じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ハクチョウゲ(白丁花)。大学構内・座主川沿いにひっそりと咲いていた。こちらの図鑑によれば、ドウダンツツジと同じく「満天星」と呼ばれることがあるとか。なるほど、星がちりばめられているようにも見える。



5月24日(木)

【思ったこと】
_10524(木)[心理]象牙の塔と現場心理学(12)「実験心理学」か「臨床心理学」かという分類

 非常勤講師先で『痛快!心理学』(和田秀樹、2000年、集英社インターナショナル、ISBN4-7976-7022-3)を教科書として批判的に使用している。 その内容については、“和田秀樹氏の『痛快!心理学』と行動分析”(直近の記事は5月8日)を連載中であるが、今回は、臨床心理と基礎心理をめぐる話題ということで、こちらの連載の続きとして考えを述べることにした。

 和田氏は第一章の中で、「とりあえず本書を読むうえでの約束事のようなものだと思ってください。」と断った上で、心理学を「臨床心理学」と「実験心理学」に二分している。その部分をいくつか引用すると(文中「.....」は引用部分を必要最低限にする目的で長谷川が省略)、
  1. 本書では、心のメカニズムを探る分野を「実験心理学」、不健康な心を治そうとする分野を「臨床心理学」と呼ぶことにします。基本的に、実験心理学は文学部の心理学科、臨床心理学は「心の医者」の扱うジャンルだと言えば、おおよそのイメージはつかめるのではないでしようか。[p.15]
  2. 実験心理学の目的は、「こうすれば、こうなる」というソフトの設計図(これを「心のモデル」と言います)を作ることです。.....人間の行動を予測したり、思考力や記憶力を高めたりすることに役立てるわけです。.....一方の臨床心理学は、言うまでもなく「病んだ心」を治すことが最大の目的です。こちらも心の設計図を作ることがありますが、それはあくまでも治療の手段にすぎません。[p.15〜p.16]
  3. 実験心理学の場合、動物実験やアンケート調査といった手法によって、「こうすれば、こうなるだろう」という1つの仮説を、ある程度まで客観的に検証することができます。.....ところが臨床心理学の場合、ある理論が正しいかどうかを決める基準は明確ではありません。.....臨床心理学は「病んだ心を治す」ためのものですから、何よりも「病気に効くか否か」が問われます。どんなに立派な、理路整然とした理論でも、治療に使えなければ意味がありません。[p.16]
  4. たとえば、ある理論に基づいて治療を行なったとき、100人中90人の患者さんがよくなったとします。そのとき、その90人の患者さんにとっては、その理論は「正しい」と言えるかもしれません。しかし、残る10人の患者さんにとっては、そんな理論が正しいなんて、とうてい言えません。多数決で、理論のいい悪いを決めるわけにはいかないのです。[p.16]
  5. 前の章でも述べたように、心理学の中には「実験心理学」と言って、人間の心の一般的なパターンを研究しようという学問があります。......しかし、実験心理学が対象にしているのは、あくまでも「一般的な傾向」にすぎません。人間の心理はとても複雑なものですから、つねに例外があります。[第2章、p.20]


 「とりあえず本書を読むうえでの約束事」という前提があるにせよ、以上の分け方にはかなりの不満がある。上記で述べられている内容には、少なくとも
  1. 人類あるいは動物行動に共通した一般法則を探るのか、それとも、あくまで特定の個体を対象としたうえで、その個体の存在する環境や文脈の流れの中で個体独自に関与する要因を理解しようとするのか。
  2. 「万能な法則」を追求するのか、それとも、ある法則の及ぶ範囲を広げ、その生起条件を確定するための研究(「生起条件探求型」研究)を行うのか。
  3. ある理論の妥当性を客観的に検証できるか、それとも実践場面での有効性の有無によって結果的に淘汰されていくのか。
といった比較軸がある。実験心理学という呼称は本来「実験的方法を用いる心理学」という意味であって、必ずしも万能な一般法則を追求する心理学とは限らない。じっさい、実験的行動分析の場合などは、
  • 群間の平均値の比較ではなく、個体レベルで、個体内の変化に注目する。
  • 一般法則を追求する研究もあるが、どちらかと言えば「生起条件探求型」研究に重点が置かれる。
  • 真理基準として、「公共的一致」ではなく「予測と制御の有効性」を重んじる。
という点で、和田氏の言う「実験心理学」の分類には必ずしも当てはまらないところがある。

