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写真で綴る岡大の27年

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【1994年11月〜1996年4月】文学部西側の空き地(現・駐車場)
  文学部西側は、もともとは戸建ての官舎があり、取り壊し後は、自然豊かな荒野となっていて、デイキャンプを楽しむことができた。
 その後、2000年度には文化科学系総合研究棟新設工事の残土置き場になったとの記録があるが、駐車場造成工事がいつであったのか、記録写真が見つかっていない。
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【1998年7月】旧・共済会施設取り壊し
 岡大生協設立前は旧施設には「共済会」の店舗が入っていた。床屋、書籍(新本と古書)、雑貨などがあり、昭和三十年代の面影が残っていた。
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【参考資料:共済会から生協設立へ】
 岡山大学共済会は1950年に発足し45年間にわたって岡山大学の福利厚生を支えてきたが、施設面においても組織面においても十分なニーズに応えられる状態とは言えなかった。【以下の『共済会だより』最終号の長谷川執筆の記事参照。】 種々の議論を経て1995年3月に廃止され、岡大生協(1994年12月設立総会)に移行した。
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| 5. 【PDF】| 6. 【PDF】共済会会則|
【1998年7月〜8月】学生会館食堂閉鎖
 ピーチユニオン竣工(1998年8月)に伴い、南東側の学生会館(現在は「大学会館」)にあった食堂が閉鎖された。この食堂は長年にわたり「共済会」により運営されてきたが、岡大生協設立とともに生協食堂となっていた。
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【1998年11月】第四喫茶取り壊し
 生協が設立される前、岡大には学生会館食堂のほか、第一喫茶〜第四喫茶という番号のついた、個人経営の軽食堂があった。いずれも旧日本軍の施設を改修した古い建物であった。
 このうち第四喫茶は現在の文化科学系総合研究棟(兼・放送大学)の敷地にあったが、1998年11月12日に解体された。麺類や丼物が主体であったと記憶している。ご自宅の畑で収穫された野菜たっぷりの麺類が記憶に残っている。経営者のおばちゃんは体育系の部員からは母上と呼ばれて慕われていた。閉店後も、ご近所のおばあちゃん連中と一緒に学内を元気にウォーキングしておられ挨拶を交わしていたが、ここ数年はお見かけしていない。
 なお、この建物の南側の花壇に植えられていた白花曼珠沙華、日本水仙、シラー、アイリス、シラン、アヤメなどの多年生植物は、閉鎖前に私が掘り上げて、文学部周辺や講義棟前に移植した。いまでも何株か残っている。(白花曼珠沙華はその時点よりさらに繁殖している。) また、この場所にあった松の木2本はその後、植木屋さんの手で時計台前・西寄りの芝地に移植されたが、病害虫のせいか、結局2本とも枯れてしまった。
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【1998年12月12日】旧・将校集会所取り壊し
 1998年12月12日の朝に、旧・将校集会所が解体された。現在の岡大の文・法・経三学部構内は、もともと第17師団の輜重兵第17大隊(工兵第10大隊のち同第10連隊)の兵営になっていた。その西南の角地には、見習士官・少尉以上の幹部の部隊内クラブ(将校集会所)があり、資料には“庭園を備え、日支事変出征記念と彫った石燈籠が残る。”と記されている。
 少し前に、某映画監督がロケの候補地として訪問されたこともあったようだが、結局ボツに。特に保存運動も起こらないままに、先月の旧・第四喫茶建物に続いて解体された。戦後すぐに保存処置がとられていれば明治村あたりに移築できたかもしれないが、すでに屋根の一部が崩れており、解体はやむを得ないところがあった。
 2号館の非常階段よりその作業を30分ほど拝見した。実際に作業をされていたのは、重機を動かす人を含めて3人程度。いつもながら、重機を人間の指先のように動かすさまには感心してしまう。
 途中、その重機で、瓦礫の中から白い石膏像が丁寧につまみ出された。この建物の一部は持ち主不明の自転車の一時保管場所とか廃棄される備品類の倉庫としても使われていたので、その際に放置されていたものかと思われるが、なぜここに置かれたままになっていたのか不明である。
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【2003年4月】旧事務局棟移築
 本部棟竣工後、旧・事務局棟[旧日本軍第17師団(大正14年廃止)司令部・歩兵第33旅団司令部]が一部を残して取り壊された。当初はすべて解体されるはずだったが、歴史的建造物ということで、正面の一部のみ移築保存された。といっても、解体前とは似ても似つかぬ洋館に様変わりした。移築保存というよりも、旧日本軍第17師団当時の建物の復元と言うべきかもしれない。
※この建物は2012年に「化粧直し」が行われている。
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【2002年3月〜2004年5月】校友会二部ボックス取り壊しと文化科学系総合研究棟前の花壇設置
 二部ボックスが文法経講義棟北側に移転されたことにともない、取り壊し工事が行われた。その後、建物跡にはガザニア、テンニンギク、カワラナデシコの混植花壇が設置されたが、誰もメンテしなかったためその後雑草が生い茂るようになった。(約10年後、それに見かねた某ボランティアにより再度、整備が行われた。)
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【2005年6月〜10月】ネコ騒動
 2005年の春、文法経1号館と2号館の間の自転車小屋付近でネコの集団が棲み着くようになった。最終的に、法科大学院の学生が卒業時に手分けして引き取り姿を消した。
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【2011年8月〜2012年4月】文法経1号館耐震改修工事(一期・西側部分)
 耐震改修工事は二期に分けて行われた。建物西半分の工事は一期。その期間、心理学教室は自然科学研究棟5階に間借りした。