じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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【インドネシアその27】ブロモ山登山の賑わいと左側通行の謎
 早朝に朝日に赤く染まる内輪山を眺めたあと、ジープで外輪山を下ってテングル・カルデラの「ラウテン(海の砂)」まで移動した。
 駐車場からブロモ山の山頂(火口縁。ヒンズー教の祭壇あり)までは徒歩で登ることになった(石段手前までは馬に乗ることもできる)。
 早朝のプナンジャカン展望台同様、ここも大勢のアジア系観光客で賑わっていた。

 1つ気づいたのは、最後の200段超の石段の上り下りが特に標識や誘導員の指示が無いにもかかわらず左側通行になっていたことである【写真下】。さっそく現地ガイドさんに尋ねたが「最初に登った人がたまたま左側通行したから」とか「車の左側通行と同じ」といった頼りない説明だった。

 一番可能性の高い理由としては、仏教と同様にヒンズー教でも左回り(時計回り)の影響が考えられる。なお、神道では伊勢神宮・内宮のように右側通行を呼びかけているところもあるが、外宮は左側通行になっているという。


2025年07月24日(木)



【連載】チコちゃんに叱られる! 「円の1周はなぜ360度?」/恵方のズレ/1日36時間制のメリット

 昨日に続いて、7月18日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
  1. なんでサッカーは試合後にユニフォームを交換するようになった?
  2. なんで人は炭を使うようになったの?
  3. なんで円の1周は360度なの?
という3つの話題のうちの最後の3.について考察する。

 放送では、円の1周が360度なのは「1年がだいたい360日だから」が正解であると説明された。数学・教育学が専門の増田有紀さん(埼玉大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。。
  1. 古代バビロニアの人々は農作業を効率的にするため1年をはかったのがきっかけ。紀元前3500年頃に誕生したメソポタミア文明では古代バビロニアの人々が文化と歴史の基礎を築いた。
  2. メソポタミア文明では農作業に活用するため天文学や数学が発達した。種まきや収穫の時期を知り洪水の被害を避けるために暦を使った。
    • もともと使っていたのは太陰暦。しかし太陰暦の1か月は29.5日なので1年では354日となり、年々季節・暦がズレてしまう。
    • そこで太陽が昇る位置を観察したところ、だいたい360日で元に戻ることが分かった。これを1年にすると定めた。
    • 1年を365日ではなく360日としたのは、60進法と関係している。今でも分や秒には60進法が採用されている。360は分・秒の60や12か月の12で割り切れるため計算しやすかった。
  3. 360は1から10までの数のうち7以外のすべてで割り切れる。割り切れるということは小数を使わなくて済むので計算しやすい。
  4. 古代バビロニアの人々は太陽が地球を回る【←天動説】1日分の動きを1ウシュとした。これが角度の1度の始まり。
  5. 円の一周を360度とすることが広まったのは、紀元前600年頃、古代ギリシアのタレスが60進法、円の一周360度を数学の世界に導入したのがきっかけ。
  6. 円の一周を100度にした場合、100の約数は9個しかない。360にすれば24個もあり、割り切れる数が多いので計算しやすい。
  7. 太陰暦1年は354日、太陽暦1年は365日で360日が2つの暦のほぼ中間であるからという可能性もあると補足説明された。


 ここからは私の感想・考察を述べる。
 まず、今の世の中では円の一周を360度とすることが一般的であるが、360以外が使われることもある。
 1つはラジアンであり、ウィキペディアによれば、

円周上でその円の半径と同じ長さの弧を切り取る2本の半径が成す角の値。

と定義されている。三角関数の公式を含む種々の関係式に数値を代入して計算を行う際には、多くの場合に一貫性のある単位であるラジアンを用いる方が単位の換算が不要のため便利であると考えられているが、ウィキペディアではしばしば主張される間違った言説も紹介されていた。

