じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 大学構内でハンバーガー型の面白い花を見つけた。人食い花にも似ている。これは写真右のルドベキアが変化したもの。同じ株からは、2つ以上の花が合体・融合した花しか咲かないようだ。 [今日の写真]




6月29日(木)


【思ったこと】
_00629(木)[教育]最近の大学教育論議でおもふこと(17):大学での外国語教育は本当に必要なのか(後編)第二外国語は必要か

 6/28の日記の続き。きょうは英語以外の外国語(ドイツ語、フランス語、ロシア語、中国語、韓国[朝鮮]語)を大学で教えることについて考えを述べてみようと思う。

 第二外国語の教育をめぐっては、これまで「大学生にとって第二外国語を習得させることが必要かどうか」という議論ばかりが行われてきたように思う。しかし、こうした理念的な議論とは別に、それぞれの大学の実状に合わせてぜひとも考えなければならない問題がある。それは、
うちの大学に入ってくる学生は、第二外国語を習得するだけの余力があるか
という現実的な議論である。

 単に「第二外国語が必要かどうか」というディベートを行うならば、必要性肯定論のほうが有利に展開することは目に見えている。例えば九州大学文学部が公表している文学部における言語教育では「文学部における複数言語習得の必要性」が説かれている。それはまことにもっともなことであると思うが、いくら意義があるからと言って、すべての学生に第二外国語まで習得する能力や時間的余裕があるのか、この点は机の上の議論だけでは済ませられないだろう。

 おそらく、旧帝大レベルの学生であれば、専門分野はもちろん、英語を実用レベルまで習得し、さらに第二外国語を一定レベルまで学ぶことはそれほど不可能ではなかろうと思う。しかし、6/27の日記に記したような、大幅に定員割れしている私立大学で同じレベルを課したらどうなるか。大学間の格差を強調することは本意ではないけれど、テレビの街角英語インタビューで大学生が狼狽える様子を見ていると、そういう全入大学では、第二外国語などよりも、中学校の英語の復習、あるいはことによれば、国語の再教育に時間をあてたほうがより有意義で実効性のある教育になるのではないかと思う。

 私の学部の場合はどうだろうか。岡大文学部の学生の場合、きっちりと教育すれば、専門分野に加えて、相当の英語力を身につけさせることは可能ではないかと思う。しかし、第二外国語まで習得できる余力があるかどうかは今ひとつ不明な点がある。比較的優秀と言われる心理学の学生でも、かつて第二外国語が必修であった時代には、ドイツ語2単位が不足したために留年となった学生もいた。また、現実に、必修化されている学部の学生の中に再履修でやっとこさ単位を取るという学生が多ければ、結果的に専門分野の教育に支障が出ていることも予想される。要するに第二外国語教育を充実すべきかどうかという問題は、理念的な問題としてではなく、「学生の勉学のバランスを考慮した上で、それを学ぶ余力があるかどうか」という現実的な問題としてとらえていくしかないと思う。

 このほか、第二外国語については、仮にそれを課すとしても、初修コースとしてどのレベルまで達成可能かという別の問題があるように思う。今回FD委員として、各外国語授業のシラバスを拝見させていただいたが、私がある程度読み書きできる第二外国語に限って言えば、半期で15回程度の内容であればNHKラジオの各国語の講座を聞いても十分に習得可能な内容にとどまるように思う。とすれば、そのためにわざわざ外国語教育のプロフェッショナルを招いて教室で一斉に授業を行うメリットはない。昨日述べた英語教育の場合と同様で、教員はもっぱら学生の主体的な学習のアドバイザーに徹し、体験型の自習と外部試験を重視しつつ、学生の個々の努力と成果に応じてそれだけ多くの単位が認定されるようなシステムを導入したほうが望ましいのではないかと思える。

 以上、2回にわたって外国語教育についての私の考えを述べてきたが、図らずも「大学での外国語教育は本当に必要なのか」に対しては消極的な論調になってしまった。しかし、私は、大学での外国語教育が不要だとは思っていない。全学生に対して画一的な教育を課することには反対だが、学ぶ意欲をもった学生に対しては積極的に勉学の機会を与えることが必要であろうと考えている。

 そこでより建設的な視点から、これまでの「○○語・○○文学専攻」とは別に、それぞれの外国語を使ってコミュニケーションができるスキルを習得することを目的とした「実践○○語学専攻」という履修コースを新設することを提案したいと思う。これらのコースは、主専攻としてそれを学ぶ学生(大学院を含む)を受け入れるとともに、全学的に副専攻あるいは複数専攻制を導入した上で、第二専攻として学ぶ学生に対しても教育を行うこととする。

 こうすれば、第二外国語を学ぶ余力の無い学生が再履修で悩むこともないし、学ぶ意欲のある学生に対しては、単なる必要単位のクリアではなく、「実践○○語学」という学士号を合わせて取得することが可能となり大いにやりがいを与えることになる。こうした方向での改革を学部、あるいは全学に向けて提案していきたいと思っている。
【ちょっと思ったこと】

出生率過去最低/離婚過去最高

 厚生省の人口動態統計(概数、いずれも昨年についてのまとめ)によれば、
  • 昨年の出生数は117万7663人で、前年より2万5484人下回り過去最低。
  • 第一子を生む平均年齢は27.9歳で過去最高。
  • 合計特殊出生率も前年の1.38から1.34に急減し過去最低を更新。外国と比較しても、米国の2.03や英国の1.70、ドイツの1.41を下回る。
  • 結婚平均年齢は夫28.7歳、妻26.8歳。
  • 離婚は前年より7355組増の25万538組で過去最高
  • 死亡者は前年より4万5536人増の98万2020人
  • 出生数から死亡者数を引いた自然増は19万5643人で過去最低
  • 自殺者は前年より370人減の3万1385人で、40歳前後と50歳代後半の男性の増加が目立つ
となっているという[数値はいずれも6/30朝日新聞による]。

 以上の数値を一言で言えば、結婚年齢が上がり、出産が減り、離婚は増加ということになる。国の将来にとって安心できる状況とは言えない。

 結婚も出産も離婚も、いずれも個人の価値観に基づくもので強制することはできないが、年金、医療費、介護制度などを国民全員に関わる問題を考えると、何らかの対策を講じる必要があることは間違いない。6月7日の日記で、長野県泰阜村の在宅介護の話題を取り上げたが、番組の中であるお婆さんが
子どもが順に成長していく時代がいちばん楽しい。エライけど、夢中で働けるし、いちばんいいと思う。
と言っていたことが思い出される。このお婆さんにとっては、子育てが一番の生きがいであったはずだ。現代の若者が結婚や子育てを必ずしも求めなくなってきた原因はどこにあるのだろうか。それは必ずしも貧困や住宅環境、育児環境の不備によるものではなさそうだ。内山節氏が指摘されているように「自由は他者との関係のなかに存在する」(『自由論』、323頁)という発想に基づく「裸の個人」から「関係的個人」の形成、それを保障するための環境づくりが求められるということだろうか。
【今日の畑仕事】

 ブロッコリー、インゲン、小松菜、ミニトマト、タマネギを収穫。
【スクラップブック】

  • 1998年度の国民医療費は29兆8251億円で過去最高を更新。