じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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[今日の写真]
大学構内を流れる座主川(旭川からの用水)は季節により様々な変化を見せる。写真は10月26日の12時半頃に撮影したもの。周囲の樹木の落葉が進んで明るい日が差し込んだことと、水量が減ったことによって、水面が空を映し込んでいた。1ヵ月前に撮影した9月24日の写真と比べると、水量の違いがよく分かる。



10月26日(木)

【ちょっと思ったこと】

スワン彗星

 アストロアーツのニュースによれば、6〜7等台だったスワン彗星(C/2006 M4)がアウトバーストを起こし、4等台になったという。現在、夕方北西の空で比較的見やすい位置にあるそうだが、26日夕刻は曇っていて岡山では見えなかった。本日夕刻にできれば観察したいところだが、あいにくの出張。

【思ったこと】
_61026(木)[教育]高校で地歴を必修にする必要はあるのか?(3)必修という意味

 昨日の日記の続き。

 昨日の日記に、学習指導要領に定められた科目をきっちり履修させていなかった高校が、10月25日11時現在で12道県66校になると書いたが、調査が進んだ結果、その数は26日11時現在では35都道県254校に達しているという(10月27日付け朝日新聞記事による)。これまで主として問題にされてきた世界史のほか、情報Aや保健なども科目の未履修があることも明らかになってきた。さらには、倫理を履修させていない高校の中には、通知表の倫理の成績欄に別の科目の成績を記載しているところまであったという。これでは学校ぐるみの不正行為。調査書の信憑性さえ危うくなってくる。

 これまで繰り返し述べてきたように、私の考えは
  1. 学習指導要領に定められている以上は、それを守るのが当然。
  2. 但し、そのこととは別に、高校で、歴史や地理の授業をあれほどまでに詳しく教える必要があるのかどうかについては、根本に立ち返った議論が必要
という2点に集約される。とにかく、現時点では厳正かつ迅速な対処が必要。センター試験でいくら実績が上がったとしても、ミスやごまかしを放置するような高校は、教育機関とは言えない。受験勉強に有利にするための履修偽装、通知表ごまかしは、利潤追求のための耐震偽装と同根と言ってもよいだろう。




 さてそれはそれで厳正に対処するとして、引き続き2.について考察してみたい。

 昨日も指摘したが、私は、社会人になってからすっかり忘れてしまうような詳細内容を含む授業は、高校では必修にすべきではないと考えている。もちろん、白紙の上に世界地図を描いてどこにどういう主要国や大都市があるか(←描けない大人も多いようだが)、どういう資源があるのか、どういう問題が起こっているのか、あるいは、人類が何万年前に誕生し、その後どんな文明が栄えてきたか、といった最低限の知識は必修にしておいてよいと思うが、それ以上の詳しいことは、必要になった時に自力で学べばよい。少なくとも全員必修にする必要はない。




 さらに、そもそも必修とは何か。もういちど考え直してみる必要があるように思う。今のやり方では、「履修」とは要するに、生徒たちを一定時間数、教室に拘束することにすぎない。もちろん、小テストや中間試験、さらには期末試験で成績を評価した上で認定することになるのだが、実際にはかなりあやふやな達成度でも合格にしてしまうのではないか。

 例えば今度の未履修問題への対策として、ある高校で、体育館泊まり込みの補習をやったとしよう。生徒達は、マットの上で好き勝手に雑魚寝する。そこに世界史の先生が壇上に現れて、徹夜で講義をする。とにかく、教科書に沿って定められた内容の授業を実施するのである。この場合、生徒たちがグースカ寝ているかどうかは問題にしない。

 そうして、規定の時間数の授業が終わったら、今度は期末試験だ。この試験は、誰でも合格できるような仕掛けにしておく。例えば、試験問題はすべて○か×かの二択問題にしておき、全部○をつけたら60点になるように配慮しておくのである。もちろん、ちゃんと勉強している生徒は満点を取れるが、何も分からない場合は、全問に○をつけておけばいいのだ。これで全員合格である。

 とにかく一番の問題は、必修科目と言いながら、60点程度で合格にしてしまう仕組みにあると私は思う。必修とは「全員、これだけは学んでおかないと困る」というミニマムの要件であるべきだ。ならば、合格基準は90%以上に設定し、評価は「合」か「否」いずれかにすべきである。「否」となった場合は、在学中に何度でも履修させる。また、「合」となった場合は、できるだけたくさんの選択科目を履修し、「合」の単位数を増やしていけばよい。これをさらに発展させた、「高校の授業は、経験値制で」というアイデアもあるのだが、これはまた来週以降に論じることにしたい。