じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 農学部農場の梅が咲き始めた。写真はその中でも特に美しい八重咲きの梅。



2月10日(土)

【思ったこと】
_10210(土)[教育]生涯学習としての食心理学(3)おいしさの心理学(2)「受身的なおいしさ」から「おいしく食べる」へ

 昨日の日記の続き。今回の講演では、単なる受身的な「おいしさ」の話題ではなく、もっと積極的な、「おいしく食べる」ことの意義を強調した。

 では、「受身的なおいしさ」と「おいしく食べる」はどこが違うのか。それを説明するために、パヴロフの条件反射の模擬実験とネコのペダル押しの実験を紹介したビデオを見てもらった。
  • パヴロフの模擬実験では、イヌは当初、餌を提示された時に限ってヨダレを出した。ところが、餌とメトロノームの対提示を繰り返すことによって、メトロノームの音を聞いただけでヨダレを出すようになる。これが有名な条件反射であるが、ここで提示される「音」を「味覚刺激」や「食材の色や形」に置き換えると、おいしさの形成の糸口を理解することができる。我々がふだん感じる「受身的なおいしさ」は、イヌがメトロノームの音を聞いたときに、その音に誘発されて分泌されるヨダレと似たところがある。
  • いっぽうネコの実験では、ネコが実験箱内のペダルを押すたびに、後ろ側の餌皿に少量のミルクが供給される仕組みになっている。我々にとって「おいしく食べる」ということは、ペダル押しのような能動的な行動が、ミルクという結果によって強化された場合に実現されるものと言えよう。
 食行動における「受動的なおいしさ」と、「おいしく食べる」はどう区別されるのか。前者は、味の調合、その味に関するレスポンデント条件づけによって形成される。いっぽう、後者では、食物を口にするまでの諸々の行動、つまり「栽培〜漁獲・収穫〜加工・保存〜調理」といった能動的な行動の質と量が問題になるというのが私の主張であった。

 この日記で何度か取り上げているように、スキナーは、生きがい(原語では「幸福」)を
Happiness does not lie in the possession of positive reinforcers; it lies in behaving because positive reinforcers have then followed.
というように定義したが、これを「おいしく食べる」に準用すると
「能動的なおいしさ(=おいしく食べる)」は、食べ物を手にしていることではない。それが結果としてもたらされるように「栽培〜漁獲・収穫〜加工・保存〜調理」に手間をかけることである。
ということになるかと思う。

 講演ではこのあと、「消極的なおいしさ」と「積極的なおいしさ」、「食べたいから食べる」と「食べさせられる」についても説明した。

 「消極的な食べ方」と「積極的な食べ方」というのは、行動分析の用語には無い。ここでは、同じオペラント行動であっても、「刺激に身を晒す機会を選ぶだけで、受身的に刺激の量や質を選択する」ものを消極的、「自力で働きかける機会を増やし、努力の量と質に応じて結果が伴うような環境に身を晒す」ことを「積極的」と名づけた。具体的に、左側に消極的な食べ方、右側に積極的な食べ方を対比すると
  • レストランで食事をする←→自分で料理をする
  • 出された食事をそのまま食べる←→自分でメニューを考える
  • 野菜を宅配で頼む←→家庭菜園で野菜を作る
というようになる。これに関連して「80歳になっても20本の歯を残そう」という「8020運動」も、自分の歯で噛むという積極的な食べ方の1つであることを強調した。

 また「食べたいから食べる」と「食べさせられる」の違いについては
  • 「食べたいから食べる」というのは、「〜という行動をしなくても今の状態は変わらないが、それをすると、今よりもっとよい状態が出現する」という「好子出現の随伴性」に関連するものである。
  • 「食べさせられる」というのは、〜という行動をすれば今の状態を保つことができるが、それをしないと、今あるものが失われたり、やがて嫌な出来事が起こる恐れがあるという、「阻止の随伴性」に関連するものである。
  • 「○○を食べると××に良い」は「食べたいから食べる」、「○○を食べないと××になります」というのは「食べさせられる」。
  • 「おいしく食べる」ためには、「食べたいから食べる」型の健康保持の習慣を形成することが大切。
というように区別した。

 もうひとつ、「おいしく食べる」にあたって、「禁欲」か、「ごまかし」食品かという話題があるが、これについては今後の検討課題として皆さんと一緒に考えていきたい、と締めくくった。

 余談だが、休憩時間後、ノートパソコンの画面がうまくスクリーンに投影されないというトラブルが発生した。文字を大きくしようとして、画面の設定を1024×724ピクセルから800×600ピクセルに変更したのが裏目に出てしまったようだが、投影画面と同じものを印刷物として配布してあったので事なきを得た。今後も、万が一に備えて印刷物だけでも話ができるように準備を心がけたいと思う。
【ちょっと思ったこと】

3年ぶりのレスパール藤ヶ鳴

 一日前のことになるが、金曜日の夜、岡山空港近くのレスパール藤ヶ鳴まで行って来た。ここには、かつては、男女別の温泉のほか水着で入れる温水プール(ジャグジー)があり、家族全員で何度も訪れたことがあった。ところが、98年3月15日の日記に記したように毎年2〜3億の赤字を出して経営が難しくなり、98年3月末でいったん休業。その後しばらく経ってから、男女別の温泉のみに限って営業を再開したが、全く行く機会が無かった。

 浴槽そのものは3年前と殆ど変わりない。私の好みの塩サウナもあった。入浴料金がかつての大人一人1800円から500円に値下げとなり、風呂に入るだけの目的ならば前よりもずっと通いやすくなったと言える。

 サウナに入っている時、たまたま、備え付けのTVからスーパーフライデー「転落人生劇場スペシャル」という番組が流れていた。かつてエンジェル・ボイスとして女性に人気のあった三善英史さんの波乱の人生(レコードは売れても低賃金、独立してから女性タレントを育てたが失敗、突発性難聴による長期療養)が紹介されていたが、ある意味ではこのレスパール藤ヶ鳴自体が同じような苦難の道を歩んでいるような気がした。

 余談だが、帰りの車の中で聞いたラジオ番組では、登山家の今井通子さんが登場。アイガー北壁を登攀中によく歌ったのは「巨人の星」のテーマソングだったとか。こちらは「重いコンダラ思いこんだら」の「試練の道」でしたなあ。