じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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[写真] パフィオペディルム。昨年1月20日の日記では、「私の自慢は3年目の株から花を咲かせたこと。」と書いたが、今年の自慢は、昨年と同じ株から二輪同時に花を咲かせたことである。


1月21日(火)

【ちょっと思ったこと】

人名に使えない漢字

 各種報道によれば、森山法相は21日、戸籍法施行規則で定める「人名用漢字」を、年内にも現行の285字から1000字程度に増やす方針を明らかにしたという。合わせて、常用漢字に含まれるものの名前に使うのが適切かどうか疑問がある、「殺」、「罪」、「悪」などの漢字の妥当性を検討するという[1/22朝日新聞記事]。

 記事によれば現行では「苺」や「鷲」はダメという根拠が分からない規則があったというが、「鷲」に関しては苗字ではたまに見かける。「名」ではダメだったということだろうか。

 「殺」、「罪」、「悪」といった漢字を自分の子供の名前につける親は常識的には考えにくい。「病」、「死」、「傷」、「犯」、「凶」、「糞」、「盗」なども同様であろう。しかし、漢字というのは熟語として意味をなすものであるから、「懲悪」、「無病」、「不死」というように他の文字との組み合わせで良い印象を与える場合もある。役所が画一的に規制すべきものではなかろう。また、以前に「悪魔」という名前について訴訟があったが、親の命名権や思想信条をどこまで認めるかについては難しい問題がある[
1/22追記] ネットで検索したところ、「悪魔ちゃん」命名事件の情報がこちらにあった。親の意図は「誰からも興味を持たれ、普通以上に多くの人々と接してもらえることが子の利益になる 」、「物おじしない野心家になって欲しい」ということにあったようだが市長が却下。最終的に、父親は「最終判決が出るまで子供が戸籍上無名のままであること」、「家族の精神的疲労も限界に近づいていること」、「これだけの騒動になり自分たちの言い分が分かってもらえたこと」を理由に家裁審判を取り下げた。その後、いったん「阿久魔」で市側に打診するが再考を促され、「亜駆(あく)」で決着したという。


 漢字そのものは妥当であっても、名前として不適切なものもあるだろう。例えば、「名前」という二文字を「名前」にしたら、「あなたの名前は何ですか?」「はい、名前と申します」というように混乱が起きそうだ。

 人名と言えば、中国の要人の名前がネット上で表示できずに困ることがある。中国の経済発展によりますます交流が拡大しているいま、戸籍上の改善ばかりでなく、中国でよく使われる人名漢字が簡単に表記できるようJISそのものを改めていく必要があると思う。

【思ったこと】
_30121(火)[教育]センター試験問題に今年もツッコミを入れる(2)男女差や比率の違いばかりを誇大に取り上げても、どんなもんかなあ。

 ツッコミの2回目は、現代社会の問題。この現代社会は、わたしの所の指定科目からは外されているが、なかなか良い問題が多いと思う。重箱の隅をつつくような歴史や地理の問題(←失礼)よりは、文字通り、現代社会に活かせる科目ではないかと思っている。

 そんななか、第3問問3が少々気になった。

 ここでは、「友人との付き合い方について高校生に実施した3回の調査結果」が取り上げられていた。3回とは1991、1993、1995年実施分であり、男女別に、例えば、「相手の考えていることに口を挟まない」に「YES」と回答した比率が数値で挙げられていた。問題は、5個の文のうち、データから読みとれる文を3つ選べというもので、正解とされたのは
  1. 仲間外れにされたくないという意識は常に女子の方が高い。
  2. 相手の考えに口を挟まないという意識は男女ともに比較的低い。
  3. お互いに心をうち明けあうという意識は常に女子の方が高い。
の3文である。ま、日本語が理解できて、数値の大きさが比較できるなら、まず間違えることなどありえない楽勝問題であった。しかしどんなもんだろうか?

 まず1.に関しては、3回のデータを男女で比較すると、「52:62」「56:65」「57:71」となっていて女子のほうが多い。おそらく統計的にも有意差があるに違いない。しかし、ここで一番注目しなければならないのは、男女とも、過半数を超える高校生が「仲間外れにされるのは絶対にイヤ」だと思っていることだ。これが日常行動の中で、どういう行動に結びついていくのかをまず分析すべきであって、男と女とどっちが多いのかというのはさし当たりはどうでもよいことだ。

 3.の「お互いに心をうち明けあうという意識は常に女子の方が高い」というのも、数字を比較すれば、「36:53」「43:59」「41:58」というように確かに女子のほうが多いが、だからどうだっていうのだろう。高いといったって4割の女子は肯定していないではないか。

