じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
 月齢12.0の月と木星。先月30日の日記に記したように、6月の満月は一年中で空の最も低いところを通る。7月になるとその時期はズレてきて、今年の場合は月齢12〜13の頃、つまりこの写真に写っている頃が赤緯最南となる。

 写真でははっきりしないが、木星の真下には蠍座のアンタレスが見えている。


7月26日(木)

【思ったこと】
_70726(水)[教育]教職員投票で2位の学長

 各種報道によれば、山形大学は26日、学長選考会議を開き、次期学長に、今月初めまで文部科学事務次官だった結城章夫氏を選んだ。教職員投票による「学内意向聴取」では、候補者4人中、結城氏は、1位の小山・工学部長の378票に次ぐ355票で2位であったが、選考会議が上位3人に絞って投票した結果、結城氏が10票、小山氏が4票と逆転したという。この選出について、学内からは「決定は山形大の将来に大きな禍根を残す」とか「就任要請を辞退すべきだった」といった反発の声も上がっているという【以上、7月27日の朝日新聞記事からの要約引用】。

 教職員投票で2位だった候補が最終選考で学長に選ばれたというケースは、私の大学も同様であり、このことについては、2005年3月16日の日記に書いたことがある。

 その時にも述べたが、私自身は、第一次投票、あるいは意向投票のようなところで2位や3位であったからと言って、その候補が学長に選ばれてはいけないという理屈は全く成り立たないと思っている。なぜなら、岡大の場合も、今回の山形大の場合もそうだったが、教職員投票では過半数を占めるような圧倒的支持を得た候補は居なかった。決選投票を行えばどの候補が過半数の支持を集めたかということは分かるが、実際にはそういう選考方法をとっていないのだから、X氏とY氏の2者の比較において、1位のX氏のほうがが2位のY氏よりもたくさんの支持を集めていたという証拠はどこにもない。「全員投票では圧倒的支持を集めた候補が居なかったので、全員投票以外の方法により適任者を選出した」と解釈するのが妥当である。




 意向聴取において仮にA氏が90%、B氏が10%という大差がついていた時にも、規程上、選考会議がB氏のほうを選ぶということは可能であるかもしれない。しかし、実際にそんなことをすれば内紛の火種にもなりかねず、対外的にも、大学のイメージを損ねるだけになってしまうだけであろう。

 圧倒的支持を得た候補が居なかった場合、あくまで教職員全員による決選投票で決するべきだという意見もあるようだが、私はこれには賛成できない。投票者全員が候補者のことをそれほど深く知っているとは思えないし、結果的に、投票者の多い学部の意向や、学部連合的な「派閥」の影響を受けやすくなるだけに終わってしまうと思う。

 大ざっぱな意向調査は必要であろうとは思うが、最終決定はあくまで、学部間の利害に囚われない識者たちの大局的見地から選ばれるべきである。但し、そこに決定を委ねるということは、選考会議のメンバーはそれだけ重大な責任があるということも忘れないでほしい。選ばれた学長が不始末を起こしたり、大学が窮地に陥った時には、無限連帯責任を負うべきである。単に「責任をとって理事を辞めます」程度では済まされない。




 最近、いくつかの委員会等の報告書を見ていてつくづく思うのだが、各単位(学部、学科、講座等)から選出された代表の協議によって決せられた内容というのは、種々の自己都合、異なる教育観の表明の妥協の産物のようなものに終わっていることが多く、読むに耐えない。学内外の情報を十分に集めきっちりと分析した上での結論ならともかく、月に1回程度集まって各単位から出された意見についてあれやこれやと自分の信念を述べ、強硬な反発を抑えるような形でまとめ上げた結論などというものは、改革の足をひっぱるだけだ。ま、そうかと言って、リーダーが一人で突っ走ってトップダウンで強引に決めてしまっても、実のある実施には結びつかず、アリバイ的な作文の報告書が寄せられて、トップが交替したとたんに立ち消えになったりする。なかなか難しいものだ。