じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



3月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
[今日の写真]

 大学構内のミモザが満開となった。ミモザは成長が速く、手前のサザンカに覆い被さるように咲いている。が、ミモザを背景にして自らを引き立たせているサザンカの花もある。弱小でも特色を出せば引き立つ、という教訓になりそうな光景。


3月4日(日)

【ちょっと思ったこと】

早くもコウモリ出現

 3月4日の岡山市は最低気温10.5度と10度以上を保ついっぽう、最高気温は20.9度まで上昇した。最低気温の平年値が10.5度となるのは4月22日、最高気温が20.9度となるのは4月23日であるから、なんと1カ月半以上先の暖かさということになる。

 この日の夕刻には、早くも、大学構内やアパートの近くでそれぞれ5〜10頭のコウモリが乱舞しているのを目撃した。過去日記を辿ったところ、1999年には4月16日、昨年は非常に遅くて、5月22日になってやっと確認できていることが分かった。最高気温が20度を超えるようになると古家の屋根裏などから飛び出してくるようだ。




「秋芳洞」と「秋芳町」の読み方

 3月5日朝の「おはよう日本」で、山口県秋吉台の秋芳洞で、鍾乳石保護のため、蛍光灯による照明を発光ダイオードに切り替えるというようなニュースを取り上げていた。蛍光灯による照明では植物が繁殖し鍾乳石を傷める恐れがあるからだそうだ。

 このニュースで気になったのは、「秋芳洞」を「あきよしどう」と発音していたことだ。子どもの時からあそこは「しゅうほうどう」と呼ぶものだと思っていたので、さっそくネットで調べたが、
  • 1926年、当時皇太子だった昭和天皇が「秋芳洞」と名付けたが、どう発音されたのかは不明。
  • 地元の人たちは「秋芳洞」=「しゅうほうどう」と呼ぶようになり、1955年、合併により秋芳町が生まれる際に、町名は「しゅうほうちょう」となった。
  • 1963年に、正式な読み方が「あきよしどう」と決められた。
という未確認情報が記されている程度であった。しゅうほうちょうの公式サイトを見てもそのあたりの経緯は記されていない。ウィキペディアの秋吉台の項目には、
2004年10月29日に開催された美祢市・秋芳町・美東町の合併協議会において、新市名として『秋吉台市』が『美祢市』を押さえて最多得票を得た。これは、合併協議において美祢市に主導権を握られることに危惧を覚えた秋芳町と美東町の合併協議会委員の意向によるものと推測されるが、このことを引き金として合併協議が紛糾。ついには合併特例法期限内での合併を断念し、合併協議会は休止に追い込まれた。その後合併協議が再開され、改めて新市名の選定が行われた結果、『美祢市』が新市名に決まっている。
と記されていた。美祢市・美東町・秋芳町 合併協議会のサイトでは、「平成18年12月23日開催の第22回合併協議会において、すべての合併協定項目が確認されました。」とあるが、新市の名称については第49号その3において、「秋吉台市」を「___市(空白)」と変更することが記録されているのみで、確認はできなかった。いずれにしても「しゅうほうちょう」という名前は、いずれ、行政単位としては消えることになりそう。