じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 今年は梅雨らしい長雨が続いたため、大学構内の芝地各所でいろいろなキノコが生えている。今回ご紹介するのは、チューリップ型。図鑑によればツエタケ(杖茸)の仲間らしい。写真右は、上から見た形。 [今日の写真]




6月28日(水)


【思ったこと】
_00628(水)[教育]最近の大学教育論議でおもふこと(16):大学での外国語教育は本当に必要なのか(前編)

 文学部の外国語教育の今後のあり方を検討する会議が行われ、私もFD委員として出席した。会議の内容については大学の内部問題に関わることなのでここには書けない。代わりに、これを機会に、外国語教育について最近思っていることをまとめておきたいと思う。

 まず、ひとくちに外国語教育と言っても、英語とそれ以外の第二外国語とでは考え方が大きく違う。英語の場合は現状でも中学、高校の6年間すでに基礎を習得し、入学試験でも一定レベル以上の点数を取って入学してくることを忘れてはならない。いっぽう、第二外国語は通常、大学に入ってから初めて学ぶものである。スタッフも、指導方式も、履修形態も、英語と第二外国語ははっきり分けて考えたほうがよいと思う。

 英語教育に関しては、少し前にも連載として取り上げたことがあった。とにかく、大学での英語教育での議論で一番抜け落ちているのは、中学や高校の英語教育をどう評価し、どうリンクさせるかという議論である。また、入学試験に際して、どの程度の英語力を要求するのかも把握しておく必要がある。

 よく、大学を出たクセにちっとも英語が喋れないとか、書けないとか言われるが、それが、大学に入った後の英語教育の不足によるのかそれとも、高校までの英語教育に問題があるのか、このあたりはきっちり押さえておく必要がある。高校までの英語教育に問題があるのだったら、大学で同じ教え方をしても6年間すでに受けた英語教育に2年分の上乗せをする程度であまり効果は期待できない。高校までと違う画期的な教育法があるというならば、それがなぜ大学に入るまでに実施できないのかを明らかにすべきだ。

 高校までの英語教育が十分に成果を上げられないのは受験戦争のせいだと言われることがあるが本当だろうか。私は毎年、センター試験の英語問題にチャレンジしているけれども、問題自体はよくできている。これで8〜9割の得点をとれる受験生だったらば、改めて大学で英語の基礎教育を行う必要がどこにあるのか疑問。それよりも、専門の英文をたくさん読むとか、英検やTOEICなどの外部試験で好成績をおさめるために精が出せるような学習機会を与えるべきであろうと思う。

 多くの大学生が英語を話せないことは事実だろうが、だからと言って大学で週2コマ程度の英会話専用授業を導入しても成果が上がるとは思えない。こういうものは、日常場面で使える環境が無ければ蓄積されない。そのためには、英語を母国語とする留学生との交流場面を増やすとか、英語圏への短期留学を単位に認定するというように、多面的な体験を評価するシステムを導入することが必要だ。

 全学の英語教育を担当する教員として今後は、英文学や英語学で研究業績を挙げた人に代えて英語教育の専門家を採用すべきだとの声もよく聞く。確かにそういう教員が必要であろうとは思うけれども、いくら英語教授法のベテランであっても、教室に何十人かの学生を集めて一斉に行うような授業では指導に限界があるだろう。

 大学生なんだから、自分で学ぶことが基本。マルチメディア教材、ラジオやテレビの英会話講座、ネットを通じた自習システム、英文によるWeb日記書き、英文によるネット掲示板やMLでの意見交換、さらには上に述べたような留学生との交流や自らの短期留学など主体的な学習機会を多様に保障し、教員は学生それぞれの進度を把握しそれらの自習活動に適切なアドバイスを行えばよい。

 このほか、大学院生のレベルでは英語で口答発表したり英語論文を執筆するための特別の訓練が必要になる。従来これは、それぞれの講座の指導教授や先輩院生の指導に頼るところが多かったが、例えば能動表現を増やすとか、簡潔で平易な言い回しに修正するといった指導はネイティブスピーカーでないとチェックしきれないところがある。そういうスタッフを一定数揃えることはぜひとも必要であろうと思う。

 これまでの英語教育論議では、すべての学生をひとかたまりに捉えて、基礎学力の1つとしてどの程度の英語力が必要か、そのためにはどういう教育が必要かという議論が中心であったと思う。しかし、そもそも入学段階からさまざまなレベルにある学生たちを同じ教室に集めて一律に単位を認定することには問題がある。進度別にクラスを編成するとか言ったって、同じ名称の単位としてしか認定されないなら、低いレベルのクラスに入って楽をしたほうがよいという学生も出てくるだろう。教室と時間数に縛られた画一的な英語教育に代えて、体験型の自習と外部試験を重視しつつ、学生の個々の努力と成果に応じてそれだけ多くの単位が認定されるようなシステムを導入することが望まれる。

 フランス語やドイツ語、ロシア語、中国語、朝鮮(韓国)語など第二外国語の教育についての考えは明日の日記で述べることにしたい。
【ちょっと思ったこと】

空しい自殺

 交通事故を装い、自分の替え玉として知人を交通事故に見せかけて殺害した容疑で逮捕されていた愛知県蟹江町の会社社長が28日午前2時半頃、蟹江署の留置場の房内のトイレで首をつって自殺したという。被疑者死亡ということで元の殺人事件がどこまで解明できるか難しいところがあると思うが、もし保険金目当てであるというなら、わざわざ他の人の命を奪ったりせず最初から自分だけ死んでいればそれで済むものをという気がしないでもない。

 この容疑者の自殺に対してはもともとの生命保険金は支払われるのだろうか。もし容疑者が裁判にかけられ最終的に死刑になった場合はどう考えても保険金は出ないだろうけれど、この段階での自殺はどう処理されるのだろうか。そもそもの留置の根拠が同じ契約に絡む殺人容疑というところも引っかかる。

 日記読み日記でもちょっとふれたように、この種の空しい自殺が起こる根本原因の1つとして人が死ぬことで儲かる人が出てくるような生命保険制度自体があることは確かだ。保険というのは、被保険者が不幸にして亡くなった時にそれによって被る関係者の経済的損失を補償するためにあるべきもの。生きているよりも死なれたほうが得をするような保険制度は存在する価値が無いと思っている。
【今日の畑仕事】

 夕食後の散歩時に、キュウリ、ミニトマト、ピーマンを収穫。
【スクラップブック】