 いずれにせよ、この連載の中で論じてきたように、
  • 研究の方法による分類
  • 研究の対象による分類
  • 基礎原理の追究か、応用上の有効性かという議論
  • 環境や文脈をどう重視するか、それらを切断したもとでなお成り立つ部分を追究するか
は、それぞれ独立した議論として行われるべきであり、「実験心理学」か「臨床心理学」というようにそう単純に分けられるものではないと思う。それから、もし和田氏の言うような意味で使うのであれば、せめて「実験心理学」よりは「基礎心理学」という呼び方をしたほうが議論が分かりやすくなったと思う。次回に続く。
【ちょっと思ったこと】

入学試験における「入れ替わり率」

 5/25の朝日新聞に、山形大学工学部の合否判定ミスの続報が掲載されていた。それにより、
  • 今回のミスは、入試成績の開示を受けた受験生が「国語の点がなぜ奇数なのか」と問い合わせたことによって発覚した。
  • 山形大の入試成績開示内容は、科目ごとの点数や調査書、合格判定基準、解答例を含むなど、全国の国立大の中でも最も進んだレベルに達していた。
という事実を新たに知った。5月20日の日記(「ちょっと思ったこと」)では「入試制度の改善にいったいどう取り組んでいたのだろう」と批判したが、少なくとも開示の問題については最も先進的な取り組みが行われていたようである。開示内容を、科目ごとの点数ではなく総合得点だけにとどめていれば、今回のようなミスは発覚しなかったかもしれない。

 ところで、入試改革論議の際には「入れ替わり率」という言葉が使われることがある。例えば、ある大学で、センター試験得点と小論文試験得点の合計得点で合否を決めていたとする。その場合、小論文試験得点を除外して合否を決めた場合に、「合格者→不合格者」(あるいは「不合格者→合格者」という入れ替わり数でも同数となる)が、現実に判定した合格者の何%に達するかというのが「入れ替わり率」である。
  • 仮に入れ替わり率が0%であったとすると小論文試験を実施することは冗長であり廃止してもよいではないかという議論が出てくる。
  • その一方、入れ替わり率が50%にも達したとすると、本来センター試験だけでは不合格になっていた受験生が救われることになり、質的に異なる能力のある学生が入学する可能性が出てくる。この場合、「質的に異なる」ことの内容について、更なる追跡調査が必要になってくる。
 新聞記事を見る限りでは、山形大工学部の判定ミスは、「センター試験「国語」のうちの現代文2問の点数を2倍して合計点に加える」というルールが「2倍されずに加えられた」ことによって生じたミスであるという。現代文の素点をそのまま加えるか、それとも2倍して加えるかというだけの違いで過去5年間で400名のも達する入れ替わりが生じるとは驚異的なことだ。ボーダーライン上で総合得点の近い受験生がよほどひしめき合っていない限りは起こりえないことだろう。

 なお、上記で取り上げた「入れ替わり率」のほか、より精密な指標としては得点間の相関係数もある。例えば、受験生全員について、センター試験得点と小論文得点の相関係数を算出するというようなものだ。しかし、こちらのほうは、高得点合格者や明らかな不合格者の得点も相関係数に反映する。それゆえ、最初から冷やかし程度で受験するような不真面目な学生が居た場合には、センター試験得点も小論文得点も殆ど零点になるし、非常に優秀な学生の場合にはどちらも高得点となるため、全体としては相関係数は高めに算出される可能性が高い。また、例えばセンター試験の合計得点が1000点満点であり、小論文試験の得点が10点満点であったとすると、相関係数がマイナス1であっても入れ替わりは殆ど起こらなくなる。
 その点、ボーダーライン上での「入れ替わり」の実態を直接把握する「入れ替わり率」のほうが実用的価値が高いとも言える。