じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 岡大七不思議の1つ、農学部の「落ちないイチョウ」は今年も健在。周辺のイチョウの黄葉や落葉が進むなか、依然として緑色の葉をつけていた。【11月23日撮影】

2017年11月23日(木)


【思ったこと】
171123(木)五木寛之『孤独のすすめ』(13)

 11月21日の続き。


 第4章ではさらに、
  • 「働かない人間たちが、優雅に生活を楽しんでいるじゃないか」
  • 「なぜ、生活の苦しい自分たちが、高齢者たちのために身銭を切らなければいけないのか」
  • 「あいつらは社会の敵だ、排除しろ!」
といった「嫌老感」の爆発が起こる客観的な条件が、今の日本に揃っていると論じられている。

 11月19日11月20日の日記に記したように、このあたりの主張はイマイチ納得できないところがある。

 確かに世間には、あまり働かずに遊びまくっている人たちがいる。但し、何度も言うように、今の日本では年金収入だけで悠々自適の生活をしている人は殆どいない。それらの人たちの多くは金融資産などで高収入を得ているのであって、高齢者イコール富裕層というわけではない。

 さらに言えば、自由主義社会のもとでは、富裕層が存在することで成り立つ職業もあり、一定の雇用を生み出している。富裕層の税率を上げれば平等化ははかれるだろうが、同時に、富裕層が利用していた高級飲食店、ホテル、ゴルフ場、旅行会社、装飾品店などは不況に晒されることになるだろう。そのほか、経済とは無関係と思われるような画家や彫刻家でさえ、自分の作品を買ってくれる人がいなくなれば芸術活動を続けることができなくなる。けっきょく、世の中は、サービスを提供しあうことで成り立っているのであって、自分がサービスを提供する相手が富裕層であれ中間層であれ、とにかく雇用が保障されている限りは同じことになるのである。

 高齢者の待遇も同様であり、高齢者が増えればそのぶん福祉関係の産業が発展し、医療や介護の仕事をする人たちの雇用機会が生まれる。高齢者を排除してしまったら、それらの人たちは別の仕事を探さなければならなくなる。

 もっとも、以上述べたなかで1つだけ留意すべき点がある。私たちの衣食住は、農業、漁業、衣料品、住宅、インフラ、医療、安全、教育といった、生活上不可欠な産業によって支えられているのであって、そのバランスにひずみが生じてはならないという点である。要介護者50%と、それを支える介護者50%だけから構成されるような社会は成り立たない。

 次回に続く。