じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

9月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

[今日の写真] この季節の私の楽しみは、建物内に入ってくる美しい模様の蛾を見つけることだ。図鑑で調べたところ、「カンパクヒトリモドキ」に似ているように見えたが、そのような種類はインド北部からフィリピンのみに棲息しており、国内にはいないはず。どなたか正しい名前をお教えいただければ幸いです。





9月18日(水)

【ちょっと思ったこと】

今年の中秋の名月はどこが珍しいか?

 移動性高気圧に覆われカラッと晴れた一日。夕食後の散歩時、鰯雲の間から月齢11の月が見えた。このことで思い出したのだが、今年の中秋の名月(9/21)はちょっと珍しい月が見られるという。それは何かと言えば、

中秋の名月の日に満月を迎える

ということだ。正確には21日の22時59分に満月となる。

 「中秋の名月(旧暦8月15日)=満月」というのは当たり前のようでじつは一致しないことが多い。
  • 2001年は10/1が中秋の名月、翌日10/2の22時49分が満月[昨年10月1日の日記参照]。
  • 2000年は9月12日が中秋の名月、満月は9月14日の午前4時37分。この年はなんと2日もずれていた。[2000年9月8日の日記参照]。
  • 1999年はは9月24日が中秋の名月で、翌25日が満月。
  • 1998年は10月5日が中秋の名月、翌10月6日が満月。
このズレの原因については2000年9月8日の日記で考察したことがあるが、詳しいことはよく分からない。おおざっぱに考えるに、月齢というのは新月の瞬間を0.0日とするのに対して旧暦は新月にあたる日を1日目と定めるので、月齢と日にちは1日ずれる。また新月から次の新月までが平均29.5日であるため、満月はその中間点、新月の瞬間から数えて平均14.75日目(=月齢)となるが、いま述べたズレのため、この日は旧暦の15.75日にあたる。そして、この0.75という端数分があるために、実際には旧暦の16日に満月を迎えることのほうが多いのではないかと推測している。満月の翌日に中秋の名月を迎えることがありうるのかどうかは調べていない。いずれにせよ、いつもの中秋の名月はパーフェクトな満月ではなく、絶頂期を迎える少し前の状態を観月する行事である。今年は観月の最中に満月の瞬間が見られるというところがきわめて珍しいと言える。
【思ったこと】
_20918(水)[教育]学内研修会(中編)カリキュラム改革、コース評価

 昨日に引き続いて、9/13に行われた学内研修会の報告・感想。今回は、私が座長をつとめた「カリキュラム改革(副専攻、コース評価などを含む)」の分科会の報告。

 分科会では、まず私自身が、今回のフォーラムは中期的な展望を語り合う目的であるので、実現性の有無に関わらず何でも出し合い、それを実現するためにはどういう条件を揃える必要があるかとうい形で議論してほしい、それゆえ、多少「過激な」私見も述べたいと挨拶した。

 引き続いて私自身の話題提供。その概略は、
  1. カリキュラム改革の必要
  2. ニーズや学力の合わせた多様なコース
  3. コース評価をどう行うか
  4. 副専攻設置の必要
  5. いろいろなタイプの副専攻
  6. 岡大の特色を生かした副専攻は?
というものであった。

 まず、2001年1月23〜24日に行われた「カリキュラムに求められる大学の教育力」(2001.1.23.大学セミナーハウス)[こちらに参加報告あり]でこれは参考になりそうだと思った言葉をいくつか引用させていただいた。その中でも特に強調したのは、絹川館長(ICU学長)の次のようなお言葉[いずれも、長谷川による要約引用]。
  • 設置基準大綱化以降、教育課程(カリキュラム)という考え方が出てきた。カッコ書きながら「学部教育」に「学士課程」という言葉が入れられるようになった。
  • カリキュラムには大学の公益性を示す社会的契約という側面がある。教員の学術的関心のみから展開するものではない。
  • これまでは、入学者に自己学習能力があることを前提にしてきたが、これからは、自己責任能力、自己表現能力を養う教育が必要。こうした教育をおろそかにして大学院重点化を進めると、大学生の抱えていた問題が大学院に持ち越されるだけになってしまう。
 次に、細分化された専門課程のほかニーズや学力の合わせた多様なコースとして、例えば
  • グローバルな基準を満たすカリキュラム
    →各種国家資格、認定資格、外部試験
  • 研究者養成のための特設コース
    海外の大学院進学希望者への特設コース
  • 入学者の学力低下、未習得科目に対応した補習プログラム
    留学生のための特設コース
などを充実させる必要があると主張した。

 3番目はコース評価の重要性についての話題。学生による授業評価アンケートで「この授業は分かりにくい」という声が出たとしても、その原因として
  1. 先生の教え方に問題があるため理解できない?
  2. 高校時代に勉強していなかったので分からない
  3. 入門科目から高度な専門科目への橋渡しが不十分である
のいずれであるのかは断定できない。仮に1.が原因であるとするならば、教員個人の教え方を改善すべきであるが、2.であるならば、高校での未履修科目への補習等が必要になる。また3.であれば、その履修コースのカリキュラムの見直し、あるいはTAを活用した補習等を実施していく必要がある。

 このような意味からも、「ティーチング評価」とは別に「コース評価」を実施していく必要があるのだが、詳細な自己評価報告書を提出させても自己弁護の作文に終わってしまう恐れがあるし、また時間的負担も膨大なものになる。それゆえ、健康診断で精密検査を行うように、客観的に問題点が明らかなコースに対して、重点的に外部評価を導入していくことが望ましいのではないかと考えられる。ここでいう問題点とは、
  • 入学後のコース振り分けで希望者が集まらない
  • 1教員ポストあたりの所属希望学生が極端に少ない
など。もしそういうコースがあれば、原因の究明と改善プラン策定を義務づけ、また卒業後の活躍の場を確保することも求められる。とにかく、4年間での達成目標を明示し、改善がうまく行かない場合は、ポスト返上するぐらいのショック療法が必要である。

 上記のようなことは自分の学部の教授会でもたびたび発言しているのだが、あまり好感されていないようだ。しかし、独立行政法人になれば、私が言おうが言うまいが、かならずそういうものが求められることになるはずである。次回は、副専攻設置の意義について記す予定。