じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 鬱金桜と文学部。このところ、毎夕のように桜の木の下で学生達のコンパが開かれている。岡山駅の近くにありながら自然豊かな環境にめぐまれ、自前の桜で楽しめるのが岡大の良いところであるが、ゴミの後始末と「アルハラ(=アルコール・ハラスメント)」には注意しよう。



4月14日(土)

【思ったこと】
_10414(土)[心理]]「行動随伴性に基づく人間理解21」(1)子豚を柵の中に入れる方法

 NHKラジオの英会話で、「The Old Woman and Her Pig」という面白い物語を紹介していた。このコーナーは、毎月第1、第2土曜日に放送されるもので、現在は、「Traditional Tales from Europe」のシリーズとして、Stuart Atkin氏がヨーロッパの民話などを元に書き下ろした短編が、氏自身の語りによって紹介され、解説が加えられるスタイルになっている。

 今回の作品は4/7と4/14に放送されたもので、Mother Goose rhymeを基に書き下ろされたもの。4/7はちょうど、高速道路を経由して東京から岡山に戻る最中に聴いたものであり、それだけに富士山やSAの桜などと結びついて強く記憶に残っていた。

 2回にわたって放送された作品の内容を要約すると、
  1. お婆さんが、市場から子豚を買ってきたが、家の前まで来るとどうしても敷地に入ろうとしなくなった(正確には「stile」を越えなくなった)。子豚はどうやっても動こうとしない。
  2. そこでお婆さんは、犬に、「動かない子豚に噛みついてくれ」と頼むが断られる。
  3. そこでお婆さんは、棒に、「動かない子豚に噛みつかない犬を叩いてくれ」と頼むが断られる。
  4. 同じように、出会った物、動物、人に頼むが、いずれも断られてしまう。
    The rat won't gnaw the rope, the rope won't hang the butcher, the butcher won't kill the ox, the ox won't drink the water, the water won't quench the fire, the fire won't burn the stick, the stick won't beat the dog, the dog won't bite the pig, Piggy won't go over the stile.
  5. 次に出会ったネコにネズミを追いかけるように頼むと、ネコは「ミルクをくれたら追いかけてやるかもしれない」という。
  6. そこでお婆さんは、雌牛にミルクをくださいというと、雌牛は「ひとつかみの干し草を持ってきてくれたら、ミルクをあげるかもしれない」という。
  7. お婆さんが雌牛に干し草を与えると雌牛はミルクをよこし、もらったミルクをネコに与えると、ネコはネズミを追いかけ始める。
  8. すると、
    .....the cat began to chase the rat, the rat began to gnaw the rope, the rope began to hang the butcher, the butcher began to kill the ox, the ox began to drink the water, the water began to quench the fire, the fire began to burn the stick, the stick began to beat the dog . . . and the dog began to bite the pig.
    となって、最後に、噛みつかれそうになった子豚は慌てて柵を越えてお婆さんの家の敷地に入った。めでたしめでたし。
というものであった。

 この話は、お婆さんが出会う物や人に次々と何かをしてくれと頼むが断られる過程と、干し草を雌牛に与えたあとにドミノ型に起こる行動の連鎖の対比に面白味があるが、これらを、行動随伴性に基づいて解釈するといっそう深い意味が含まれていることに気づく。
  • 上記の1.から4.は、お婆さんがただ「○○をしてくれ」と言語的に依頼するだけ。「単なるお願いでは、行動は生起しない」という証拠である。
  • 上記の5.には双方向の行動随伴性が含まれている。つまり、「ネズミを追いかける行動をミルクで強化する」という、お婆さん側が設定した随伴性と、「ミルクをもってくればネズミを追いかけるという結果で強化する」という、ネコ側が設定した随伴性である。もっとも、これは事前に「○○すれば××という結果が伴う」という言語記述で取り交わされて初めて生じる行動なので、ルール支配行動であると言えよう。
  • 上記の6.も同様であり、「ミルクを出すという行動を干し草で強化する」随伴性と「干し草を運ぶという行動をミルクで強化する」随伴性が双方向に設定されて生じるルール支配行動である。
  • ネコがネズミを追いかけ始めてから生じる一連の行動は、いずれも「○○しないと××という嫌子が随伴するぞ」という嫌子出現阻止の随伴性によって起こる回避行動である。例えば、雄牛が水を飲むのは、「水を飲まないと肉屋さんに殺される」という阻止の随伴性が効果を発揮したためである。
Stuart AtkinさんはFootnotesの最後の部分で、
そしてそれぞれが、自分の行ったことが次にどのようなことをもたらすかを考えないまま、すべてが一斉に動き出す点が、なんとも妙な感じを与えます。そう考えると、論理的なようでいて、逆に非論理的な感じもある物語ですね。
と述べておられるが、強化という概念はしょせんそういう「非論理的」なものだ。だからこそ「強化因果性」ではなく、「強化随伴性」と呼ばれるのである。
【ちょっと思ったこと】

裁判速記官の養成停止と音声認識

 4/15の朝日新聞オピニオン欄に、山口淳子・神戸地方裁判所速記官のご意見が掲載されていた。裁判所の記録は戦後はアメリカの機械速記を手本に、タイプで速記する方法を裁判所が開発し、速記官を養成してきたが、1997年に最高裁は養成を停止、速記を録音に替え、テープ起こしを民間業者に委託して反訳する方式を導入したという。その結果、96年には全国に約800人いた速記官がこの4月には500人を切ったという。

 速記というと、私のような昔人間にはなめらかな曲線と折れ曲がりで構成される速記文字が頭に浮かぶが、ここでいう速記というのは、速記タイプをパソコンに繋いで速記記号を瞬時に文字化する「はやとくん」という日本語変換システムを利用したものらしい。それゆえ、聴覚障害者に瞬時に文字情報を提供するボランティアにも役立つという。

 機械による音声認識が進歩し、さらに同音異義語などを文脈に即して正確に変換する技術が向上すれば、いずれ、人による速記の役割は終わることになるのかもしれない。投稿者の論点も、どちらかと言えば、速記官が永久に必要というよりも、(機械による)音声認識システムの構築に速記官の知的資産を活用するために養成継続が必要であるというように読みとれた。録音反訳方式に切り替えてしまっては、せっかくの資産が活用されないからである。

 私が子どもの頃に有望な技能としてもてはやされた「計算尺」、「速記」(この場合は、速記文字による速記)、あるいはどの町にも数軒はあった「そろばん塾」などは、いずれも科学技術の進歩の中で次第に人々から忘れ去られようとしている。便利さと引き替えに貴重な知的資産が失われていくとしたら残念なことだ。

 余談だが、私は一時、音声認識ソフトを入力に利用していたことがあったが、最近では全く使わなくなってしまった。
  • 以前は、新聞記事なども自分で読み上げて入力していたことがあったが、OCRの性能向上により、画像で読み込んだほうがはるかに誤変換が少なくなった。
  • 自分の考えは、声に出すよりキータイプで入力したほうが遙かに効率的。
  • 声を出し続けると喉が痛くなる。
というのが主な理由。

 もうひとつ、種々の会議や学会発表などで思うのだが、原稿を棒読みするだけの発言・答弁であるならば、わざわざ声を出して読み上げるのは冗長。最初からテキストファイルを交換しあい、記録を重ねていけば済むと思う。逆に言えば、会議や学会発表では、テキスト化できないバーチャルな発表スタイルを追求すべきであろう。2/8の日記でも紹介したが、パワーポイントなどの利用により、すくなくとも大学の演習では、従来の「レジュメ配布・棒読み」型の発表がだいぶ改善されてきたように思う。