じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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【インドネシアその26】スメル山噴火の瞬間を目撃
 ブロモ山のプナンジャカン展望台からそろそろ帰ろうかとしていた時、ブロモ山の後ろにあるスメル山が小規模ながら突然噴火した。
 ウィキペディアによると、スメル山はジャワ島の最高峰であり、標高は 3676m。山頂火口での頻発する小規模なブルカノ式噴火でよく知られている。「1967年以降は定常的に噴火を繰り返し、10分おきぐらいに小爆発を繰り返している。」とのことで、現地ガイドさんも30分に1回程度噴火すると言っておられたが、実際に噴火を目撃したのはこの1回きりであった。
※写真右は昨日掲載のスメル山・ブロモ山。スメル山は噴火前のため煙が出ていない【噴煙を出し続けているのではなく、間欠的に噴火していることが分かる】。


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2025年07月23日(水)



【連載】チコちゃんに叱られる! 「炭の歴史」/炭と墨/外国での炭焼き

 昨日に続いて、7月18日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
  1. なんでサッカーは試合後にユニフォームを交換するようになった?
  2. なんで人は炭を使うようになったの?
  3. なんで円の1周は360度なの?
という3つの話題のうちの2.について考察する。

 放送によれば人が炭を使うようになったのは「人類が洞窟で火を使いたかったから」が正解であると説明された。長年群馬県で炭の研究、炭作りを行っている岩ア眞理さん(日本炭化学会)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
  1. そもそもヒトと炭が出会ったのは約100万年前。落雷や火山から火という存在を知り、どうにかそれを利用できないかと考えていた。
  2. 森林火災によって燃えかすとして炭が残る。この炭は火を長持ちさせることを発見。
  3. そしてある理由から炭を作って大量に使うようになった。およそ100万年前、ヒトの主な生活拠点は洞窟の中だった。当時は火を使って食べ物を焼いたり暖をとったりしていたが、煙が発生するため洞窟と火との相性は悪かった。
  4. じっさい薪に火をつけると、薪の中の水素や油分が空気中の酸素と結びついて水蒸気&一酸化炭素からなる煙を発生させる。なので洞窟内で焚き火をすると煙がたまり息苦しくなるという問題があった。
  5. いっぽう炭は作り方次第では煙が発生しないように作ることができる。旧石器時代の炭の作り方は「伏せ焼き」というもので、並べた木(薪)の上に枯れ葉・土でふたをして空気が入 る量を減らして木を蒸し焼きのような状態で加熱した。酸素無しの状態で加熱すると煙の元となる油分が分解され水分と共に外に出る。残った炭素が炭となる。
  6. こうして洞窟や室内でも火が使えるようになった。
 放送ではさらに、日本人の暮らしを進化させた炭の性質が挙げられた。
  1. 高温でものづくりが発展:
    炭は薪よりも発熱量が多く高温になる。ナラ1kgを燃やして比較すると、薪のナラが718℃であったのに対して炭のナラは846℃であった。この高温により粘土の中のケイ素が溶けるため、弥生時代には薄くても硬い弥生式土器が作られた。さらに炭の高温により後金属の精錬も可能になり、奈良時代には銅を溶かして仏像をつくり、戦国時代には砂鉄を精錬し刀・槍が製作された。
  2. 長持ちで便利:
    ナラ1kgを燃やして比較すると、薪のナラは15分11秒で燃え尽きるが、炭のナラは1時間46分9秒も燃え続けた。奈良時代には火鉢に使うことで室内での快適な暖房ができるようになった。安土桃山時代には千利休が茶道の基本の1つとして炭の置き方を教えた。炭はせわしなく換える必要が無いため落ちついた茶道の文化を育んだ。
  3. 赤外線でうまみ倍増:
    赤外線はすべての物体から放出されるが、その放射量は高温になるほど多くなる。1000℃を超えることのある炭は大量の赤外線を放出する。薪で肉を焼く場合は直接炎があたり表面から焼けていくが、炭は赤外線がいっぱい出るので表面と同時に肉の内部も加熱し、うまみ成分であるグルタミン酸を閉じ込める効果がある。

