じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 夕方の散歩時、ジャコウアゲハを見かけた。8月26日掲載の写真と同一個体と思われる。気象庁統計が示すように、岡山では8月中に降水を記録した日数が8月28日までで14日を数えており、強い雨の中で飛べば羽根も傷むであろうし、不活発になることで交尾の相手にも遭遇しにくくなりそう。ネットの情報によればジャコウアゲハの成虫の寿命は10日くらいだというが、果たして子孫を残すことができるだろうか。

2019年8月28日(水)



【連載】

又吉直樹のヘウレーカ!「独り言をつぶやくのはなぜ?」と言語行動論(1)

 8月14日に放送された

NHK「又吉直樹のヘウレーカ!「独り言をつぶやくのはなぜ?」

を録画再生で視た。なおこの番組は、2018年12月19日が初回放送であり、その際にもチラッと視た記憶があるが、私のリストには視聴記録が残っていない。当時は、関係フレーム理論の話題を連載しており、ヘウレーカの話題を取り上げる余裕が無かったものと思われる。

 もっとも、この独り言の話題は、関係フレーム理論が拠り所にしている実験事実と密接に関連している。岡ノ谷先生と、関係フレーム理論とのコラボ企画があればかなりの接点が見つかるはずだ。この連載の中で後述する予定であるが、例えば、「昨日の出来事」とか「将来の計画」といった過去や未来に関する行動における言語の役割についての考え方は、岡ノ谷先生と関係フレーム理論で殆ど一致しているようにも見受けられた。

 さて、番組ではまず、「独り言」という行動が動物としてはとても変な行動であると説明された。人間以外の動物も鳴くが、たいがいは必ず相手がいる、もしくは相手がいることを想定しているのに対して、人間の独り言はむしろ、相手がいない時に発せられる。ここまでの話だと、「人間だけが独り言(独り鳴き)を発するのはなぜか?」という疑問に発展するのだが、番組では逆に、「独り鳴きをする動物がいる」という話題になり、ブンチョウ、ジュウシマツの事例が紹介された。

 番組によれば、ジュウシマツ(のオス?)は、小さい頃に父親から聴いた声をお手本にして求愛の鳴き声の練習をする。その際に独り鳴きが起こるという。独り鳴きは、聴覚フィードバック(自分の声が出そうとした声と一致しているかどうかの確認行動)の役割を果たしているらしい。また、独り鳴きしないと歌がヘタになってしまうらしい。

 では人間の独り言はどうか。番組では、保育園の子どもたちはみな独り言をいっているように、幼少期のヒトの独り言は自分の声を聞いて練習していると説明された。

 以上のところまででいったん番組内容から離れて、私なりの考えを述べさせていただく。

 まず鳥の独特のさえずりが主として求愛行動として機能しており、かつ、その鳴き方がある程度の練習を必要としていることは、過去にも何度か聞いたことがあった(例えばアトリの仲間。)

 オウム・インコの仲間が人間の言葉、カゴの外の機械音なども真似るのもおそらく求愛行動の般化と思われる。以前、「チコちゃんに叱られる!」の番組の中でも、「インコはなぜ言葉をしゃべるの?」という疑問が取り上げられたことがあったが【2019年1月4日放送】、その答えは「飼い主を愛しているから」とされていた。インコ類には、もともとオスとメスで鳴き交わす行動が見られるが、メスは自分の声と一緒のパターンのオスをより好む傾向がある。オスとメスの鳴き交わしのパターンを記録しておくと、つがいになる前はバラバラだった鳴き声が徐々に揃ってくるという変化が見られる。第三者から見ればこれは相手の声の模倣ということになる。飼い主が求愛相手として般化するならば、「飼い主を愛している」ほど声を真似るようになる。

 上記の説明で重要な点は、インコの喋る「言葉」は、普通のオペラント行動が強化される仕組とは異なるところにある。例えば、2つのキーがあって、赤いランプがついた時には左、青いランプがついた時には右のキーをつつけば餌が出るというような実験を考えてみる。この場合、キーをつつく行動は、餌によって強化されており、インコなら簡単に学習できる課題であろう。しかし、インコが「おはよう」と喋る行動は、飼い主への求愛行動として発せられるわけだから、「おはよう」と喋った時に餌を与えても強化されることはない。

 このことで多少気になるのが、2007年9月に死去したアレックスの行動である。アレックスは、ペッパーバーグ博士から「100以上の英単語を教え込まれ、「僕は〜をしたい」「僕は〜に行きたい」など、目的語や目的地を入れた簡単な会話をすることができた。また、50の物体、7つの色、5つの形を認識し、数を6つまで数えることもできた。"とされており、数々の動画も公開されているようだが、私には研究成果にイマイチ確信を持てないところがある。

 あと、鳥の独り鳴きが「独り鳴きしないと歌がヘタになってしまう」ためであるとしても、保育園の子どもたちの独り言が同様であるとは限らないように思う。関係フレーム理論の本などでは、、言葉はまず親子やきょうだいのコミュニケーションの中で強化されていき、そのうちに相手が居ない場面でも発せられるようになっていく(これが独り言)。その独り言は最初は音声を伴うが、そのうち無音化していく、これが思考の起源である、というプロセスをたどることになる。なので、保育園の子どもたちがみな独り言を言っているのは、喋らないと日本語が下手になってしまうからではなく、無言化(内言化)していく手前の段階と考えるべきである。いっぽう、鳥たちの独り鳴きは、決して無言化(内言化)することがない。なので、いくら鳥が人間そっくりに喋ったからといって、その行動を言語行動と呼ぶわけにはいかないし、鳥が思考している言うわけにもいかない。【このほか、派生的関係反応の議論につなげる必要があるが、ここでは話が大きくなりすぎるので省略。】

 次回に続く。