場では即効性がある反面、訓練と異なる状況・文脈には般化しにくい。つまり、罰というのは、特定の場所で第三者から与えられる結果である。罰を与える者が居なくなればその随伴性は直ちに消失する。徴兵制のもとでいくら厳しい訓練を受けても、除隊後の日常生活にはその「成果」は及ばない。

 罰の効果が状況や文脈に限定的であることは、日常生活の種々の場面でもひろく観察することができる。例えば高速道路(制限100km)で110km、一般道路(制限60km)で70km近いスピードで走るということはありがちなことだが、オービスの直前やパトカー近くを走っているような時は、ちゃんと、制限速度内を守って走ったりすることが多い。これらはいずれも罰的な統制が限定的であることを示している。

 ちなみに、燃費の節約のためは60kmから70kmで定速走行するのが良いなどと言われているが(こちらに参考情報あり)、燃費節約を第一に走行している人は、警察の取締りがあってもなくても、60km程度で走り続けるであろう。これは、

●60kmで走るという行動をすれば、「お金という好子がガソリン購入により失われる」という好子消失をある程度阻止できるが、スピードを出しすぎると、消失が多大になる

という別の随伴性によって強化されているからであり(但し、車を運転すること自体は別の好子によって強化されている)、こちらのほうは状況や文脈に限定的とは言えない。




 海外旅行などをしていてしばしば感じることであるが、罰的な統制が厳しい国に住む人たちにとっては、法律や命令を守るということは必ずしも美徳ではない。現実には、そうした統制は「大ざっぱ」に運用されており、どういう抜け道があるか、どこまで大目に見てもらえるかという情報こそが、生活の知恵であり有用な情報になっているように思える。


 次回に続く。