じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[今日の写真] 岡大南北通りの銀杏の雄花が歩道に絨毯を作っている。4月下旬に短期間みられるだけの風物詩。昨年4月18日の日記にも写真あり。


4月24日(木)

【思ったこと】
_30424(木)[心理]実験と調査はどう違う?

 心理学研究の基礎(Foundations of Psychological Research )に関するメイリングリスト(2003年分の公開ログはこちら)で、調査と研究の区別をめぐって興味深い議論が開始?された。

 公開ログによれば、もとの問題提起は、調査と実験が対峙する概念のように取り上げられ解説されることへのの疑問であり、さらに、世論調査のようなものでも要因統制が可能であろうというような内容であった。

 これに対して、これまでのところ「代表性」、「要因統制が行われない調査はまずない」、「ランダムサンプリング(による外的妥当性の保障)」、「ランダマイゼーション(による内的妥当性の保障)」といった概念をめぐる意見が寄せられていた。




 上記の発言でも言及されていたが、私自身は、心理学における実験研究のポイントを
  1. 要因統制(ちゃんとした実験計画)
  2. 無作為な割付
という2点であると考えている。

 1.にあるように、実験を行うからにはちゃんとした実験計画が立てられなければならない。ただ単に何かを試してみるというだけなら、オペラント行動すべてが実験行動ということになってしまうからだ。

 また2.にあるように、少なくとも心理学で「実験」という時には、「無作為な割付」ということに配慮することが重要なポイントになっていると私は考えている。

 ちなみに、昨年刊行された『認知科学辞典』(共立出版、2002年)では、「実験的研究」は次のように説明されている。
何らかの働きかけ(実験的介入)を行いそれに応じた変化を観測することによって、当該現象に影響を及ぼす要因やその量的関数関係を確定させる研究。標本の無作為な割付ができるため因果関係の同定に適する。但し、研究者が恣意的に選んだ最適な条件で介入される場合が多いため、一般化して結論する際には注意が必要である。無作為に割付ができない状況のもとで実験的介入を行う方法は「準実験的研究法」と呼ばれることがある。
 ぢつは、この項目の執筆者は私自身なのであった。




 もっとも「実験心理学」と呼ばれる研究ですべて無作為な割付が行われているとは限らない。知覚心理学の実験などでは、比較的少数の被験者に対して、さまざまな刺激条件を統制して、大きさや形についての判断を求める。これなどは、どちらかというと、「システマティックな測定」あるいは「検査」に近いものではないかと思ってみたりする。そのほか物理学の実験のように最初から対象が均質であるならば、わざわざ無作為な割付に配慮する必要がない。

 それから、これは社会心理学の実験室実験でしばしば見られることだが、無作為な割付を行ったとしても、実験者が想定した介入効果だけが差をもたらしているという保証はない。少し前の授業でこんな例を出してみた。
固いお餅と柔らかいお餅のどっちが美味しいかを実験するために、無作為に2つのグループに分け、統制群には冷蔵庫から出したばかりの固いお餅を、実験群には焼いたお餅を提供して美味しさを評定させた。なお、「お餅を焼く」という操作が、柔らかさを変えていたことについては別の測定で検証済みである。その結果、実験群のほうが美味しさの評定値の平均が高かった。よって、柔らかいお餅のほうが美味しいということが実証された。
 この例の問題点は、「お餅を焼く」という操作は、餅を柔らかくするばかりでなく、温度も変えるし、場合によっては焦がすこともあるという複数の変化を同時にもたらす。実験群と統制群の間に差があったからといって、どの変化が原因であったのかは直ちには結論できない。この種の問題点は、初対面の被験者どうしの親密度を実験的に操作するような実験、あるいは、環境条件を変えることで被験者の不安の度合いを操作する実験について同じようにおこりうることである。似たような例えは被験者をぶん殴ったらという日記(1999年2月8日)にも書いたことがあった。

7/25追記]
とうとう、南風原御大が登場された。4月25日18時の時点ではまだログが公開されていないが、「fpr 2381」にタメになる解説あり。