じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 ウォーキングコース沿いのコンビニの入口に新製品の垂れ幕がかかっていた。その中の「海からクソ」という文字が目についたが、いくらなんでも「くそ」はあるまい、これは「海からくん」と読むのだということに気づいた。このことで思ったが、カタカナの「ン」と「ソ」は1文字だけでは殆ど判別がつかない。たいがいは前後の文字の並びで判断しているように思われる。私の場合「海から」と「くそ」は熟知語であるが「海からくん」というのは一度も目にしたことがないので、「クン」は「くそ」に見えてしまったのであろう。
 この垂れ幕の左端には「フワ」、右端には「プリ」という文字があるが、前者は「つワ」ともよめるし、後者は「ぷそ」とも「ぷん」とも読める。2022年10月10日の日記でも取り上げたが、漢字・カタカナ表記では、漢字の偏などがカタカナと同じ文字に見えたり、漢字と判別しにくい文字などもあったり(例えば「カ」と「力(ちから)」、「ロ」と「口(くち)」、「ニ」と「二(に)」)、カタカナ同士で似ている文字があったり(例えば「ソ」と「ン」)して、漢字・平仮名表記に比べると読みづらいような印象がある。
 なおGoogleレンズでは、写真の中の、「海からクン」はちゃんと読み取れるが、「フワ」や「プリ」は文字としては認識できないようである。

2023年7月23日(日)



【連載】チコちゃんに叱られる!「彫刻はなぜ裸?」「ゴルフボールのくぼみ」

 昨日に続いて、7月21日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。本日は、
  1. ストレスがたまると甘いものを食べ過ぎてしまうのはなぜ?
  2. 彫刻はなぜ裸?
  3. ゴルフボールにはくぼみがあるのはなぜ?
という3つの話題のうち、残りの2.と3.について考察する。

 まず2.の「彫刻はなぜ裸?」については、放送では「人間の裸が一番美しいものだと思っていたから」が正解であると説明された。
 宮下規久朗さん(神戸大学大学院)は、
  • 裸の彫刻が生まれたのは約3000年前の古代ギリシャであった。
  • 古代ギリシャ(ギリシア)では、人間の裸が一番美しいと考えられており、美しさの基準として人間の体が研究された。例えば7頭身が良いとか、身長に対する腕や足の長さの比率が数値化され、建築の基準にも適用された。
  • 古代オリンピックでは美しい肉体をアピールするため全員裸で参加していた。
  • 古代ギリシャでは神様は人間と同じ姿をしていると考えられていた。そのためゼウスなどの神話の神の彫刻も美しい人間の姿で作られた。
  • 女性の裸の彫刻は約300年遅れて誕生。それまで女性の裸はタブーとされていたため大きな波紋を呼んだという。
  • 芸術になる美しい裸のことは『ヌード』と呼ばれる。『ヌード』はただの裸ではなく「見られる価値のある裸」という意味の西洋独自の言葉である。一般人が裸になっても、ただの裸であってヌードにはならない。
  • その後ミケランジェロやロダンなども古代ギリシャの影響を受けてヌードの彫刻ばかりをつくるようになり、彫刻といえば裸というイメージに繋がっていった。
  • 絵画や写真でも裸が多く描かれているのも、人間の体が一番美しいという理由。
というように説明された。しかし、日本では以下のような経緯があった。
  • 公園や駅前に裸の彫刻があるのは日本だけで西洋ではほとんどない。スタッフが調べただけでも、東京23区には180体以上の裸像があるという。しかもその殆どが女性の裸であるという。街角インタビューで日本に来た外国人からは「アメリカでは美術館では見るけれど公共の場所では見かけない」、「ロンドンでは展覧会では見るけれど公共の場所ではみかけない」といった声が寄せられた。世界では女性の裸の彫刻は殆どが美術館などの室内にしか置かれていない。
  • 宮下さんによれば、人間の裸が美しいというのは西洋特有の考え方。日本では庶民が普通に上半身裸で働くなど普段の生活に溶け込んでいたが、明治以前の日本では裸より着物姿が美しいと考えられていた。明治以降は、裸を取り締まる『違式■違条例(いしきかいいじょうれい)、■は「ごんべんに圭」)によって外で裸になることが禁止された。
  • 西洋から入ってきたヌードは、あくまで美術館や美術学校の中だけで許されることであり、一般の人がヌード芸術を見ることは殆ど無かった。
  • 戦後になって、それまで軍人の彫刻などが置かれていた街中に平和の象徴として女性の裸体像が置かれるようになると、「ヌードは芸術だから誰でも鑑賞してよいものだ」という考えが社会に浸透していった。つまり、古代ギリシャの「人間の裸が一番美しい」という考えから始まったヌード彫刻であった、日本では「裸イコール芸術」という考え方が先行して、「ヌードは芸術だからいいだろう」として街中に平気で裸の彫刻を置くようになった。つまり、当時の日本人は、西洋美術の本質が分かっていなかった。
  • しかし、今では、海外の影響や反対の声によって徐々に撤去されたり、抽象的なモニュメントに置き換えられるなど、屋外に展示される裸の彫刻の数は少なくなっている。
 ということで、街中の女性の裸像の数は現在では減少傾向にあるという。

