じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 【8/7炉霍〜徳格】ラプツェカ・ラ(標高3,925m)の手前、充古にあった美しい湖。こういうところに高齢者向け福祉施設を作ったらさぞかし喜ばれるだろうと思ったが、空気が薄いことと、冬の寒さにどう耐えるかが問題。





9月11日(水)

【ちょっと思ったこと】

田中一村

 みのもんたさんの「今日は何の日」によれば、1977年の9月11日は、画家の田中一村(いっそん)氏が69歳で亡くなった日であるという。田中氏は1908年に栃木に生まれる。小さい頃から天才画家と言われ、東京美術学校(いまの東京芸大)に入るが、肺結核をわずらって退学。その後、自己の作品の評価をめぐって画壇や師匠から訣別。独身のまま生活を支えてくれた姉にも別れを告げて1958年に奄美大島にわたり、逆光の構図で描かれた亜熱帯の植物など独自の画風の作品を多数残した。田中氏の作品は、彼の死後、南日本新聞記者であった中村惇夫氏によって紹介され広く知られるところとなる。今では田中氏の名を冠した立派な美術館が奄美大島に建てられ、全国から大勢のファンが訪れているという。

 田中一村氏のお名前は以前にもどこかで聞いたことがあると思ってパソコンのデータベースを調べてみたところ、1989年8月13日付けの備忘録に
昨日のNHK番組で紹介されていた田中一村(たなかいっそん)という画家の作品はなかなか印象深い.彼は売れる絵を描く気など全くなく,ただ自分の良心のために描いたといい,また「貧乏でなければいい絵は描けない」とも言っていたという.
という記述があった。当時はまだWeb日記など書いていなかったが、代わりに、テキストファイル型のデータベースとMS-DOSのコマンドを組み合わせたバッチファイルで、いつでも検索できるような備忘録システムを自作していた。田中一村氏についてのメモは、その中でも最も古く書き込まれた行であった。記録ファイルがあったおかげで、過去とリンクができた。よかったよかった。

 今回の番組でも、「絵は売るためではない。50年後、100年後に認められればそれでいい」という彼の言葉が紹介されていた。50年はまだ経っていないが、ちょうど25年目にあたるいま、彼の絵はすでに多くの人から注目されているようになった。




911

 同時多発テロから一周年ということで、TVのニュースや特集、新聞記事などでこれに関連する話題がたくさん取り上げられていた。まずは、テロの犠牲者、米国による誤爆等で亡くなられたアフガンの民間人多数、また、タリバーンの兵士として無理やり徴兵され結果的に戦闘で殺されてしまった多くの若者たちに追悼の意を表したいと思う。

 ところで、なぜテロ決行の日として9月11日が選ばれたのだろうか。真珠湾攻撃の時は、日本(12/8)が大安、ハワイ(12/7)は仏滅であったという話を聞いたことがあるが、テロリストたちにとって何か特別な日だったのだろうか。米国のEmergency Callsは大概が「911」だというが、これと関係していたのだろうか。ちょっと気になるところだ。

 それから、たまたま寝る前に視たTV番組では、テロ後の報復爆撃が国際的に容認されていった背景には、チェチェン紛争に悩まされていたロシアの国内事情があったということが指摘されていた。アルカイダにしてもタリバーンにしても、旧ソ連内の中央アジアに米軍がやってくるというのは想定外だったに違いない。9.11で米国は変わったとよく言われるが、ロシアの変化も見逃すわけにはいかない。


【思ったこと】
_20911(水)[心理]日野原重明先生と新老人(2)

 昨日の日記の続き。シリーズ2回目は、日野原先生がお作りになった「新老人の会」の話だった。高塚延子先生の講演(2001年10月7日の日記参照)の時にも紹介があったが、新老人の心構えは
  • 愛し、愛されること
  • 創(はじ)める
  • 耐えること
の3点であるという。

 このうち「創(はじ)める」に関しては、M.Buber(ブーバー)の「新しく始めることさえ忘れなければ、人はいくつになっても老いることはない」という言葉が引用された。もっともいま記したのはTV画面に文字として流されたフレーズ。日野原先生ご自身の口から出た言葉は「新しく始めることさえ忘れなければ、いつまでも若くおられる」というもの。原典はどうあれ、「老いることはない」より「若さを保つ」ということのほうがポジティブな表現であると思った。

 この「創める」というのは、今までやったことはないということに挑戦することだが、単に自分の趣味を増やすということではなく、世代間の交流を重視し「老いてこそ輝く 次の世代の目標になる」、「新老人が若者を導き、日本を変える」という方向性を含むものである。冒頭では、パソコンとEメイルの使い方を覚え、孫が小学校に入った頃に教えられるようになるという事例が、また、番組の終わりのほうでは、戦争体験を語り継ぐことがmissionになっていると強調されていた。そのためには、Body(体の健康)、Mind(心の健康)に加えて、Spirit(←志というより魂)が必要であるという。なお「創める」については次回に詳しく述べたいと思う。

 3つの心構えの3番目の「耐える」に関しては、昨年視たビデオで、よど号乗っ取り事件の時に犯人たちに手を縛られた時にも耐えたというエピソードが紹介されていたこともあって、単に我慢することぐらいにしか思っていなかった。今回のお話によると、年を取れば、肉親の死など悲しいことがいっぱいあるが、悲しみ、そして一緒に悩むことによって感性が磨かれるという積極的な意味を含まれているようだった。

 もう1つ、W.ワーズワースの「生活は簡素に、志は高く」のフレーズを引きながら、文明はほどほどという話が印象に残った。これに関連して、何気なく「生きることは能動的なこと」と語られたことは、まさに行動分析的な発想と共通しており、「能動主義の心理学」を提唱する私としても大いに元気づけられた。

 年を取ると、行動のリパートリーの面でも活動性全般においてもどうしても下降線と限界を意識しがちであるが、日野原先生のように「常にクレッシェンド(crescendo)、お召しが来たら終わり」という発想で能動的な働きかけを強めていく姿勢を学び、自らも実践していく必要があると思った。

 「少子高齢化社会」と言う時、私たちは、すぐ「若者が減り、高齢者の介護ができなくなる」という発想に結びつけてしまうが、昨日も書いたように、「高齢者イコール要介護者」ではない。元気なお年寄り(日野原先生の言葉では「老人」)の比率が増えるということは、それだけ、老師の知恵が活きる社会になるという側面もあるはずだ。