 もう1つは、方位の表現である。「もちろん北を0°= 360°として時計回りに、東を90°、南を180°、西を270°とする、このように決められた水平面内での角度」を測る場合もありこれは『方位角』呼ばれる。

 しかし、普通方角は、一周をまず東西南北(EWSN)の4方位に分け、さらに、東南、北西というように2等分する。さらには東北東とか、南南西というように2等分することで16方位となる。ウィキペディアではさらに「北東微東」というような32方位の表現もあるという。これらは「方位角」にも対応するが、そもそもの発想が、一周を2n等分していくということなので360度とは全く異なっている。もしこの発想から円の一周の角度を決めるなら、一周は256度か512度となっていたはずだ。

 またウィキペディアによれば東アジアでは十二支による12方向の方位が用いられていた。この場合それぞれの方位間隔は30°であり、例えば東南は「辰巳」というように表される。

 このことに関連して毎年話題になるのが、節分の行事として恵方を向いて「太巻きの丸かぶり」を行う恵方巻の風習である。恵方は歳徳神に由来しており、十干によって決められるので、東西南北の16方位とはズレが生じる。

 このほか以上に関連して、

1日はなぜ10時間や36時間ではなく24時間になったのか?

といった疑問が生じる。ChatGPTに尋ねたところ以下のような回答をいただいた。

とても良い質問です。
「なぜ1日は24時間になったのか?」という問いは、文化・歴史・天文学が関わる奥深いテーマです。以下にその理由を簡潔かつ分かりやすく解説します。

### ■ 結論から言うと:
**1日が24時間になったのは、古代バビロニア人が60進法(六十進法)を使っていたから**です。彼らが天文学と数学に秀でていて、その影響が現代まで続いているためです。

### ■ もう少し詳しく(歴史的経緯):
  1. 古代エジプト:12+12=24時間の起源
    * 古代エジプト人(紀元前2000年ごろ)は、**昼を12時間、夜を12時間**に分けていました。
    * 12という数字は、**指を使って数えやすい**(親指で他の指の関節を数えると1手で12まで数えられる)ため好まれました。
  2. バビロニア人の60進法
    * 古代バビロニア人(メソポタミア、紀元前1800年頃)は、**60進法**を使用。
    * 60は2, 3, 4, 5, 6など多くの数で割れる「割り切りやすい」数字で、天文学の分野で使われました。
    * これが後に、「1時間=60分」「1分=60秒」の単位につながります。
  3. ギリシャ〜ローマ〜近代へ
    * ギリシャ・ローマを経て、**プトレマイオス**(2世紀)が天文学書『アルマゲスト』でこの時間体系を採用。
    * 中世イスラム世界を通じて西洋へと伝わり、時計技術と共に固定化。

### ■ なぜ24がそのまま続いたのか?
* 1日の長さ(地球の自転周期)自体は物理的なものですが、**その分割方法は文化的に決まる**。
* 24時間という制度が一度定着すると、時計や日常生活、法制度などがそれに従うため、変更が困難になりました。

### ■ もし10時間や36時間にしていたら?
* フランス革命期に「十進時間制」(1日=10時間、1時間=100分)を試したこともありましたが、**定着しませんでした**。
* 24という数の利便性(2, 3, 4, 6, 8, 12で割れる)や既存の慣習の強さが勝ったのです。

### ■ まとめ
| なぜ24時間? | 理由 |
| ------- | ------------------- |
| 文化的起源 | 古代エジプトが昼と夜を12ずつに分けた |
| 数学的影響 | バビロニア人の60進法の影響 |
| 実用性 | 24は割りやすく、計算しやすい数 |
| 慣習の定着 | 長い歴史の中で広く使われ、変更が困難 |


 以上の説明でイマイチ納得できなかったのは、「24という数の利便性(2, 3, 4, 6, 8, 12で割れる)」という点である。それを言うなら36は「2、3、4、6、9、12、18」というようにさらにたくさんの数で割れる。毎日の生活、例えば仕事時間、散歩時間、睡眠時間などもより細かく時間設計できたはずだ。