じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 大学院・文化科学研究科棟(放送大学棟)前のガザニア。2002年の春に、ガザニア、アイスランドポピー、ナデシコ、テンニンギクの混植花壇として造成された。アイスランドポピー以外は多年草化して毎年花を咲かせているが、昨年年5月11日の写真に比べると、花の数がちょっと少ないようだ。


5月23日(月)

【ちょっと思ったこと】

マンガ家の夢って何?

 夕食時にNHKあしたをつかめ 平成若者仕事図鑑を視た。この日の放送は“夢”を仕事にしたいですか- 漫画家 -という仕事紹介であり、番組記録サイトによれば今年の2月14日放送分の再放送であったようだ。

 平成若者仕事図鑑に出てくる若者の中には、幼い頃からの夢をやっとのことで実現し、更なる飛躍をめざして努力を重ねている人たちが多い。5月9日に視た海上保安官の川浪耕一さん(25)の場合も、子どもの頃、友達の家で海上保安官をしていたそこのお父さんから制服を着させてもらったのがきっかけであったと語っておられたが、海上保安大学校には3度目の挑戦でやっとパス、その後厳しい訓練に耐えて、現在の仕事に就いておられるとのことだった(←長谷川の記憶に基づくため不確か)。

 今回登場の新人マンガ家の咲坂芽亜(さきさか・めあ)さん(22)の場合も、高校生の頃から何度も出版社へ作品を持ち込み、ようやく夢をつかんだものの、まだまだ読み切り作品のみで連載の依頼は来ていない。生計を守るために、また、技を学ぶために、売れっ子マンガ家のアシスタントもつとめている。担当者の要請に従って描き変えたり、締切に追われて徹夜をすることもしばしば。




 さて、今回の中で咲坂さんは、視聴者へのメッセージとして、「自分の夢にすることに悩んでいる人にとっては、もうそれは夢ではない。やりたいことじゃない。やりたいことで悩むことは何もない。悩んでいる時点でそれはもう夢でないからやめたほうがいいよ。」というように語っておられた(←長谷川の聞き取りのため不確か)。そのこころざしは素晴らしいものだと思うが、私がいまひとつ分からないのは、「マンガ家になる」というのはどういう夢を実現することなのか、ということであった。

 小説家でも画家でも音楽家でもみな同じジレンマに陥ることがあるとは思うが、自分が本当に描きたい作品というものと、それが売れる作品であるということは必ずしも一致しない。2002年9月11日の日記で取り上げた田中一村のように「貧乏でなければいい絵は描けない」と考え、後に注目されるようになった画家もいる。しかし、マンガ家が漫画一筋で生計をたてるためには芸術至上主義ではやっていかれない。それとも、「マンガ家になる」という夢の中に、最初から「多くの読者を魅了したい」、さらには商品開発感覚で「ヒット商品を作りたい」という気持ちが含まれているのだろうか。

 マンガ家が作品を描く場合にはまた、出版社の判断が大きく物を言う。もちろん、新人マンガ家の場合には、構成力、表現力などで未熟な点が多々あり、出版社担当者のアドバイスが支えになることもある。しかし、営利企業である以上、売れない作品は描かせるわけにはいかない。読者のダイレクトな反応ばかりでなく、担当者や編集者のフィルターがかけられてしまうのはやむを得ないことだろう。

 いっぱんに、プロのマンガ家になるためには、持ち込みや投稿を通じて出版社の編集者に認めてもらうことが不可欠であると言われるが、いまの時代、自分の作品をアピールするだけであれば、ネット上でも十分可能であると思う。というか、漫画という作品は、何も印刷媒体だけで発表されるべきものではない。もう少し別の形のデビューがあってもよいように思うのだが、番組を拝見した限りでは、作品完成から雑誌掲載に至るプロセスは、藤子不二夫Aの『まんが道』の時代と殆ど変わっていないような印象を受けた。ま、学術論文の投稿から公刊に至るプロセスだって、ネット時代に予測されていたほどには変わっていないけれど...。