じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] カラクリ湖の花(4)。湖岸の湿地帯に咲く花の中では青色が最も美しい花だった。



9月22日(金)

【思ったこと】
_00922(金)[一般]「銀以上」を称えてこそオリンピック

 夕食時、柔道100キロ超級の決勝戦の生中継を見た。すでにテレビや新聞で報道されているように、この試合では、篠原選手(「篠」の字は竹冠に「条」が正式)の「内またすかし」が審判には一本と認められず、逆にドイエ選手の「内また」のポイントとされ、これが影響してドイエ選手の優勢勝ちとなり、篠原選手は銀メダルとなった。

 生中継では、解説者の方がこの判定に相当の不満を表明しており、ビデオを繰り返し示しながら、審判団を批判するとともに「このような誤審が認められるようでは柔道はダメになってしまう」というような発言をされていた。有働キャスターも表情をこわばらせながら「このままで終わって欲しくないと思います」というように言っておられた。

 土曜日朝7時からのNHKニュースでもこの映像がトップ紹介され、さらにオリンピックコーナーで日本選手のメダルの数を紹介するところでも、篠原選手用に特製のメダルを用意するなど、判定問題にウェイトを置いた取り上げ方をしていた。

 ビデオの映像から客観的に判断する限りにおいては審判の誤審は明白であろうと思うが、これを見ていた各家庭ではどういう受け止め方をしていたのだろう。思いつくままに挙げてみると
  1. いくら誤審でも審判が畳を降りてしまったら判定は覆らない。このルールがある以上、その事実を受け入れるしかない。→IJFのジム・コジマ審判委員長の見解。
  2. 上記1.は認めるとしても、ビデオ映像を参考にしたり、誤審のクレームを公正に処理できるように審判の数を増やすなど制度を改める必要がある。
  3. ビデオが正式の審判資料として採用されていない以上、それを持ち出してきて誤審を訴えても却下されるのはやむを得ない。
  4. 仮に誤審であっても、審判を納得させるだけのクリアさが無ければあきらめるしかない。→学術雑誌の査読、あるいは科研費申請などではしばしばこのロジックが使われる。
  5. 開始1分30秒すぎの誤審がどうあれ、残り時間の中で相手より優勢に試合を進められなかった以上は負けを認めざるを得ない。
といったところになるだろうか。

 それはそれとして、篠原選手にとって非常に気の毒に思えたのは、「誤審」というマイナス面が強調されすぎてしまって、銀メダル(あるいはそれ以上)を獲得したというポジティブな部分が置き去りにされてしまったことだ。まずは篠原選手が決勝まで勝ち残ったことについての栄光を称え、そのうえで誤審問題を控えめに取り上げていくようにしなければ、銀メダル自体が悔しさと審判への不信の象徴みたいになってしまう恐れがあるように思う。
【ちょっと思ったこと】

「夕焼け小焼け」その後

 8日の日記で、童謡「夕焼け小焼け」について
●「夕焼けこやけ」の「こやけ」とは何を意味するのだろうか
●もし、出ていた月が満月であったとすると、その日は一晩中明るく照らされてしまい、二番の歌詞にあるような「キラキラ星が光る夜」にはならないような気がする。
という2つの疑問を出した。このうち2番目については15日の日記でほぼ解決。1番目の疑問については、実は和風サーバーのほうで、匿名御希望の方より情報をいただいていた。入院中で受信したことに気づかずたいへん遅くなりましたが、ご紹介させていただきます。
夕焼けこやけの「こやけ」に就いてです。
『日本国語大辞典』に拠りますと、次のように説明が上がっています。

>「こやけ」は語調を整えるために添えたもの。
>夕焼に同じ。

私もこの説で正しいと思います。

『新明解国語辞典』では、「夕焼けがだんだん薄れること」と説明が成されているのですが、おそらく歌詞の「日が暮れて」の状況説明をしているのだと思われます。

ネットで検索しますと、下記のサイトで分かり易い説明をしていました。

http://www.yomiuri.co.jp/osaka/mono/990830d.htm
どうもありがとうございました。

 『新明解』は入院中病室にも運んでもらっていたのだが、「小焼け」という項目が無いのでそれ以上調べていなかった。「夕焼け」の項目のほうに説明があるとは知らなかった。

 匿名御希望の方は『日本国語大辞典』の解釈を支持されておられるが、私個人は、「太陽の沈んだあと暗くなる前に西の空に赤みが残るのが「小焼け」」のほうが趣があるようにも思える。夕焼けには空の半分以上が赤く染まる「大焼け」のほか、太陽が沈む直前、西の空の雲の下から光があたる時に一瞬とても綺麗な赤みが出ることがある。これは「中焼け」と言ってよいだろう。さらにその後、太陽の沈んだ周りだけがちょっぴり赤く残るがこれを「小焼け」と呼ぶとまことに趣があるように思える。

 8日の日記にも書いたが、秋から冬にかけて関東平野で見られる夕焼けは空気が澄んでいるだけに格別美しい。このほか、長崎に住んでいる時に見た夕焼けもまた美しかった。こちらのほうは東シナ海に日が沈んだ。野母崎、西彼杵半島、琴之尾岳など、夕日を眺める名所がいっぱいあった。
【スクラップブック】