 ところで、この表は、問題本文の「現代の若者たちの人間関係が変化している」に関連して実施した調査結果であると紹介されている。下線部が「人間関係」までで「人間関係が変化」までかかっていないのはひょっとしてこのことを意識したためかもしれないが、そもそも、2年刻みのデータ、4年間の中の比率の大きさを比較したところで、「現代の若者たちの人間関係が変化している」証拠になるとでも思っているのだろうか。そういう変化を示そうとするならばせめて10年単位、場合によっては20年単位でデータを比較すべきであろう(
もし調査期間である1991〜1995年の間に、高校生の人間関係を激変させるような重大な出来事があれば、この限りではない。例えば、戦争があったとか、受験制度が変わったとか、ケータイが急速に普及したとか...。ま、こじつければ、バブル崩壊とか冷戦終結の影響もあるだろうが、この場合でも5年単位の比較が望ましいと思う。
 私の教室の卒論でもありがちなことだが、調査研究を行う時にはしばしば、何の根拠も無しに「男女」を比較軸に持っていきたがる学生が非常に多い。もちろん、他の比較軸で有意差を出そうと思った時には、男女別に分けてデータを集めたほうがバラツキが少なくて済む場合が多いだろう。しかし、だからといって、男女差が本質的な差であるという根拠はどこにもない。ジェンダーの問題[1/19の日記を合わせて参照]はもちろんだが、男女差ばかりに注意をむけることによって別の重要な比較軸を見失う恐れもある。

 上記の調査に関して言えば、友人関係と言っても異性関係と同性関係の違いのほか、クラスやサークルやネット上などの場で、つきあい方はそれぞれ異なっているはずだ。もし、「異性の友達が居るかどうか」を比較軸にしてみたら、種々の質問項目に対する肯定比率にも大きな差が見られたに違いない。その場合、例えば、女子高校生のほうが男子高校生よりも異性の友人が多いかもしれない。その場合には、男女差も原因の一部を構成しているかもしれないが、第一義的な比較軸にはならないはずだ。

 要するに、研究の出発点においては、男女差も、関東人・関西人の差も、(私は批判しているが)血液型の差も、比較軸という点では平等な重みをもっているはずだ。従って、最初から男女差を比較軸に持ってくる場合には、なぜそれを比較しなければならないのか、その意義づけや必然性を強調する必要がある。卒論研究では何の考えもなしにとりあえず比較してみたりする。指導教員のほうも、血液型別の比較をした時には顔をしかめるが、男女比較は当たり前のように認めてしまう場合が多い。

 そしてさらに問題であるのは、仮に男女差が出た場合の後付けの解釈だ。これはたいがい、「男というものはこうだ、女というものはこうだ」という固定観念に引きずられて、まことしやかにこじつけられる。1/19の日記で取り上げた「コンピュータは、男の子にとっては目的、女の子にとっては手段」という「仮説」なども、「男の子はメカ好き」などという固定観念を持った人には無批判に受け入れられてしまう。




 もう1つ、これは、実験法や統計解析に絡む問題であるが、2つの群を実験的に比較するというのは、無作為な割付があって初めて可能になるものである。こちらの論文の3.6.で指摘したように
観察研究では、未知の独立変数の効果を無作為の割付けによって取り除くことができないので、仮に群間に有意な差が見られたとしても、研究者が割付けにあたって想定した要因に基づく差があると断定することはできない。また、因果関係なのか、共通原因のもたらす相関関係であるのかを断定することもできない。
 例えば、オス・メス各20匹のネズミをそれぞれ実験群と対照群にランダムに10匹ずつ振り分けたとしよう。この場合、実験群と対照群の間の振り分けは無作為であるが、オスかメスかという振り分けは無作為ではない。したがってオスとメスの間に何らかの有意差が見られたとしても、直ちにそれを性差に帰着させるわけにはいかない。例えば体重の違いが原因になっている可能性もあり得る。
という点に留意する必要がある。例えば、迷路の中にネズミを入れた時、平均体重300グラムのオスよりも平均体重200グラムのメスのほうが有意に活発に動き回ったとする。これは見かけ上、性差として示される。しかし、実は、迷路の壁が狭くて、体の大きいネズミがつっかえて動きづらいという原因だって考えられるはずだ。もし、平均体重200グラムのオスを迷路にぶち込んだ時に、平均体重 200グラムのメスと同じ程度に活発に動いていたとしたら、もはや原因は性差ではない。単なる体の大きさの差が影響を及ぼしたということになる。いっぱんに「オスのほうが体が大きい」というのは事実なので、「迷路の中ではメスのほうが活発に動きやすい」という言明はある程度の予測力を持つが、これは、因果的な根拠に基づいた予測とは言えない。次回に続く。