じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] ラベンダーにはいろいろあるが、そのうちの1つ、カニの爪のような形の品種が見頃となった。ハーブ図鑑(日本文芸社、ISBN4-537-07603-8)では、ラビットイヤズーラベンダーと記されていた。そう言われてみればウサギの耳にも似ている。


5月10日(土)

【ちょっと思ったこと】

「汚宅」の心理

 昼食時、「いきなり!黄金伝説」の「汚宅」訪問を視た。この番組を視たのは、自転車1000台屋敷、その翌週の解決編に次いで3回目。もっともすでに放映された番組の再放送なので、必要があれば番組サイトであらすじを知ることができる。

 今回の「汚宅」は、屋敷の周りに段ボールを積み重ねている男性(母親と二人暮らし?)と、マンションの部屋の中をゴミだらけ(←生ゴミは無いようだ)にしている独り暮らしの女性の2軒であり、いずれも「意外な真相は来週に」で終わった。

 前回の自転車屋敷に比べると、番組スタッフの予備交渉があることは見え見えであり、おそらく、「顔はボカします。多額の謝礼を出すので、どうか片付けさせてください」という条件のもとでの、ヤラセ番組的な印象を持たざるを得なかった。

 しかし、番組の構成自体は別として、とにかく、この世の中に「汚宅」と呼ばれるゴミ屋敷が実在していることは確かだ。本人も望んでいないはずなのにどうして、敷地いっぱい、時には周辺の道路までゴミがあふれるような事態になってしまうのだろうか。

 この番組を視た限りで比較的共通していると思ったのは、
  • まず、どの家もそれなりの収入があり、かつ、持ち家(マンションを含む)に住んでいるということだ。確かに借家や間借りでは、ゴミをため込むだけで強制退去の根拠にされてしまう。
  • 次に、自転車や段ボールに見られるように、一定の資源性があり、かつては収入源になりうる取引ができたというケースがあった。その後、それらの価格が暴落し、引き取り先が無くなってたまる一方になってしまった。
  • ある程度以上のゴミがたまると、少しぐらい増えても見た目の変化は少ない。そうした蓄積が、文字通り「塵も積もればゴミの山となる」となった可能性がある。
  • 何らかのトラブルにより周辺住民から孤立しており、自分一人では片付けることが困難。といって、現状にそれほど困っているわけでもない。
 家の中でも、大学の研究室でもそうだが、我々は多かれ少なかれ、一定の境界レベルを超えた時に不要品の山に囲まれてしまう可能性を持っているのかもしれない。先日来、子どものオモチャや絵本の片付けに取り組んでいるが、捨てるにはしのびないし、かといって保管する場所もない。日曜日にフリーマーケットがあるということで、いつでも運べる準備をしていたのだが、日曜日は朝からあいにくの雨になってしまった。




真っ白けのパソコン用キーボード

 朝日新聞5/11付けの「青鉛筆」に、文字や記号表示のない真っ白なパソコンキーボードが大きな反響を呼んでいると記事があった。発売したのは「PFU」という会社で、限定100台と追加100台はすでに売り切れているという。

 私自身も殆ど手元を見ないでキー入力しているので、真っ白になったからといってそれほど不自由は無いものと思う。とはいえ、わざわざ注文してまで、真っ白けを使う必然性はない。記事では「プロの自尊心をくすぐったのだろう」とのコメントがあったが、どんなもんだろうか。

 文字や記号表示を無くすことは、手元を見ずに早打ちの訓練をする過程では有用であるかもしれない。文字表示がある限りではどうしてもそれを手がかりにしてしまう。いつまでもそれに頼っていたのではなかなか上達しない。

 あるいは、ソフト的にDvorak配列(2000年3月18日の日記、および3月20の追記参照)で入力したい人、手の込んだキー割付により専用操作盤を作りたい人にも有用であるかもしれない。合計200台の完売では「大人気」と言えるかどうか分からないが、こういうWeb日記を書いている人の中にも一人ぐらいは購入者が居られるのではないだろうか。