じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
新年度の教職員の懇親会が岡山駅近くの某ホテルで開催された。

この懇親会では毎年のように、「灰皿を撤去してください」と大声で叫んでいた私であったが、今回は、幹事諸氏のご配慮のおかげで、会場内には最初から灰皿が存在せず、「私の隣りでタバコを吸うヤツがいたら、コップの水をぶっかけてやる」と意気込んで参加した私としては少々、気勢をそがれた結果になった。

 なお念のためお断りしておくが、懇親の雰囲気をぶちこわすことが本意でないことはもちろんである。しかし、会場内の喫煙を認めるかどうかというのは、決して価値観の多様化配慮やら「お互いの立場尊重」などという問題ではない。傍若無人な喫煙者(=加害者。他者に迷惑を及ぼさないところでタバコを吸う人はこれには含まれない)に対する受動喫煙被害者の健康を守る闘いとして捉えていくべき問題である。

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4月11日(水)

【思ったこと】
_70411(水)[教育]第13回大学教育研究フォーラム(5)寺崎昌男氏の講演(2)「授業科目」の英語表記


 寺崎昌男氏(立教学院本部調査役・東京大学名誉教授/大学教育学会会長)による、

●大学教育をどう再構築するか−リベラル・アーツ、資格教育、そして大学院教育−

という特別講演の感想の2回目。

 講演の中ほどで寺崎氏は、「授業科目」の英語表記について言及された。ふつう真っ先に浮かぶのは「Subject」であるが、実は、「Course」あるいは「Class」と呼ぶべき理由がある。つまり、「コース」は「課程」の一部であり、学生の歩く道という意味が含まれている。「クラス」には、学生と教員が作る「学級」という意味がある。

 このことに関して私自身前から指摘しているのだが、授業評価というとどうしても、ティーチング評価、つまり、個々の教員の教え方の技術についての評価が主体となってしまう。ピアレビューでも同様だ。しかし、これから先、特に求められるのは「コース評価」、つまり個々の授業科目が、体系的な課程教育の中でうまく位置づけられているのかという評価である。専門家養成を目的とした学部はともかく、文学系学部ではまだまだ「コース」についての認識が甘く、各教員が自らの研究内容を披露するというだけ、という授業が展開されることが多い。ま、そのほうが、多様な価値の創造に有効、という見方も無いわけではないが。




 講演の後半では、学士課程教育と大学院教育、およびその中での教養教育の位置づけについて興味深い話があった。寺崎氏によれば、今や、学部4年間だけで専門家を養成するのは短すぎるという時代になっている。学士課程教育はかつては「教養ある専門人」の養成を目的としていたが、いまは「専門性を身につけた教養人」を育てる時代となっており、大学院においてこそ「教養ある専門人」の養成が求められているというような内容であった(←長谷川の聞き取りのため、不確か)。

 今回のお話の中では、ディシプリンを守るか、ディシプリンを超えた課題追究・解決型、もしくは横断型の教育を重視するかどうか、ということが大きな論点であったように思う。これはまた、スペシャリスト養成かジェネラリスト養成か、という問題にも関係してくる。

 次回に続く。