じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ムスカリ。4〜5年前から植えっぱなしにしており、夏は雑草に埋もれているが、それなりに殖えているようだ。日陰なので、周囲よりは開花が遅い。



4月10日(火)

【思ったこと】
_10410(火)[心理]象牙の塔と現場心理学(7)南風原・市川・下山編『心理学研究法入門』(4)研究の外的妥当性

 もうすぐ大学院の講義が始まる。受講生にぜひ一度訊いてみたいのが

研究の価値とは何か?

ということ。その考えがしっかりしていないと、いくら頑張っても良い修論は書けない(←考えがしっかりしていても、頑張らなければ書けないのは当然のことだ)。

 4/3の日記で引用した市川氏の『心理学の研究とは何か』は、
  • 研究の価値には客観的基準が無い
  • 「研究する」ということをあらためて多角的にとらえ直し,自らの研究の方向を定めるときの指針として議論する意味がある
と断った上で、研究の価値として
  1. 情報的価値(意外性と確実性)
  2. 実用的価値
という2点を挙げた。

 このうちの「意外性」については4/3の日記、「実用的価値」については4/5の日記で私の考えを述べた。

 もう1つの研究の確実性だが、市川氏の『心理学の研究とは何か』では、宝くじが当たった話
「確実性」というのは,「(c)『5000万円あたった』とAさん本人から聞いた」という場合と「(d)『Aさんが5000万円あたった』と友人の友人の友人から聞いた」という場合の違いにあたる.(d)のように人づてになってしまうと,それだけ信憑性が低くなり,不確定度が残るために,情報としては価値の低いものになる.
を例とした上で、研究の場合の確実性は
.....しっかりとした論理や実証にのっとっているかどうかに関わる問題といえるだろう.
であると説明している。

 以上の説明は入門者のために分かりやすく配慮したもののようだ。同じ本の第5章『準実験と単一事例実験』(南風原朝和氏)の中では、この確実性は、研究の内的妥当性という別の呼称で、もう少し理論的に説明が加えられている。
研究の内的妥当性とは,処遇(独立変数)と結果(従属変数)の間の因果関係について,「この研究の結果,処遇の効果があることがわかった」とする主張の正当性に確信がもてる程度のことである.


 ところで、南風原氏は同じ章の中で、「外的妥当性」についても次のように説明している。
研究結果の一般化可能性は,研究の内的妥当性と対照させて,研究の外的妥当性(external validity)または外部妥当性ともよぱれる.
 この概念は、市川氏の言う「研究の実用的価値」と似ているように見えるが、じつは全く違うレベルの議論である。私の考えを述べるならば、
  • 実用的価値というのは、その情報を利用する者にとっての有用性に近い概念。つまり、賢明な利用者が存在し、特定のニーズがあって初めて生じる価値である。また、通常は、日常生活上での有用性を意味することが多い。
  • 外的妥当性(一般化可能性)は、少なくとも生活上の有用性と無関係に規定される。「それを知ることで、他のことにどれだけ適用できるか」が基本。その適用範囲は生活面だけにとどまるものではない。複雑な現象を簡潔に記述したり、未知の現象の予測、モノの創造、制御などに貢献する結果をもたらすものは、外的妥当性をもつといってもよいだろう。つまり、有用であることには違いないが、どちらかと言えば、理論化への貢献を示す概念であるとも言える。
 外的妥当性は、さらにその根本として、理論化あるいは科学的認識についてどう考えるかという問題に関係してくるように思う。

 いっぱんに、科学的認識とは、自然界に厳然と存在する法則を人間が見つけ出す作業であるように思われがちであるが、行動分析はこれとは異なる立場をとっている。長谷川(1998a)は、佐藤方哉氏の『行動理論への招待』(1976、大修館書店)を引用しながら、補注の4で
自然界には確かに法則のようなものが人間から独立して存在する。それは、人類の誕生前から存在し、人類が滅亡した後でも、宇宙の構造が質的に変わらない限り、同じように存在するだろう。しかし、それを人間が認識するとなると話は違ってくる。「科学的認識は、広義の言語行動の形をとるものだ。人間は、普遍的な真理をそっくりそのまま認識するのではなくて、自己の要請に応じて、環境により有効な働きかけを行うために秩序づけていくだけなのだ。」というのが、行動分析学的な科学認識の見方と言えよう。佐藤(1976)は、この点に関して、科学とは「自然のなかに厳然と存在する秩序を人間が何とかして見つけ出す作業」ではなく、「自然を人間が秩序づける作業である」という考え方を示している。
と述べた。この見地からは、一般化可能性とは、「人間による自然の秩序づけ」にとっての有用性に大きく関係していると言うことができる。



 最初の話に戻るが、価値のある研究は以上述べたような
  1. 情報的価値(意外性と確実性)
  2. 実用的価値
また、より理論的な見地からは、内的妥当性と外的妥当性を持ったものでなければならない。しかし、現実には、卒論研究では、内的妥当性のみが評価される傾向がある。いちばん問題となるのは、心理学関連の学術雑誌において、それらがどの程度考慮されるかどうかであろう。ひょっとすると内的妥当性のみ、それに、同一研究分野内の人間だけが感じる意外性、言い訳程度の外的妥当性、殆ど主観的願望のレベルにすぎない実用的価値についての言及が装飾されているだけの論文ばかりが採択されている可能性はないだろうか。このあたりの点検が必要ではないかと思う。

 ところで、昨今の循環消費ブームに便乗することになるかもしれないが、私は、研究の価値として、もう1つ「再利用可能性」を考えてもよいのではないかと思っている。次回は、これについて考えてみることにしたい。
【ちょっと思ったこと】

3日間で2万8714字の原稿を書く

 4/10は、年二回発行の紀要の原稿締切の日であった。関連書はすでに読み終えていたものの、実際に執筆に入ったのは、東京から岡山に戻った日曜日から。3日間で書き上げた原稿は、
  • 本文の文字数:28714文字
  • 文の数:590文
  • 段落数:318段落
  • 平均文長(1文の文字数):48文字
  • 平均句読点間隔:19文字
  • 漢字使用率:38%
  • カタカナ使用率:3%
であった。一太郎の読みやすさヘルプによれば、新聞社説で平均文長は41文字、句読点間隔は15文字となっており、もう少し文を短く、句読点を増やすほうがよさそうだ。

 私はもともと遅筆である上に、締切ぎりぎりで追いつめられないとちっとも構成がまとまらないという悪い癖がある。そんな私が一日平均9000文字もの原稿を書けたヒミツは










Web日記に書いたアイデアを寄せ集めたから。


に他ならない。