じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 旅行出発前、西チベットの宿泊所は設備が整っておらず屋外の共同トイレになる場合があると聞いていた。しかし実際には、屋外の共同トイレとなったのは1箇所のみであり、それもドアつきで、宿泊者が居ない時は施錠していたため、きわめて衛生的であった。
  • A:トイレ正面
  • B:トイレ裏側
  • C:トイレ内部
  • D:【参考】国道沿いにあるごく一般的な公衆トイレ。ドア無しで敷居が低く、おしなべて汚い。

 もっとも、この種の和式トイレは足腰が弱いとしゃがむことができない(しかも標高4700m)。また夜間は野犬が出没するため危険。

2019年9月28日(土)



【連載】

チコちゃんに叱られる!「押したくなるボタン」とアフォーダンス理論

 昨日に続いて9月20日放送の、チコちゃんに叱られる!の話題。本日は、
  • なんでハンカチは正方形なの?
  • 民謡の「ハァ〜」ってなに?
  • なんでラジオ体操には第1と第2があるの?
  • なんでボタンを見ると押すものだと思うの? という4つの話題のうち、4.の「なんでボタンを見ると押すものだと思うの?」について取り上げる。

     この疑問に対する正解は「ボタンが押せと誘っているから」であり、アフォーダンス理論による説明が行われていた【長谷川による要約・改変】。
    • 人間は物がもつ特徴を見るだけで意識することなく動作することができる。
    • コップを持つとき、手の開き方・力の入れ方を意識せずつかめる。
    • 同様に、ティッシュペーパーは意識することなく指でつまんで取る
    • ドアノブは形に合わせて握り方を変える
    • これらの自然な動作はアフォーダンス理論で説明できる。
    • ボタン押しに関しては、ボタン自体が押すという行動を誘っていると考えられる。
    • 赤ちゃんは基本的に周囲にあるアフォーダンスを片っ端から試しながら自分で動作をどうするかを学習している
    • ゴミ箱の受け口の形は、長方形(新聞・雑誌)や円形(ビン・缶)というように変えることでゴミの分別を誘っている。
     その後、アフォーダンス理論に基づいて「最も押したくなるボタン」と「押したくならないボタン」が制作されNHK放送センター入口で実験が行われたが、実験時間3時間、通行人45人の中で、「押したくなるボタン」を押したのは26人、「押したくならないボタン」を押したのは19人であり、「押したくなるボタン」のほうが多かったとはいえ、顕著な差は認められなかった。もっとも、実験では「押したくならないボタン」のほうが常に右側に置かれていたため、右利きの人が触れやすいなどの影響でたくさん押された可能性もある。ちなみに左右の位置を取り替えた実験は行われなかった。

     以上が番組の概要であるが、ウィキペディアの該当項目でも指摘されているように、最近では、ギブソンが提唱した「本来のアフォーダンス」とは異なり、
    「人と物との関係性(本来の意味でのアフォーダンス)をユーザに伝達する事」平たく言えば「人をある行為に誘導するためのヒントを示す事」というような意味で使用される事がかなり多い。「わかりやすい引き手を取り付けることで、タンスが引いて開けるという動作をより強くアフォードする」等というニュアンスの記述もしばしば見られる。これらはギブソンの本来の意図からすれば全くの誤りである。
    という点にも留意する必要がある。

     ちなみに、(誤用された意味での)アフォーダンス原理は、又吉直樹のヘウレーカ!で紹介された「仕掛学」【8月5日の日記およびそれ以降の連載参照】でも各所で取り入れられているようである。

     もっとも、(誤用された意味での)アフォーダンスや「仕掛学」で紹介されていた事例の多くは、後天的な学習の中で起こりやすくなった「オペランダムと行動」との関係、あるいはシェイピングの般化として行動分析学的に体系的に説明することができるように思う。番組で取り上げられていた「押したくなるボタン」というのも、幼少時から突起物を押すという行動によってさまざまな強化子(好子)が随伴することを体験していくなかで般化していった行動であり、原始的な生活を送っているアマゾン奥地の人々を相手に実験しても必ずしも押すという行動は誘導されないように思われる。
     洗面所で手を洗う時の動作の変遷を考えてみよう。私が子どもの頃は「ハンドル」を左にひねって水を出し、右に回して止水する蛇口しか存在していなかった。その後、レバー型ハンドルが登場し、吐水と止水はレバーの押し下げで操作されるようになってきた。さらに最近では蛇口の下に手を置くだけでセンサーが反応して水が出るようになった。つまり、時代によって、
    1. ハンドルを左右に回す
    2. レバーを上げたり押し下げたりする
    3. 蛇口の下に手を差し出す
    というように変わってきたのである。高速道路のSAなどで洗面所を利用する時、私のような昔人間は「あれ? ハンドルもレバーも無いのにどうやって手を洗えばいいのだろう」と一瞬戸惑うことがあるが、センサーに慣れた子どもなどは、何のためらいもなく蛇口の下に手を置いたりする。そういう子どもは逆に、ハンドル式の蛇口では、まず蛇口の下に何度か手を置いて水がでないのでおかしいなあと気づきそのあとからハンドルを回したりする。ここで言いたいのは、蛇口の形状が特定の行動を誘導するのではない。蛇口というオペランダムに接した時に、その人が過去にもっとも頻繁に強化されてきた行動が起こりやすいということ、蛇口の形状によって異なる行動パターンが起こるとすればそれは蛇口のタイプが弁別できているために過ぎない、つまりアフォーダンス理論が必要とされる余地はどこにも無いということである。

     もちろんだからといって(誤用された意味での)アフォーダンス理論が全くムダで冗長であるというつもりはない。より使いやすい道具、より自然な動作を導きやすい工業デザインというのは大切であり、そのヒントとして貢献することは確かであろう。

     次回に続く。