 なお、終わりのところでは、宮下さんが熱く語りたい彫刻が2つ紹介された。
  • 1つめはギリシャで2世紀頃に作られた「ヘルマフロディテ」で背中の流れが美しい。背中を見せる女性ヌードが多いのはこの像の影響だとも言われている。く枕と布団は大理石とは思えないほどふっかふか。
  • 2つめはイタリアのベルニーニが作った『プロセルピナの略奪』。おしりに食い込んだ指が大理石で出来ているとは思えない柔らかさを表現している。





 ここからは私の感想・考察になるが、そう言えば、海外旅行先で裸の彫刻を見かけたことは一度も無かった。いっぽう、日本の街中では確かに裸像が多い。また、岡山大学構内においても、教育学部東館南に5体ほどの裸像(おそらく美術教室の作品)が屋外にあるほか、本部棟、社会文化科学総合研究棟の入口ホールに裸体像が設置されていたと記憶している。このほか、一般教育棟東にはかつてヴィーナス像があったが、2013年6月28日の記事が示すように、環境整備工事の際に重機で破壊され、斬殺死体状態と化してしまった。

 裸像が芸術にあたるのか、それとも性的描写として展示を制限する対象と見なすのかについては、絶対的な基準は存在しないように思う。生理学的に言えば、裸像を見せた時に眼窩前頭皮質(内側部)が活性化していればその人は芸術的に感動していると言えるかもしれない。いっぽう、単に性的に興奮している人もいるし、さらには、芸術的に感動しつつ性的にも興奮している人たちもいるに違いない。但しそれは人それぞれで異なるため、客観的な基準で区別することは難しい。

 そもそも、裸の露出、特に性器を露出させることはそれ自体は悪いことでも何でも無い。もしそれが普遍的に悪いということになると、犬も猫もみなわいせつ物陳列罪で逮捕されてしまう。要するに人間社会で共同生活をしていくためには、性的興奮をもたらすような刺激にはある程度制限を設けることが必要であるということだ。でないと、街中には性的に興奮した人たちが多数うろつくことになり、性犯罪が多発するほか、勉学や仕事への集中・努力を妨げる恐れが出てくる。ということで、いくら芸術の自由、表現の自由を尊重せよと言っても、不特定多数が行き交う街中での裸体像設置については、やはり慎重な対応が必要であろうとは思われる。

 なお、モノクロの裸像を着彩アプリで勝手に着色すると、よりリアルに見えることがある。こちらほか、参照。但し、よりリアルに見えることが芸術性を高めることになるかどうかは何とも言えない。




 最後の4.のゴルフボールのくぼみにの謎ついては、私自身はゴルフには全く関わりがないため、あまり興味が持てなかった。 正解は「より上により前に飛びやすくするため。」とのことで、要するに、飛行機の羽根と同じような原理で揚力を高める効果があること、くぼみによって乱気流が発生しボールを後ろに引っ張る力が減ること、などが役に立っているようであった。