 炭での調理は100万年前の洞窟から始まり、平安時代には囲炉裏での調理へと進化した。そして江戸時代、備中屋長左衛門による新しい炭の革命的発明により日本料理が大きく進化した。一般的な木炭は450℃〜650℃で焼き上げるのに対して、備中屋長左衛門の炭は1000℃以上の高温で焼き、すぐに濡れた炭で急速冷却することでより不純物の少ない引き締まった炭を作ることができた。この炭や備中屋長左衛門の「備」と「長」をとって『備長炭』と呼ばれる。備長炭は
  • 長時間安定した火力で燃え続けるためムラなく焼き上げることができ、
  • 炭を換える回数が少ないので食事の提供スピードをアップ、
  • 灰が殆ど出ないため扇いでも食べ物に灰がつかない。
という特長により食文化を発展させた。
 放送ではさらに炭素を使った次世代型の半導体の開発が紹介された。また、
炭は煙が出にくいが密閉空間では一酸化炭素中毒の恐れがあり危険。必ず十分な換気を行ってください。
という補足説明があった。

 ここからは私の感想・考察を述べる。
 まず、私は小学生の頃から『炭』と『墨』はなぜ同じ「すみ」と呼ぶのか疑問に思っていた。当時はまだ火鉢に炭が使われていて身近な存在であったため、試しに炭の粉に水を混ぜて墨を作ろうとしたがうまくいかなかった。このことについてChatGPTに尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。

 非常に興味深いご質問です。「炭(すみ)」と「墨(すみ)」が日本語で同じ読みになった理由には、いくつかの歴史的・言語的背景が考えられます。

### ? 結論から言うと:
**「炭」も「墨」も、もともと同じ物質(木炭)から作られており、共通する性質(黒い、燃える、染まる)を持っていたため、古代から発音が重なったと考えられます。**

## ?? 詳細な解説:
  1. 炭と墨は素材的に近い
    **炭(charcoal)**:木を不完全燃焼させて作る。
    **墨(ink stick)**:主に松の木の**すす(煤)=炭素の微粒子**を原料とする。

    つまり、**墨の原料は炭と同じ「炭素」系の物質**です。実際、古代では「炭から墨をつくる」ともいえる製法だったため、語源的に両者は密接に関係しています。
  2. 古語でも発音は「すみ」
    『万葉集』や『古今和歌集』などの古典文学でも、「すみ」という音でどちらの意味にも使われています。

    たとえば、
    * 「すみの色のように黒い髪」→ 墨の意
    * 「山の炭焼き」→ 炭の意

    など、**文脈で判断されていた**ことがわかります。
  3. 同音異義語は日本語の特徴
    日本語は、\*\*音韻の種類が少ない(音節が少ない)\*\*ため、同音異義語が非常に多く、
    * 雨(あめ)/飴(あめ)
    * 橋(はし)/箸(はし)/端(はし)

    のように、**漢字や文脈で意味を見分ける**のが一般的でした。
  4. 文字(漢字)としての伝来
    * 「炭」も「墨」も、いずれも**漢字文化圏から伝わった字**です。
    * 日本に入ってきたとき、**既存の日本語の「すみ」という音に、用途に応じて漢字をあてた**という面もあります。

## ?? まとめ
| 漢字 | 意味 | 読み | 由来・原料 |
| -- | ------ | -- | --------------- |
| 炭 | 燃料の炭 | すみ | 木を焼いて作る |
| 墨 | 書くための墨 | すみ | 松の煤(炭素)+膠で固めたもの |

→ どちらも**黒くて炭素を含み、元は木から作られる**という共通性があり、自然に同じ音「すみ」となったと考えられます。


 さて、今回の放送ではもっぱら日本での炭の開発が解説されたが、これでは炭は日本だけで生産・使用されていたと誤解されそうだ。ChatGPTに

歴史的にみて炭が生産・使用されているのは日本だけでしょうか?

