じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 3月3日の日記に掲載したミモザの花がいよいよ見頃となった。


3月16日(水)

【思ったこと】
_50316(水)[教育]岡山大学の次期学長予定者決まる

 岡山大学学長選考会議は16日、次期国立大学法人岡山大学長予定者を決定した。

 翌日の朝日新聞岡山版によれば、3月15日に実施された学内意向聴取(投票)では投票資格者1019人のうち約8割が投票し、A氏が379票、B氏が294票、C氏が135票という結果となった。16日の選考会議では、上位2名について審議を進め、最終的には11人の委員による投票の結果、A氏が3票、B氏が8票を獲得し、B氏が選出されたという。

 これまで、岡大の学長は、学内資格者の投票の結果だけで選ばれていた。今回は、学長は選考会議が選出するという国立大学法人の規定に配慮し、「学長選挙」ではなく「学内意向聴取」という形で投票が行われた。結果的には、意向聴取の得票第1位のA氏ではなく第2位のB氏が選ばれたわけだが、私個人は、これは妥当な選考であったと思っている。

 このことに対しては、「意向聴取の結果を尊重していない。第一位のA氏とすべきであった」という声もあるいは出てくるかもしれないが、それは違う。従来の学長選では、一回目の投票で過半数を獲得した候補が居なければ、候補者を絞り込んだ二次投票を行い(3名以上が残っている限りは三次投票もあり)、そこでも過半数獲得者が居なければ最終的には上位二名による決戦投票という方式で学長が決定されていた。

 そのさい、例えば、二次投票で、X氏300票、Y氏250票、Z氏150票というの得票順になったとする。しかし決戦投票ではY氏が360票、X氏が340票というように、Y氏が逆転勝利をおさめることはしばしばあった。これは、二次投票でZ氏を支持した人たちの多数が、決戦投票でY氏支持にまわったためである。

 もし「決戦意向聴取」なるものを実施していた場合には、B氏が過半数を得た可能性はあったが、今回はそのような方式はとらず、「圧倒的な得票の候補はおらず、3人とも甲乙はつけがたい」という理由のもとで意向聴取上位2名についての委員投票を行ったわけだから、実質的には、意向聴取の結果を十分に反映した決定であると考えてよいだろう。




 ところで、かつては「何が何でも民主主義」に何の疑問も持たないある私であったが、最近は、ポピュリズム迎合に対してきわめて否定的な考えを持つようになっている。

 候補者の名誉に関わることなので具体的記述は避けるが、何年か前の学長選挙の時、ある候補者がかなりの得票を集めた(但し落選)ことがあった。その方は学長になるような器も実績もなく、個人的には学長などになっては絶対に困ると思っていたところであったが、予想外の得票があったことに驚き、何人かの同僚にその方のことをどう思っていたのか訊いてみたことがある。その結果、候補者のことを十分に知らず、イメージや消去法(←他に投票したい候補が無い)で投票したという方が複数おられることが分かった。また、その候補者の推薦人名簿に名を連ねた複数の教員にも、なぜ推薦者となったのかを尋ねてみたことがあるが、その理由は「個人的に親しくしているから」「何度も頼まれ断り切れなかった」というような消極的なものであった。いやしくも公職をかけて推薦者に名前を連ねるからには、その候補者が学長として真にふさわしい人物であることを保証できるだけの見識と責任が求められると思うのだが、実際にはそのようなレベルには達していないようであった。

 このほか、特定の大学に限らない、「全構成員による学長選挙」の一般的な弊害としては、構成員の多い学部の利害が反映しやすいこと(全学的な視点で選ばれにくいこと)、大学によっては学閥の対立につながる恐れのあることなども指摘されている。

 こういうこともあって、私は、学長選挙はもとより、意向聴取の実施そのものにも否定的である。強いて言えば、学長の明らかな怠慢や失策により大学全体が危機に陥ったような時に限って、全構成員によるリコール投票を実施できるような仕組みさえつくっておけばよいのではないかと思っている。




 ついでながら、私は、学部長を選挙で選ぶことにも否定的である。そのような形で選ばれる限りは、どうしても支持母体の自己保身、棲み分けに配慮しなければならず、結果的に、全学の視点、さらには社会的ニーズを反映したような学部改革を断行することが困難になる恐れがあるからだ。あっ、これは、選挙の仕組みについて考えを述べただけにすぎず、決して、今の学部長のやり方を批判しているわけではない。念のためお断りしておく。