じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 秋のチベット旅行に関連して4トラベルポタラ宮のクチコミを投稿した。見学した時期はまだ暖かく、宮殿の周りにいろいろな花が咲いていた。写真は、出口階段の途中で見かけたテンニンギク。岡大西門西側の花壇にも同じ花が繁殖している(←ボランティアの世話人がいなくなったので雑草が繁茂しつつあるが。)


2018年12月25日(火)



【連載】

関係反応と関係フレームをどう説明するか(8)刺激機能をめぐる引用メモ

 昨日に続いて、関連書の中から重要と思われる部分をメモしておく。今回は、刺激の機能に関して。これまで読んだ文献の中で特に印象の残っているのはトールネケ(2013、96〜97頁)以下の記述である。【箇条書きに改変。一部略】
  • ある刺激に対して行動が生じる,あるいはある刺激の影響下で行動が生じる場合,その刺激や出来事はその生体の行動に対して機能を有している。
  • 私が車を目にするとき,この車は, 私の視覚に対して機能を有している。それは,私が目にするものを見るという事実に影響を与えている。
  • もしも私がその車に向かって歩き始めたなら,車は,私の行動に対してさらなる機能を有する。車は,私が近づくように影響を与えている。
  • しかし,車はこの機能をほかの要因と関係なく有しているわけでは決してない。実際,同じ車であっても,異なる要因と関連していれば,回避の機能を有することもあり得る。たとえば,その車があるスピードで私に向かってくるなら,それを目にした私を脇によけさせるかもしれない。これらのことは,刺激機能として知られている。
 これは、12月16日の日記に挙げた「2.刺激の機能として記述したほうがよいのか、それとも反応を主体として説明したほうがよいのか? 」という問題にも関連しているが、同時に、入門者にとってわかりにくい記述でもあるように思う。無生物にも霊魂、もしくは霊が宿っているというアニミズム的な考えを持つ人なら、車がそのような機能を獲得することはありうると思われるかもしれないが、変わるのは人間のほうであって、対象物に対する人間側の行動の仕方が変わるというのが自然な見方であろう。

 同じ頁にはもう1つ、明かりの例が記されている。【箇条書きに改変。一部略】
  • 私が暗い部屋の中にいるときに,明かりがつけられる。このことは,私にとってさまざまな刺激機能を有する可能性があり,問題となる状況と私の反応についてのより詳しい説明だけが,刺激機能が実際に何であるかを明確にする助けになる。
  • 明かりは,無条件刺激として機能して,私がまばたきをするきっかけとなるかもしれない。
  • 私がそのときに行っている行動によっては,それとの関連で弱化的機能を有する可能性もあり,その場合, 明かりがついた時点で私は活動をやめることになるであろう。
  • 明かりがついたことで気づけるようになった何かが弁別刺激になるといったように, 明かりは確立操作として機能することもできる。たとえば,それまで暗かったときには見ることができなかった食器棚に向かって, 私が近づいていく場合などである。
 以上のような例示はあるが、刺激機能の獲得とか変換は決して、刺激自体の物理的・化学的性質の変化を想定しているのではないことが、次の段落に記されている(97頁)。
ここで強調したい点は,刺激が有する機能とは,刺激に本質的に備えられた性質ではない,ということである。その機能は,より幅広い状況(文脈)と個人の反応についての分析を通じてしか,決定することができない。同じ刺激でも,異なる刺激機能を有することも可能である。同じ刺激が,生体の行動に対して,さまぎまな仕方で影響を与え得る。その効果は,第一に,どの生体がかかわっているのかによって決まる。これは,その生体の固有の学習履歴が影響するためである。そして,第二に,刺激が生じたその文脈によって決まる。

 「刺激機能」を重視する考え方の背景には徹底的行動主義がある。トールネケ(2013)の序文で翻訳書監修者の山本氏は次のように述べている。
行動分析学の基本は,「事実」を機能分折する上で,必要十分な概念的枠組みのみを用いる点にある。それが,こりかたまった閉じた体系や形式にならないのは,概念的枠組みが,常に「環境との接触(アクセス)」を前提としているからである。環境と個人との相互作用。ここでは,「文脈」と呼んでいる。
また、少し後のところでは、
では,「心の問題」をRFTではどのように扱うのか? 他の行動と同じように,機能の観点から「私的出来事」として扱う。私的出来事の代表である「思考」は,本書で述べられているような様々な言語行動が,機能をそのままにした上で,徐々にその音声強度を減らしていく過程で生じる行動である。「心」というとその「内容」に目が向く。私的出来事というと「機能」に焦点を当てることができる。
 要するに、環境と個人との相互作用を記述するにあたって、個人側の言葉で述べると、どうしても「心の内面」に注意が向いてしまう。相互作用として確実に捉えられる部分を特定し、関与する要因を明記するためには、「刺激機能」という視点のほうがメリットが大きいと考えるべきなのであろう。

 不定期ながら次回に続く。