じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 岡大西門の門柱が取り壊されることになった。交通安全上の対策だと思ったが詳しい経緯は忘れてしまった。ちなみに、岡大構内には通称「南北通り」と「東西通り」があり、南北通りの入口に正門、その真北に西門が位置しているため待ち合わせで混乱する場合がある。西門で待ち合わせる際には「時計台前の門」と念を押しておいたほうがいい。



1月31日(水)

【思ったこと】
_10131(水)[心理]21世紀の英語教育を考える(1)ネイティブスピーカーが英語を教えに来ると.....

 国際学会の発表準備に関連して、英語教育に関連したサイトをいくつか巡回してみた。その中で、全く偶然のことであったが、1987年に開始された“The Japan Exchange and Teaching (JET) program”について、いろいろな論評を集めた英文サイトがあった。

 こちらによれば、「JET」とは、“『語学指導等を行う外国青年招致事業』の略称で、日本政府の後援による国際交流プログラムであり、地域レベルの国際交流を促進し日本における外国語教育を改善するために設けられ」た制度であるという。最近の活動内容についてはまだ調べていない。

 1987年当時に来日したAET(assistant English teacher)の声の中には、受け入れた学校側の英語教師とのteam-teachingがうまくいかなかったことを指摘したものがあった。学校で使用している教科書が会話型の英語教育に向いていないことがその一因。日本人の英語教師は授業中に殆ど英語を喋らないこと、そのほか、根本問題として、大学入試のための受験英語の弊害などが指摘されていた。

 このほかにも、中高校における日本の英語教育についていろいろな問題点が指摘されていた。これらは殆ど改善されないまま21世紀に持ち越されてしまったように思える。

 ところでこの連載を始めた1999年10月23日頃、私は、多くの日本人が英語を喋れない/書けないことの原因として、
学校で教わるということもあって、誤反応には学習の初期の段階から罰(=テストで減点される、先生から矯正されるなど)が与えられる。このことが結果的に、「話す」、「書く」という反応全般を自発しにくくしているのではないか
という点を指摘した。これについては、今年度、私のゼミの学生が実験的な検証に取りかかっているところだ。

 しかし、私の主張は、日本人がごく自然に発する「日本型英語」を野放しに強化せよということではない。日本語と英語の根本的な違いがどこにあるのか、ということをきっちりと解明し、遅くとも高校、できれば中学2年ぐらいの時期に徹底的にそれを教え込むことがぜひとも必要ではないかと最近特に思う。一例をあげれば昨年11/20の日記で取り上げた“英語は「モノ」、日本語は「コト」という発想”あるいは、そのルーツとなるく11/28に取り上げた“なぜ I am boy.でいけないか。日本語では当然「ぽくは少年です」でよい。”という問題意識。こういうところを徹底的に洗い出せば、単なる実用英語ではない教育、ものの捉え方や考え方の枠組みの相対性という根本的な問題にふれることができるはずだ。

 元の問題に戻るが、そういう原点に立ち返って英語コミュニケーション能力を高めようとするならば、英語のネイティブスピーカーをたくさん招くとか、日本人教師の海外研修機会を増やすという方法では問題は解決しない。11月の国際学会に向けて、学習心理学の立場からこの問題を考えていきたいと思っている。