と尋ねたところ以下のような回答をいただいた【以下、抜粋】

 いいえ、**炭(木炭)の生産・使用は日本だけに限らず、世界中で古くから行われてきた**ものです。以下に、いくつかの地域と歴史的背景を紹介します。

### ?? 世界各地の炭の歴史
  • #### ? **中国**
    * 非常に古くから木炭が利用されており、青銅器時代(紀元前1600年頃?)には金属の精錬に使用されていました。
    * 漢代には、木炭は調理や暖房、製鉄に不可欠なエネルギー源でした。
  • #### ? **ヨーロッパ**
    * 古代ローマでは、木炭が鉄器や青銅器の製造に不可欠でした。
    * 中世ヨーロッパでも、鍛冶屋やガラス職人たちは木炭を燃料として使用。
    * 特に18〜19世紀の産業革命期までは、石炭が普及する前は**木炭が主要な燃料源**でした。
  • #### ? **アフリカ**
    * サハラ以南の多くの地域では、伝統的に調理や金属加工のために木炭が作られてきました。
    * 現在でも農村部では木炭が主な燃料です。
  • #### ? **アメリカ大陸**
    * 先住民文化にも木炭は登場します。
    * ヨーロッパ人の入植後、特にアメリカでは製鉄業において大量の木炭が使用されました(18世紀ごろまで)。

 さらに外国にも炭焼小屋はあるのですか?と尋ねたところ、以下のような回答をいただいた【一部略】。

はい、**外国にも炭焼小屋(炭焼き窯や炭焼き小屋に相当するもの)は存在します**。名称や構造、風景は地域によって異なりますが、世界各地で木炭を製造するための\*\*専用の施設や小屋、窯(かま)\*\*が存在してきました。

### ?? 世界各地の炭焼施設の例
  • #### ???? **ドイツ(Schwarzbrennerei / Kohlerhutte)**
    * 「**Kohler(ケーラー)**」は炭焼き職人のこと。
    * 森の中に一時的に\*\*木を積んで覆土し、低温で蒸し焼きにする炭焼き小屋(Kohlerhutte)\*\*が建てられました。
    * 「Kohlerfest(炭焼祭り)」なども今も一部地域で続いています。
  • #### ???? **フランス**
    * フランス中南部やアルプス地方では「charbonniere(シャルボニエール)」と呼ばれる炭焼き場がありました。
    * 木を積み上げ、草や土で覆い、徐々に炭化させる「土窯式」が主流でした。
    * 炭焼き作業のために山中に**仮設小屋**を建てて、数日から数週間生活するスタイル。
  • #### ???? **イギリス**
    * 中世?産業革命期にかけて「charcoal burner’s hut(炭焼き職人の小屋)」が森林内に点在。
    * 薪をドーム状に組み上げ、覆土して焼く\*\*土窯式の「charcoal mound」\*\*が一般的。
    * 湖水地方やウェールズなどでは現在も復元されています。
  • #### ???? **スウェーデン・ノルウェー**
    * 森林資源が豊富で、木炭は製鉄の重要な燃料でした。
    * 「**Mila**」と呼ばれる炭焼き施設(土で覆った炭窯)と、隣に建てられる\*\*炭焼き小屋(Kolarkoja)\*\*で寝泊まりしながら焼成。
  • #### ???? **アメリカ**
    * 植民地時代から19世紀にかけて、東部の山間部に「charcoal pit」や「charcoal kiln(炭窯)」が多く建てられました。
    * 職人が森林地帯に**簡易な木造の小屋**を建て、長期滞在して木炭を製造。

### ?? 構造の共通点と違い

| 地域 | 小屋の目的 | 炭焼方法 | 特徴 |
| ---- | ------- | --------- | ------------- |
| 日本 | 作業・寝泊まり | 土窯・土釜・土中式 | 高度な制御技術(白炭など) |
| ドイツ | 作業・祭礼も | 覆土式 | 「ケーラー文化」として継承 |
| 北欧 | 寝泊まり重視 | 土窯式(Mila) | 小屋も含め保存されている |
| イギリス | 作業場と宿泊 | 土窯 | 炭焼き跡が文化財に |
| アメリカ | 作業兼住居 | 土窯・石窯 | 製鉄と密接に関係 |

### ? 結論:
**炭焼き小屋は日本独自のものではなく、世界各地で存在してきました。** 多くの地域で**森林内に一時的な作業小屋を建てて炭焼きを行い、生活の一部としていた**点が共通しています。


 
 次回に続く。